【風立ちぬは実話!?】あらすじを読み解く10の意味深ポイント

風立ちぬ ポスター

こんにちは!エンタメブリッジライターしおりです。

今回は、宮崎駿監督引退作品、映画「風立ちぬ」について、あらすじを読み解くお手伝いが出来たらと思います。

この映画は、宮崎駿監督が自分自身と徹底的に向き合った、引退にふさわしい作品でした。

あともう1人、この映画で宮崎駿が向き合った人がいます。

それは、宮崎駿自身の父親。

大人向けアニメゆえに、その解釈は非常に奥深く難しいものがある「風立ちぬ」。

この映画が作られる背景に何が起きていたのか?

深~く読み込めば、世界の内側(宮崎駿/堀越二郎)と外側(戦後民主主義/戦争)の対決と折り合いこそ、この映画の内なるテーマ。

早速解説していきましょう!

1.風立ちぬの作品紹介

公開日:2013年7月20日 (日本)
監督:宮崎駿
原作者:宮崎駿、堀辰雄
製作:鈴木敏夫
音楽:久石譲
出演者:庵野秀明、瀧本美織、西島秀俊、西村雅彦、スティーブン・アルパート、風間杜夫、竹下景子、志田未来、國村隼、大竹しのぶ、野村萬斎。
受賞歴:第86回アカデミー賞にて、長編アニメーション映画賞ノミネート。第70回ヴェネツィア国際映画祭(金獅子賞)にて、コンペティション正式出品。第37回日本アカデミー賞にて、最優秀アニメーション作品賞。

2.風立ちぬのあらすじ

風立ちぬ カプローニ
画像出典:https://www.youtube.com

それでは風立ちぬのあらすじをご紹介します。

映画「風立ちぬ」は、零戦設計家、堀越二郎の少年時代から就職に恋愛に挫折に戦争、夢まで内容は盛りだくさん!

1回観ただけではなかなかつかみ切れないかもしれません。

ストーリーを追いやすくなる1つのポイントは、ゼロ戦の型をよく見ること。

どの飛行機が失敗に終わり、どの飛行機が成功したのかを着目しながらご覧ください。

風立ちぬのあらすじ(ネタバレなし)

大正から昭和へ…1920年代の日本は、不景気、貧乏、病気とは切っても切り離せない生き辛い激動の時代でした。

少年堀越二郎は、頭がよく正義感の強い子供。

ド近眼ですが飛行機が大好き。

当時飛行機の先進国、イタリアの有名な設計家「カプローニ」を尊敬し、ある日夢の中で実際にカプローニと出会います。

巨大飛行機の上でカプローニと交わした会話。

二郎「近眼でも飛行機の設計ができますか?僕は近眼で、飛行機の操縦ができません」

カプローニ「私は飛行機の操縦はしない、いやできない!私は飛行機を作る人間だ。飛行機は美しい夢だ」

二郎は、夢の中のカプローニの助言もあり、将来飛行機の設計家になることを決意しました。

空に憧れ、美しい飛行機を作りたい…。

しかしその純粋な夢の果ては、皮肉にも戦争のため、殺戮戦闘機の設計になってゆくのでした…。

風立ちぬのあらすじ(ネタバレあり)

風立ちぬ 実話
画像出典:https://www.youtube.com

堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めてーー。

これが、本作のキャッチコピー。

堀越二郎とは零戦設計家で、零戦が「世界1の戦闘機」と呼ばれる一時代を築いた人です。

堀辰雄って誰?と思う方は多いかもしれませんね。

堀越二郎も堀辰雄も、明治後期に生まれ、大正、昭和の激動期を生きた人です。

堀辰雄は作家で、結核を患って若くして亡くなりました。

劇中の菜穂子とのエピソードは、この堀辰雄の半生から着想を得たものです。

つまり映画「風立ちぬ」の堀越二郎は、堀越二郎(設計家)+堀辰雄(作家)という全く関係のない2人の人物のミックスなんです。

わかりやすく、簡単な世界の流れと堀越二郎、堀辰雄の人生を表にしてみました。

風立ちぬ 零戦

ピンクの部分が映画の主となる話です。

航空設計を学ぶため、東京帝大工学部に入学し上京した堀越二郎。

ある日、汽車の中で家柄のいいお嬢様と運命的な出会いを果たします。

その少女は菜穂子という名前で、女中と一緒に「風が気持ちいい」と汽車を楽しんでいました。

とたん、風がビュッと吹いて二郎の帽子が舞い上がり、それを菜穂子がキャッチしたのです!

