北野映画の初期の傑作!「ソナチネ」のあらすじとネタバレ解説

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こんにちは。
エンタメブリッジライターのErioです。

今回は1993年公開、北野武監督、ビートたけし主演の「ソナチネ」をご紹介します。

「ソナチネ」は、今や世界的な巨匠となった映画監督北野武の4作目の映画です。

「ソナチネ」の興行収入は8,000万円と振るいませんでしたが、今では北野映画の初期の傑作として知られています。

また、日本映画界、そしてドラマ界の名脇役として知られた大杉漣が初めて北野映画に出演した作品でもありました。

「ソナチネ」は、全編を漂う退廃的な死のイメージが印象的な芸術性の高い映画です。

1.「ソナチネ」の作品紹介

公開日: 1993年6月5日 (日本)
監督・脚本: 北野武
製作: 奥山和由
出演者:ビートたけし(村川)、国舞亜矢(幸)、大杉漣(片桐)、渡辺哲(上地)、勝村政信(良二)、寺島進(ケン)、逗子とんぼ(北島組長)、矢島健一(高橋)、南方英二(殺し屋)

2.「ソナチネ」のあらすじ

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(画像出典:https://bibi-star.jp/posts/4170)

それでは、「ソナチネ」のあらすじをご紹介します。

ネタバレなしとネタバレありに分かれています。

映画を観るまで結末を知りたくない方は、ネタバレなしをご覧ください。

「ソナチネ」のあらすじ(ネタバレなし)

ヤクザの組長村川は、北島組長と幹部の高橋から沖縄行きを命じられます。

友好関係にある中松組を支援するためでした。

沖縄では中松組の仲間が待っていて、村川たちを快く迎えます。

中松組の組長も「おおげさなことではない」と言ってくれました。

しかし不穏な空気が村川たちを襲い始めます。

「ソナチネ」のあらすじ(ネタバレあり)

広域暴力団北島組傘下の村川組の組長村川(ビートたけし)は、北島組長(逗子とんぼ)と幹部の高橋(矢島健一)から沖縄行きを命じられ、中松組を支援することになりました。

北島と友好関係にある中松組が、沖縄の阿南組という暴力団と抗争になっているというのです。

以前の抗争で自分の手下を3人も失っている村川は気乗りがしませんでしたが、北島の「すぐに手打ちになる」という言葉を信じ沖縄へと向かいました。

沖縄では上地(渡辺哲)や良二(勝村政信)が待っていて、村川たちを快く迎えてくれます。

中松組の組長も「おおげさなことではない」と言ってくれましたが、不意をつくように阿南組の襲撃に遭い村川は多くの組員を失ってしまいます。

状況が深刻化していることを知った村川たちは沖縄の都会を離れて田舎へと隠れます。

田舎に避難していた村川たちは、子供のような遊びに興じ、日々を無為に過ごしていました。

ある時、殺し屋が現れ仲間のケン(寺島進)を殺害し、さらに村川は次々と仲間を失っていくのでした。

3.「ソナチネ」のみどころ

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(画像出典:http://keepitmoving-blog.com)

続いて「ソナチネ」のみどころを6つ紹介しましょう!

死への憧憬

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(画像出典:https://bibi-star.jp/posts/4170)

ストーリーの序盤で村川は、手下のケンに「ヤクザを辞めたくなった」と言っています。

彼はその理由を疲れたからと言うのですが、疲れたというのは何かを象徴する言葉で、他に理由がありそうです。

それではヤクザを辞めたくなった理由とは何なのでしょうか?

村川の組は景気が良いので、北島組長からは睨まれているほどですね。

ヤクザの組長として仕事、金、女など全てを手に入れ幹部の高橋にも無礼な態度を働く村川は、向かうところ敵なしに見えます。

言うことを聞かない者に対しては、相手がカタギでも暴力でカタをつけようとします。

ヤクザとして充分に成功を収めた村川は、生きるために何らの心配もありません。

しかしそれゆえに、終わりなき日常を淡々と過ごさねばならない虚しさも生じるのです。

目指すべき目標がある訳でもなく、羽振りの良い生活を維持していくだけの人生。

「ヤクザを辞めたくなった」という発言の背景には、村川の無常感を感じ取れますね。

もはや同じ毎日がくるくると続いているだけであり、変化が起きたとしても、それはヤクザである自分にとって想定の範囲内であり予期せぬ喜びとはなり得ません。

例えば村川は、沖縄に行った後に阿南組から突然の襲撃を受け肝を冷やしました。

そして田舎へ避難することを余儀なくされます。

しかしこんな変化は、村川にとっては当たり前過ぎるほど想定の範囲内である訳です。

ヤクザなんですから、いきなり命が狙われることはあるでしょうからね。

仮に、突然の襲撃に対処し阿南組から中松組を守ったとしても、それはヤクザとして組長の指示に従ったまでで何ら新しいことではないです。

彼にとっては仕事を遂行したに過ぎません。

そこに予期せぬ喜びはありません。

こう考えてみると、村川が「ヤクザを辞めたくなった」理由に「疲れたから」という言葉に象徴させたのは、拭い去ることができない無常感が背景にあるんじゃないかと思います。