「ナイスプレー!」と二郎。

菜穂子「“Le vent se lève”(風立ちぬ)」

二郎「 il faut tenter de vivre”(いざ生きめやも) 」

2人の出会いの会話は、タイトルにもなったポール・ヴァレリーの小説の一句「風立ちぬ、いざ生きめやも」でした。

とそのとき、震度7、10万人もの死者を出したあの関東大震災が襲ったのです!

列車も止まり、町は火の海。

二郎はケガをしたお絹を手当て、おんぶして線路を歩いて避難させました。

この出来事は菜穂子にとって、一生の恩として心に残ります。

本郷キャンパスに帰った二郎。

キャンパスも大火事で、同級生の本庄が

東京壊滅だ!

と言うと、そこへまた夢に切り替わり、出てきたのはカプローニ。

カプローニ「まだ風は吹いているか?日本の少年よ」

二郎「はい、大風が吹いています!」

カプローニ「では生きねばならん」

震災から2年ーー本格的に航空研究をし始めた二郎。

欧州の列強は軍国主義でどんどん力を増し、10年以上飛行機開発が遅れている日本。

そんなとき、二郎に届け物が届きました。

送り主はお絹、震災のとき助けてくれたお礼に来たのです!

慌てて追いかけた二郎ですが、すでにお絹の姿は見えませんでした。

代わりに下宿先に来た女性の訪問客とは、妹の加代。

加代は医学部を目指し、「将来は医者になりたい」を二郎に打ち明けます。

大学を卒業した二郎は、名古屋の三菱内燃機(現三菱重工業)に就職。

町は職のない人であふれ、銀行は取り付け騒ぎ…不況と貧困はこの時代の象徴です。

二郎が配属されたのは、隼(はやぶさ)班でした。

隼とは、零戦と並んで太平洋戦争前のほぼ同時期に開発が始まった戦闘機。

直属の上司は背の低いちょっと面白キャラの黒川さん。

噂の英才が我が隼班に来た!すぐ作図してもらう!主翼の取付金具だ!

新卒で「噂の英才」なんて言われるなんて、二郎はよほど学生時代から優秀で頭角を表していたのでしょう…。

頭の中を飛行機が空飛ぶように、「面白い!飛行機は面白いなぁ!」と仕事に没頭する二郎。

しかし下宿に帰ればそこも貧困で、お腹をすかせてウロウロしている子供がたくさん待ちぼうけ…。

完成した戦闘機「隼」は、陸軍を前にしたテスト飛行で空中分解してしまい、二郎は凛として

問題はもっと深く、遠くにあると思います。

と上司黒川に向かって断言します。

「もっと深く、もっと遠くへ」ってセリフは、故・高畑功監督のお別れ会で宮崎駿監督が若いころの野心を思い出しながら、語った言葉でもあるんですよね。

もっといい映画を作りたい、もっと深く、遠くへ…と。

結局陸軍の軍用機は他社に内定してしまい、三菱燃料機はドイツのユンカース社の爆撃機を下請けで作ることになります。

ドイツ視察に出かけた本庄と二郎たち。

列強国の1つだったドイツの技術力と工業力は圧倒的でした。

この旅で、日本の飛行機は10年以上遅れをとっていることをまざまざと見せつけられます。

入社5年目ーー二郎たちは海軍から過大な要求が来ました。

過大な戦闘機の要求こそ、昭和七年試作・艦上戦闘機(通称、七試艦上戦闘機)

速度、重さともに、最高技術を結集しなければいけない飛行機です。

これまでの国産戦闘機の性能を確かめるため、海軍自慢の航空母艦「鳳翔(ほうしょう)」で一三式艦上攻撃機(大正13年採用)に乗った二郎と黒川さんですが、エンジンが顔にぶっかかって真っ黒に…。