村川は、北島組長が中松組を潰し更に村川組も殺害しようとしていることを知ると、阿南組もろとも北島組をも壊滅させます。

しかし、全てを終わらせた村川に生きるための意欲は失われ、銃で頭部を撃ちぬき自らの手で人生を終わらせるのでした。

ソナチネを見終わった時に感じるのは、村川はまるで死を憧憬するかのように生きているように見えるということです。

遊びに興じるヤクザたち

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(画像出典:https://katsudo.exblog.jp/21911105/)

「ソナチネ」は東京編と沖縄編に分かれています。

東京編では、北島組長に沖縄行きを言い渡されるまでの村川たちは威勢が良く描かれていました。

沖縄編では一転して、北島組の罠にはめられて村川の仲間たちは次々と死んでいきます。

しかし、死を迎える前の村川たちは、まるで童心に返ったかのように遊びに興じていきます。

花火の打ち合い、フリスビー、相撲、ロシアンルーレットなどを楽しんでいました。

途中、幸という女性が現れ、彼女も遊びに混ざりますが、彼女の登場により、村川たちはまるで少年で、幸の方は少女のように見えてきます。

遊びは、やがて訪れる北島組や阿南組との戦いを前にした束の間の休息でした。

楽しく遊びに興じているにもかかわらず、また、沖縄の穏やかな海が和やかさを供するにもかかわらず、遊びに興じるヤクザたちの平穏が直ぐにでも破れてしまうことを予想させずにはおきません。

沖縄に着任して早々に、阿南組からの襲撃に遭って以来、いずれ戦わざるを得ない現実は刻々と迫っているのです。

ヤクザにとっては、暴力の引き金を引いたらどちらかが勝つまで戦いを続けなければなりません。

そこに遊びに興じる時間が訪れたとしても、それは束の間の休息に過ぎずやがて現実に引き戻されてしまいます。

少年で居続けることなどヤクザには許されていませんでした。

遊びのさなかに訪れる殺し屋の銃弾がケンの頭を打ちぬいた時、遊びの時間は儚い夢だったかのように消えていきます。

北野監督によって個性を開眼されたキャスト

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(画像出典:https://bibi-star.jp/posts/4170)

「ソナチネ」は、村川が北島組長に沖縄行きを命じられ、行ってみるとそれは北島の罠だったことが分かり、返り討ちにして、村川は自決するというストーリーです。

シンプルなストーリーに実に多くのキャストが登場しますが、これらキャストが「ソナチネ」のみどころのひとつになっています。

北野武監督によって個性を開眼されたキャストを紹介しましょう。

  • 大杉漣(片桐)
  • 寺島進(ケン)
  • 幸(国舞亜矢)
  • 矢島健一(高橋)
  • 村川(ビートたけし)