さらに三式艦上戦闘機(昭和3年)は、空母から飛び立つもエンジン停止により海に墜落。

二郎はこの現実を目の当たりにしながら七試艦上戦闘機を完成させましたが、このテスト飛行もまた、墜落して不採用になってしまうのです(実際にこのシーンは出てきませんが、二郎が休養で訪れた軽井沢でフラッシュバックします)。

ショックで休養するため、しばらく軽井沢のホテルに滞在することになった二郎。

☆ここからは堀辰雄の恋愛物語にチェンジ☆

散歩していると丘の上にいた、油絵を描いていた少女と出会います。

その少女は、関東大震災のとき帽子をキャッチしてくれた菜穂子だったのです!

一途に二郎を思い続けていた菜穂子ですが、軽井沢にいたのは結核療養のためだったのです。

あなたは少しもお変わりになっていませんね!

震災のとき、本当にありがとうございました。

菜穂子の病気が回復するのを待ち、結婚すると約束した2人。

このとき二郎はレストランで、「ウサギか!?」というほどやたらクレソンを食べる謎のドイツ人カストルプに出会います。

ここは、いい山です。「デア・ツォオバーベルク」

チャイナと戦争、忘れる。世界を敵にする、忘れる。

日本、破裂する。ドイツも、破裂する。

と意味深な言葉を二郎に言います。

「デア・ツォオバーベルク」とはトーマス・マンの書いた小説で、ドイツ語で「魔の山」の意(サナトリウムと言えば「魔の山」というほど有名な小説)。

しれっと描かれたカストルプですが、実は彼の正体はドイツからのスパイで諜報活動をしていたんです。

カストルプと接触したために、二郎は名古屋に戻ったのち、特高(特別高等警察)に思想犯として追われます。

下宿先も危険だからと、しばらく黒川さんのところに滞在することになった二郎。

そんなある日、「菜穂子が喀血した」という電報が入ってきました。

普段はあまり感情を出さない二郎ですが、泣きながら列車で東京へ向かいます。

宮崎アニメ史上初、大人同士のキスシーン。

菜穂子は「二郎さんと一緒に生きたい」と、父の反対を押し切って、本格的に病気を治癒するため高原のサナトリウムに行くことを決意。

二郎は次なる戦闘機、九試単座戦闘機の開発に大忙しになります。

美しい飛行機を作りたい二郎…「爆撃機を乗せなければ作れる」「日本はいったいどこと戦争するのかな?」と、戦闘機は次第に世界大戦色が濃くなっていきます。

サナトリウムの菜穂子にも「仕事が忙しく会いに行けない」と詫びの手紙を送るばかり…。

ある日、菜穂子は自分の余命を悟ったからか、サナトリウムを逃げ出し、名古屋に1人やってきたのです。

2人はそのまま、居候していた黒川さんの許しを経て結婚します。←このシーンに涙した方は多いでしょうね!

「申ーす!七珍万宝投げ捨てて、身ひとつにて山を下りし、見目麗しき乙女なり。いかーに!」

「申ーす!雨露しのぐ屋根もなく、鈍感愚物の男なり。それでもよければ、お入りください。」

「いざ、夫婦の契り、とこしなえ」

菜穂子の美しい晴れ姿に感激する二郎と黒川夫妻。

しかし、そんな幸せな日々も長くは続きませんでした。

菜穂子は人知れず、自分の死期の近さを悟ります。

いよいよ九試単座戦闘機は完成、テスト飛行の日がやってきました。

二郎「行ってくる」

菜穂子「ご成功を」

この会話を最後に…菜穂子は1人サナトリウムへ帰ってしまったのです(このことは死を意味)。

「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね」と涙を流す黒川さんの奥さん…。

そのころ九試単座戦闘機はテスト飛行で急上昇、急降下、宙返り、風に舞っていました。

「何ノットだ!」「おめでとう!」

こうして1935年、日本初の近代的戦闘機が開発成功したのです!

大歓声が上がる中、誰かに呼びかけられたような気がして、1人時が止まった二郎。

二郎は菜穂子の死を感じ取ります。

ーーそれから10年。

カプローニと再び夢で出会った二郎。

そこにはたくさんの零戦の残骸がありました。

カプローニ「君の10年はどうだったかね?力を尽くしたかね?」

二郎「はい、終わりはズタズタでしたが」

カプローニ「国を滅ぼしたんだからな」

そして、目の前にいたのは笑顔の菜穂子。

菜穂子「あなた…生きて…生きて」

二郎「うん…ありがとう…ありがとう…」

生きねば…最後はそんなメッセージを残して、この映画は幕を閉じます。

3.風立ちぬの見どころ

風立ちぬ 実話画像出典:https://www.youtube.com

「風立ちぬ」は大人向けアニメなので、意味深ポイントがたくさんあります。

これらをきちんと読み解かなければ、よくわからない要素が多いんですよね…。

この映画で理解しなけばいけないことは何なのか?解説していきたいと思います。

考察1.タイトル「風立ちぬ、いざ生きめやも」の意味

Le vent se lève, il faut tenter de vivre”
(ル ヴァンス レーヴ。イル フォ トンテ ド ヴィーヴィル。)
風立ちぬ、いざ生きめやも。

タイトルになった「風立ちぬ、いざ生きめやも」とは、堀辰雄の小説「風立ちぬ」に引用されたポール・ヴァレリー小説の一句の訳。

元のフランス語の文法から解釈すれば、「風が吹いている、我々は生きなければいけない」と現在形でなんですね。

しかし堀辰雄の訳は、

  • 風立ちぬ⇒「ぬ」は過去・完了の助動詞で、「風が立った」の意。
  • 生きめやも⇒「生き+む(推量の助動詞)」「やも(助詞「や」と詠嘆の「も」で反語)」「生きなければいけないのだろうか?いや、そんなことはない、死のう」の意。

長い間この堀辰雄の意訳は、学説上検証されてきました。

面白いのは、宮崎駿、鈴木敏夫もこのポール・ヴァレリーの句をそれぞれに思い思いの視点で解釈していること。

宮崎駿は、堀辰雄のネガティブなニュアンスの入った訳を気に入ります。

その理由の1つに、なんと風立ちぬの絵コンテ作業中に311が起きたことがあります。

忘れもせぬ、あの福島第一原発事故は東日本そのものを不安と恐怖に陥れました。

宮崎駿監督が反原発であったことは記憶に新しいですよね。

原発とは人間の業、戦火も同じです。

「風立ちぬ」の風は、爽やかな風が吹いているのではない。

爆発した後、轟々と恐ろしい風が吹いているように感じた。

だから生きようとしなければならないんだ。

宮崎駿の風の解釈は、このような風。

戦争だろうが原発事故だろうが、それでも生活は続いていく…この「生活の惰性、継続」こそが人間生活の本質だ、と思わせる風です。

一方キャッチコピーを作る立場にある鈴木敏夫プロデューサーは、バシッと原詩に近い訳を採用。

シンプルに「生きねば。」と前向きなニュアンスが大きく感じますね。

考察2.鈴木敏夫が後押し!?戦争テーマの意味

風立ちぬ 実話
画像出典:https://www.youtube.com

宮崎駿は、なぜ戦争を引退作のテーマとしたのでしょうか?

実は戦争を題材とするアイデアは、鈴木敏夫さんの手腕によるもので、宮崎駿監督は4か月も反対していたのです。

宮崎駿は昭和16年生まれ。

戦時中は宇都宮に疎開し、空襲も経験しますが敗戦。

当時の少年が皆そうであったように、戦闘機好きでありながら、反戦という矛盾の中を生きた人なんです。

「戦争反対」と「戦闘機好き」の中で、自分の好きなものが引き裂かれていたという宮崎駿。

そのうち彼は道楽で、模型雑誌「モデルグラフィックス」に映画「風立ちぬ」の前身となる漫画を描いていました。

宮崎駿が戦闘機の落書きをするのをよく見ていたという鈴木敏夫さん。

過去作品で反戦を思わせる作品は多かったですが、零戦や堀越二郎をテーマにすれば、「宮崎駿の戦争観」が出来上がるのではないか?とけしかけたのだそう。

ところは「アニメは子供が見るものだ!」と宮崎駿は猛反対。

何か月も反対し続けましたが、「子供もそのうち大人になるんじゃない?」という言葉に根負けしてしぶしぶ承諾。

こうして風立ちぬの映画制作は始まったのです。

とはいえ、戦争がテーマなのに、この映画には戦闘シーンは1度も出てこないことを皆さんはお気づきでしょうか?