大杉漣は、「ソナチネ」が初めての北野映画でした。

大杉は、「ソナチネ」出演のためにオーディションを受けようとしますが遅刻してしまい、落ちたと思ったら受かっていたというエピソードが知られていますね。

大杉は、当初は東京だけの出演だったようですが、北野監督によってどんどん個性を引き出され沖縄編にまで登場します。

冷静沈着な物腰と周囲に畏怖させる凶暴さを兼ね備えた片桐役を見事に演じました。

本作以降、大杉は北野映画の常連となります。

ケン役の寺島進は、北野監督のデビュー作「その男、凶暴につき」から出演しています。

良二役の勝村政信との軽妙なやりとりが魅力的でした。

最後は殺し屋にあっけなく殺されます。

幸役の国舞亜矢は、「ソナチネ」で見事な上半身ヌードを披露しています。

沖縄の田舎で子供のようにはしゃぐ村川たちが少年だとすると、幸は少女の役を引き受けていました。

少年はやみくもに突っ走りバタバタと殺され、村川も自殺しますが、幸はそんな少年たちを「ばかやろう」と評し、寂しくも突き離していました。

村川のライバル高橋を演じた矢島健一も強烈なインパクトを残しています。

序盤では村川に暴行され、村川を貶めようと画策するも失敗して拷問の果てに手榴弾で車もろとも爆破されてしまいます。

高橋の死は「ヤクザを辞めたくなった」という無常感にも通じる無残な死に様でした。

最後に主演のビートたけしです。

村川の表情からは、全てを見透かしたような透徹した眼差し、ヤクザとしての日常を淡々と生きる者を体現する感じが伝わってきます。

徹底して感情を排したたけしの演技なくして「ソナチネ」は成立しないといえると思います。

久石譲の印象的な音楽

北野の映画には久石譲の音楽が使われることが多いです。

「ソナチネ」ではオープニングから「アクト・オブ・ヴァイオレンス」というピアノの旋律が聞こえてきます。

これが本作を彩る久石の音楽です。

決して耳触りの良い曲ではないはずなのですが、非常に印象的でずっと聞いていても飽きない。

人を何かに急きたてるかのような切迫した雰囲気がピアノから感じ取れ、映画全体を貫いていきます。

ヤクザという、死と常に背中合わせの職業に身を落とした登場人物たちを死へと誘うように、久石の音楽は奏でられていました。

「ソナチネ」を思い返す時、久石の音楽を抜きにしては思い返せないほど強く印象に残ると思います。

感情を排しているのに美しい映画

北野の映画は感情を排していることが多いです。

処女作「その男、凶暴につき」や2作目の「3-4X10月」もそうでしたし、最新の「アウトレイジ」シリーズも比較的感情を排していました。

その中でも「ソナチネ」は、徹底して感情を排した作品です。

序盤でノミ屋のオヤジを水責めで殺し、また、幹部の高橋を銃で拷問し、終盤で北島組を一網打尽にする場面の全てに感情がありません。

仲間が殺されても村川は悲しい表情さえ見せません。

恫喝する片桐を除けば、登場人物が感情的に怒ることもないんですね。

そんなに感情を排した映画なのになぜ共感できるのか。

それは「ソナチネ」の映像が美しいからで、灰色の市街地や沖縄の海で遊びに興じる男女に至るまで、北野監督の詩情豊かな美意識が画面に横溢しています。

何事に対しても感情的になれない登場人物たちのストーリーを描きながら、画面は美しい。

神の目が見つめるかのような客観的な視線は、「ソナチネ」の世界を美しく彩っていました。

Erioの視点

ここからは、ライター・Erioの視点でみどころを伝えていきたいと思います。

私は、「ソナチネ」を北野武(ビートたけし)監督の私小説的な映画だと感じました。

その理由と共にみどころをお伝えしていきます。

「ソナチネ」の主人公村川(ビートたけし)は、映画の序盤で「ヤクザを辞めたくなった」と言い、ロシアンルーレットの真似ごとをして、自殺する夢を見て、現実でも自殺していますね。

みどころに「死への憧憬」と書いたくらい、「ソナチネ」は結構厭世的な映画なんですよ。

それでは、なぜ北野監督はこんな映画を撮ったのか?

北野はお笑い芸人として、1989年には既にBIG3ともてはやされ、芸人として頂点を極めました。

しかし、どこかで虚しさを感じていたんじゃないかと思います。

それが「ソナチネ」の冒頭のセリフ=虚しさの表現に繋がります。

ヤクザを辞めたくなったなあ

なんかもう疲れたよ

そして、「ソナチネ」の公開から1年後の1994年。

北野はバイク事故を起こして一時は再起不能とまで言われましたが、なんでこんな事故を起こしたのかいまひとつ分からないんですよ。

でも、「ソナチネ」を見た上で振り返ってみると、この事故は自殺未遂だったんじゃないかと思えたものです。

そもそも北野映画は「その男、凶暴につき」「3-4X10月」「ソナチネ」の4作品において、主演のたけしが必ず死にます。

映画を撮っているのはたけし=北野武ですから、北野自身が死にたがっているんじゃないかと思えるくらい死にます。

上記の点から、「ソナチネ」は北野の私小説的な映画と感じた次第でした。

4.「ソナチネ」はこんな人におすすめ

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(画像出典:http://keepitmoving-blog.com)

「ソナチネ」は北野監督の初期の傑作です。

「ソナチネ」には北野の退廃的な美学が映し出されており、バイオレンス描写が多用されながらもエンターテインメント作品ではありません。

そのため見る人を選びますので、おすすめしたい人を紹介したいと思います。

退廃的な雰囲気の映画が好きな人

「ソナチネ」は、主人公村川による死への憧憬を描いた映画です。

ヤクザが遊びに興じるシーンはあるものの、全編を通して無常感、虚無感を感じます。

映画が公開されたのは1993年で、日本経済のバブルが崩壊した後の不況期に公開されています。

景気は循環しますし、いくら富を追い求めてもいつかは不況が訪れるものです。

「ソナチネ」の村川のようにヤクザとして成功しても、何かを手に入れたと思ったら幻のように消えていく。

白熱したバブル経済の後には、無残にも崩れ落ちた企業とそこに勤めていたサラリーマンの姿が残りました。

「ソナチネ」の公開当時には、そういった日本経済の背景があったのです。

少し深読みに過ぎるかもしれませんが、「ソナチネ」が公開された時代背景も、映画の退廃的な描写に影響していると感じられます。

「ソナチネ」の退廃的な描写は、北野監督の美学と言って良い程に昇華されていて美しいです。

退廃的なものに対して憧れや美を感じる人にとって、「ソナチネ」の退廃的な美学には強く共感できるでしょう。

ケンが目の前で射殺されても茫然としている村川の顔、高橋を拷問中に笑みを浮かべる村川の顔、そして北島組を一網打尽にして自らの頭部を打ちぬく村川の顔。

あるいは、人形のように殺されていく村川の仲間たちの倒れゆく姿。

こういった、暴力や死に対してセンチメンタルになることなく淡々と描き、時には登場人物に笑みを浮かべさせる「ソナチネ」の退廃的な美学は、退廃的な雰囲気の映画が好きな人にとっては堪らない作品となると思います。

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