出来上がってみれば、設計家堀越二郎が黙々と飛行機を作っている半生史。

ここが映画「風立ちぬ」を観るポイントなんですよね。

「職業を持つということ」がそもそも戦争に加担すること、誰もがそれを断罪できないということが描かれたんです。

考察3.映画「風立ちぬ」が創られた意味

今作を見るためのポイントは、主人公堀越二郎の内面を2人の人物にダブらせることです。

1人は、宮崎駿監督自身。

もう1人は、宮崎駿の父親。

宮崎アニメではそれまで様々な女性像・母親像が描かれてきましたが、前作「崖の上のポニョ」で宮崎駿監督の内面で母親とは一定の折り合いがついたことが伺えます。

今作は、宮崎駿監督が、初めて正面切って父親と向き合った作品なんです。

しかも疎開して空襲に遭ったときの、働き盛りだった28歳の父親(当時)。

実は、宮崎駿監督の父は「宮崎航空興学」という軍需産業の下請けをしており、戦闘機の部品を作っていました。

軍需産業の仕事をするということは、それだけで「戦争に加担」という意味があるように見えます。

宮崎駿自身、青年時代そのことで父親とかなり激しく口論したそう。

堀越二郎も、純粋に「美しい飛行機を作りたい」という設計者の道を歩んだだけで、職業人として零戦を設計し、戦争に加担したことになった……のでしょうか??

自分や家族を養うためにお金を稼がなければいけない、そのためには仕事が必要。

これが、宮崎駿が問い詰めた矛盾です。

宮崎駿の父は、軍需産業で金持ちになりながらも、近所の貧しい子にお菓子をあげたり、家族を大切にする人だったそう。

宮崎駿は本作で、矛盾をはらんだ父親に闘いを挑んだのです。

考察4.連発される「美しい飛行機」の意味

風立ちぬ 意味
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僕はただ美しい飛行機を作りたいんだ。

という二郎が連発して言うセリフは、聞けば聞くほど

自分はただ、いいアニメーションを作りたいんだ。

という宮崎駿監督の思いと同じだと感じますねぇ。

飛行機設計が「美しく呪われた夢」なのは、宮崎駿監督の映画人生と同じですからね。

堀越二郎と宮崎駿は「作家」という共通点があり、同じ業を背負っています。

二郎は戦闘機を作るハメになったこと、宮崎駿は子供たちをアニメ中毒にしてしまったこと。

自然に触れることや、昔ながらの生活を理想としてきた宮崎駿監督は、古き良き日本の生活を「となりのトトロ」などで多く描いてきました。

しかし「いいアニメーションを作りたい」という純粋な思いは、逆に日本の子供たちを「古き良き日本の生活」から遠ざけます。

気づけばDVDで何度も何度も観られている自分の映画、アニメ産業を猛発展させたこと…結果、子供の自然離れを加速させてしまったという残酷な現実。

国を滅ぼしたんだからな。

と映画の最後でカプローニは言いますが、これは宮崎駿自身が「日本を滅ぼした」と自分に向けて言っていることなんじゃないでしょうか?

「アニメなんか1度観ればそれでいい」って持論の宮崎駿の希望が、意に反して、どんどん子供たちから自分が生活を奪ってしまった…というところまで風立ちぬは理解して観なければいけないんですね。

考察5.堀越二郎は生き返った!?結末「生きて」の意味

風立ちぬ ラスト 結末
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有名な話ですが、当初絵コンテでは、ラスト菜穂子はあの世から「来て」と二郎を誘います。

堀越二郎は死ぬ予定だったんです。

2年かけて絵コンテを描くという宮崎駿監督ですから、「来て」と描いた時期は作品に相当深化していった時期だったでしょう。

つまりこの絵コンテを描いた最中、宮崎駿監督自身が「いや、死のう」と1度死んだのです。

インタビューで、毎晩睡眠導入剤を飲まなければ寝られないと語っていた宮崎駿監督。

作家生活50年、「終わりはボロボロ」という二郎のセリフは「アニメ50年やってきてボロボロ」という宮崎駿自身の思いと同じでしょう。

そしてふと自分に目を向ければ、ラストは「自分は死ぬに値する」と考え詰めたのかもしれません。

しかし、絵コンテ完成から時間が経過し、映画製作終盤のアフレコのあたりで、声優を務めた庵野秀明の助言もあり、このセリフは

生きて。

と前向きに変わります。

「生きて」への変更を承諾することができた宮崎駿。

引退作となる自分の作品に息を吹き込まれ、完成していく過程を見ながら、「生きていてもいいんだ、アニメーターとしてこれでよかったんだ」という自己肯定の言葉を、最後に自分に投げかけられたのかもしれませんね。

考察6.宮崎駿が試写会で泣いた意味

本作「風立ちぬ」は、宮崎駿が監督人生史上初、試写会で自分の映画で泣いたということも公開前から話題になりましたね。

二郎の少年時代シーンから号泣していたという宮崎駿監督。

そのことを尋ねられると宮崎駿は、どのインタビューでも

自分の映画で泣くなんてみっともない!

を連発し、感動話というよりよほど恥じている様子…。

泣いて「みっともない」は、「映画制作は決して自己満足に終わらない」という宮崎駿監督らしいポリシーがあるからでしょう。

試写会では、この50年のアニメ人生が走馬灯のように蘇ってきたのではないでしょうか?

「風立ちぬ」って、職業、恋愛、白昼夢、死…と色んな要素が混じっていてなかなか1回ではわかり辛いですよね。

私は二郎の人生に起こる出来事はすべて、宮崎駿監督自身が経験したことだと思うんですよ。

勉強、東映動画入社、恋愛、結婚、近親者の死、子育ての葛藤(共働きだったそうですが、時間のすれ違いで、赤ちゃんの吾朗さんが保育園から寝ながら歩いているのを見て危機感を感じたそう)…。

宮崎駿は風立ちぬ制作中、「呪われた夢」についてふとこう語ります。

どんなに善と思ってやっていても、時代の中で「呪われた夢」。

今人類の夢はすべて「美しく呪われた夢」。

映画も同じ。

(映画が)本当に素晴らしいものなのかわからない。

そんな葛藤がありつつも、「いい映画を作った、自分の考えに狂いはなかった」と、社会レベルでなく個人レベルで宮崎駿監の内面にぐわっと押し寄せたのが、アニメーターとしての誇りであり、試写会の涙だったのではないでしょうか?

考察7.映画に吹く「風」の意味

風立ちぬ 菜穂子
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まだ風は吹いているかい?

カプローニは夢の中で、さんざん「風は吹いているか?」と二郎に聞きます。

この意味は

まだアニメーションを作りたいかい?

と同義だと私は考えます。

つまり、「風が吹いているか?」ということは、宮崎駿の動機を試すような「宮崎駿⇒宮崎駿」に向けられた挑戦的で厳しい言葉。

映画の中で「風」とは「夢」や「モチベーション」という意味で使われているのではないでしょうか?

宮崎監督は、幸せは「自分が幸せであること」とは決して考えません。

「幸せとは自分が幸せになることだ」と言う戦後民主主義の若者たちに対して、とても疑問を感じるそうです。

宮崎駿監督自身の幸せとは「1人1人の幸せ」。

そのために魂を削って削って作品を創るんです。

もちろんこの中には、「本当にアニメが人を幸せにできるのか?」というジレンマも含まれていて、「映画もまた呪われた夢」という葛藤に襲われるからこそ、カプローニに

まだ風は吹いているか?まだお前はやれるのか?やる気があるのか?!

と何度も何度も動機確認の言葉を投げかけられながら、

「アニメーターは、アニメを作るしかないんだ!」

と結論が出るまで、ラスト「生きねば!」の覚悟までその葛藤は続くんですよね。

考察8.カプローニ「力を尽くして生きなさい」の意味

「創造的人生の持ち時間は10年だ。君の10年を、力を尽くして生きなさい」

「君の10年はどうだったかね?力を尽くしたかね?」

「力を尽くして生きなさい」もまた、カプローニが二郎によく投げかける言葉です。

鈴木敏夫さんは絵コンテを見ながら、一体全体この言葉がどこから引用された言葉なのか気になって調べたそう。

出どころは旧約聖書「伝道者の書」だったことが判明します。

旧約聖書の該当箇所には、

「すべて汝の手に堪る(たうる)ことは力を尽くしてこれを為せ」

別の訳では

「あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい」

とあり、「宮崎駿は旧約聖書に行きついたのか!」と鈴木敏夫さんは驚いたそう。

この「伝道者の書」は、よく「聖書っぽくない、日本人がとっつきやすい」と言われる箇所です。

最初の1行は「すべては空(くう)。空の空。」と仏教的な諸行無常の言葉から始まり、前半は「虚しい」「死んだほうがマシ」が連発されます…。

ちなみにこの伝道者の書は、エルサレムの王で、知恵ある賢者として有名なソロモンによって記されたものなんですよね。

私はこのエピソードを聞き、なんだか芥川龍之介みたいだなと思ったんです。

芥川龍之介もまた遺作「西方の人」で、厭世的に思いを持ちつつ聖書についてしこたま解説をしたのち自殺しました。

宮崎駿は生きています。

「力を尽くして生きねば」のほうに気持ちが傾き、作中で二郎さえも蘇らせます!

なぜ宮崎駿は蘇ることができたのか?!次項でもう少し解説しましょう。

考察9.二郎の施し「シベリヤ」が裏切られる意味

風立ちぬ シベリア
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「風立ちぬ」のテーマって、結局は「矛盾の解決」なんです。

劇中でも

  • 善意で貧しい子供にシベリアを上げつつ、見返りが欲しかった二郎の矛盾
  • 貧乏な国が飛行機を持ちたがる日本の矛盾
  • いい仕事をするために、結婚して所帯を持つ本庄の矛盾

と矛盾が様々な箇所で語られます。

宮崎駿が解決しなければいけなかった最大の矛盾とは、先ほども言った通り28歳の父親が抱えた矛盾。

戦争と職業人生まっただ中の父。

少年宮崎駿にとって父は「悪人か善人か…」というアンビバレントな人だったんです。

戦闘機の部品を作りながらも、施しをする父…、これは零戦設計をしながら、シベリアをあげた二郎の行為と同じです。

腹は立たないがトゲは残る、これが息子としての思いだったんですね。

ただ、宮崎駿が思い返すのは、どこを見渡しても「家族を大事にする父親だった」という姿。

例え戦争中であれ、妻や家族を守るために職業を持つことは誰も責められることではありません。

これこそ、宮崎駿の矛盾の解決だったんですね。

二郎の目線を通して父の目線で歩みを進めた宮崎駿は、妻と家族を守ろうとした28才の父を「本人のせいじゃない、父はあれでよかったんだ」と肯定することができたのでしょう。

芥川龍之介のように死ぬことを選ばず、「生きねば」との肯定できたことは、父の矛盾を解決、肯定できたからこその結果だったと私自身は思います。

親の肯定って、自分自身への肯定と同義ですからね。

考察10.実は元ジブリ!声優に庵野秀明が起用された意味

風立ちぬ あらすじ
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最後に、声優庵野秀明の起用について。

「声優がひどい!ありえない!」と悪しき評価も受けたこの「風立ちぬ」…。

二郎役の声優に選ばれたのは、言わずもがなエヴァンゲリオン監督の庵野秀明。

なぜ庵野秀明にした?と疑問を持つ方も多かったでしょう。

まず、二郎の声優を誰にするかは、会議でも困難を極めていました。

昔のインテリで、滑舌がはっきりした声が高い、頭が良すぎて言葉数が少ない人。

というのが宮崎駿の注文。

素人であることが前提で、声優や俳優を起用しないことだけは決まっていました。

ほぼ同時に声を上げた鈴木敏夫と宮崎駿。

「庵野?」「庵野!」

庵野秀明の名前が挙がったことは「無口キャラに合う素人」として、宮崎駿と鈴木敏夫の思い付きだったんですね(この前日、鈴木敏夫さんは庵野秀明さんと会っていたこともあり、思い浮かんだのだそうw)。

庵野秀明さんは、23歳から宮崎アニメに携わり、ナウシカの巨神兵を担当した方です。

宮崎駿監督とも親しく、気心知れた仲。

庵野秀明さんは、宮崎駿監督に意見できる数少ない年下のアニメーターではないでしょうか…?

それ以外の重要な理由として、庵野さんは宮崎駿監督に「この時代最も傷ついている人」と言われています。

なぜ「傷ついた人」かというと、小さい頃からアニメが好きだった庵野さんは、現実の物を見て、聞いて、触れて体験することを、アニメというコピーに奪われてしまったからなんです。

自分が「現実のコピーのコピーのコピーであることを自覚している人」なんですね。

どんなに才能があっても、コピーの体験は、アニメを作る上ではぼやけます。

そういう意味で「自分は本当にダメだ」ということを、庵野秀明監督自身が知っています。

これが宮崎駿が言う「傷ついたの人」の意味で、庵野秀明の「時代の被害者的側面」もまた、演じた堀越二郎と共通することだったんです。

4.風立ちぬをオススメしたい人

風立ちぬ サナトリウム
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作家人生や戦争の業が深く入り混じる、大人向けアニメ映画「風立ちぬ」。

「自分の中の堀越二郎」というのが、様々な人から抽出された実話的な映画です。

大人向けですから、このような方に観ていただきたいと思います。

1回観てもよく意味が分からなかった人

1回観てもよく意味が分からなかった人にはオススメです。

私自身も映画館で1度観て、「面白かったけど、よくわからないなぁ」と実は思ったのでしたw

ただそれは、宮崎駿自身が「大人なんだからこれくらいの教養はあるよね?」と挑戦的な描き方をしていることに、私自身の貧相な知識量でついていけなかったのも大きいです。

例えば、劇中、軽井沢の高原のレストランで、カストルプのピアノで歌われる歌『ただ1度だけ』。

この歌は、ナチスが台頭する寸前の映画「会議は踊る」の歌。

ヒロインはユダヤ人で、いわばワイマール共和国時代の最後の歌という意味があるんです。

大人なんだからそのくらい知ってるよね?

という思いで描かれていますが、私のような教養のない人間は「楽しそうなシーンだな」で終わってしまう虚しさ。。

アニメーターの中でもは、「教養を身に付ける」というのをやっていたのは、やはり宮崎駿監督にとってはパクさん(高畑勲監督)ぐらいだそうで…。

「ジブリの映画は子供向けで観やすい」なんてあぐらをかくのではなく、むしろ私たちがこの教養まで追いつかなければいけないんです。

これぞ宮崎駿監督が本領発揮した初の大人向けアニメ作品!

このレビューで「風立ちぬ」のストーリーがよりわかりやすくなりましたら幸いです。

風立ちぬを引退作にした宮崎駿の気持ちが知りたい人

風立ちぬ 結婚
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「風立ちぬ」を引退作にした宮崎駿の気持ちが知りたい人にはオススメです。

この映画は実話要素の寄せ集め。

堀越二郎、堀辰雄、宮崎駿、宮崎駿の父…と。

宮崎駿監督は、堀越二郎と堀辰雄が、終戦や病気で作家人生を絶たれたことを含めて好きなのだそう。

映画「風立ちぬ」は宮崎駿監督の内面の集大成なんです。

実は宮崎監督、引退会見のとき1枚の原稿を手元に持っていました。

それを読み上げられることがありませんでしたが、その原稿には、なんと

あと10年映画を作りたいです。

と書かれていたそうなんです(実際にそうおっしゃっることはなかったですが)。

原発再稼働然り、憲法改正然り…私たちは政治という圧倒的権力の中に生きねばならない個人という存在です。

生きるということは、外にどんな恐怖の世界があろうとも、生活の連続性=生きねばならない、ということなんだということを教えてくれます。

なぜ「風立ちぬ」が引退作となったのか、そこには72歳の宮崎駿監督の深い深いメッセージがあるんですね。

って2019年「君たちはどう生きるか」で長編アニメ映画に復帰との声が上がっておりますけど!

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