差別を隠してはいけない!映画「砂の器」のあらすじと感想【ネタバレアリ】

今回は映画「砂の器」について紹介します。

この作品はハンセン病に対する差別によって引き裂かれた父子の宿命を描いた作品です。

物語は殺人事件の犯人を捜すという軸で展開していきます。

ハンセン病にかかった千代吉を描くシーンではメイクもリアルにされていて、ハンセン病に対する差別を助長するのではないかという批判も起こった問題作にして大ヒット作です。

古い作品ですが私はこの作品の訴えていることは現在にも通じると思い、おすすめしたいです。

それでは始めましょう。

1,「砂の器」の作品紹介

公開日:1974年10月19日(日本)
監督:野村芳太郎
原作者:松本清張
原作:砂の器
出演者:丹波哲郎、森田健作、加藤剛、島田陽子、山口果林、緒形拳、他。
受賞歴:毎日映画コンクール大賞、ゴールデンアロー賞、モスクワ国際映画祭審査員特別賞、他。

2,「砂の器」のあらすじ


画像出典:http://asa10.eiga.com/2019/cinema/912.html

「砂の器」の物語は複雑に進行していきます。

今西の捜査を追っていけば物語の展開にもついていけるでしょう。

それではあらすじを紹介します。

「砂の器」のあらすじ(ネタバレなし)

刑事の今西と吉村は東京の鎌田駅で起きた殺人事件の犯人を追います。

殺人犯を探す手掛かりは被害者が殺される前日に近所のバーで連れの男と東北訛りの言葉で話していたこと。

そして、その会話の中には頻繁に「カメダ」という言葉が出てきたということです。

このヒントを手掛かりに捜査を続けていきますが、何度も捜査は暗礁に乗り上げてしまいます。

それでも根気強く操作を続ける今西と吉村。

捜査の途中で偶然、売れっ子作曲家の和賀英良に会います。

さて、その後の展開は?!

「砂の器」のあらすじ(ネタバレあり)

この物語は東京蒲田駅で残酷な殺され方をした死体が発見されることから始まります。

ベテラン刑事の今西と若手刑事の吉村が犯人を捜すために奮闘します。

犯人捜しは難航を極めて今西は何度も手掛かりを求めて地方に赴きますが、手掛かりを得ることが無いまま帰ってくることもありました。

電車の中で偶然見つけたコラムには女性が何か白いものを電車からばらまいている様子が書かれていました。

吉村は新聞に書かれていた女性がホステスとして働いていることを知ります。

直接話を聞くためにホステスの理恵子を訪ねますが、逃げられてしまいます。

このことに吉村は気づきません。

理恵子が働く店には元大蔵大臣の娘と共に有名作曲家の和賀英良が入ってきます。

英良は現在「宿命」という曲を発表する直前でした。 

事件から数カ月がったのち、殺された遺体の身元が判明します。

岡山に住んでいる三木謙一という男でした。

田舎から、息子がやってきて身元の確認を行いました。

息子の証言によると謙一は旅行に出かけたものの東京に行く予定はなかったはずでした。

三木は元警察官であり島根県で20年ほど働いていました。

三木は非常に立派な人格で誰かに恨まれるようなことはない、と息子が証言しています。

一方で、今西は犯人捜索のヒントとなっている東北弁について言語学の研究者から有力な情報を得ることに成功します。

島根県にも東北弁に似た方言があるということです。

今西は島根県に「かめだけ」という地名があることを発見し、すぐに現地へと向かいます。

「かめだけ」で今西は三木の人柄について話を聞いて回ります。

聞く人、聞く人三木の人柄に対して「仏のように真面目で本当にいい人」だと話します。

息子の証言が裏付けられたことになります。

三木の人柄を表すエピソードとして、三木はかつて父子の乞食を保護し、病気だった父親を病院に入れ、子供は自分で育てたとのことでした。

今西は三木が誰かに恨みを買っていれば、恨んでいる人物に的が絞れると思っていましたがこの方法も空振りでした。

別行動をしていた吉村は女性が電車からまいた白いものを捜索していました。

線路の近くで赤いしみがついた白い布の破片を見つけることに成功します。

血液型検査では白い布についていたものは血であり、O型であることがわかりました。

これは三木の血液型と一致します。

この事実がきっかけで、吉村が直接話を聞きに行ったものの姿を消してしまったホステスである理恵子の捜索に全力をかけて行うようになりました。

理恵子は作曲家英良の愛人でした。

不倫の関係であるにもかかわらず理恵子は英良の子供を妊娠してしまいます。

不倫関係の間の子供である以上生むことは出来ません。

理恵子は英良に子供を産ませてくださいと懇願しますが受け入れてもらえません。

その後、理恵子は運悪く流産してしまいます。

その流産がきっかけで大量出血をおこしてしまい理恵子も死んでしまいます。

 一方、今西は三木が何故東京に行ったのか捜査を続けています。

三木が伊勢に行ったことは息子と三木との手紙のやり取りで分かっていました。

三木は伊勢に滞在中2日続けて同じ映画館に行ったことがわかりました。

さらに今西は三木が面倒を見たという乞食の親子を捜索してみようと思い、乞食の父千代吉の家を訪ねます。

義理の姉の証言によると千代吉には秀夫という息子がいたということを知ります。

今西は作曲家和賀英良の戸籍を調べるために大阪へ向かいます。

今西の調べによると英良の両親は空襲によって亡くなっていました。

役所の役員に話を聞くと空襲の時に戸籍は全て燃えてしまい、再度作り直したものだとのことでした。

戸籍を再度作り直すときには生きている人の申し出によって作り直すとのことでした。

そして、和賀夫妻には子供がいないということも発見します。

そこで今西は犯人が和賀英良であるということを突きとめます。

 和賀英良が新曲である「宿命」を演奏している間に今西は報告会で事件の真相を他の警察の人々に説明します。

千代吉はハンセン病にかかっていました。

そのため、住んでいた村を追われて放浪する生活を強いられていました。

千代吉と英良は乞食となって村々を放浪します。

訪ねる村、訪ねる村でいじめや差別にあいます。

それでも、二人はお互いを助け合いながら旅を続けていくのです。

二人が放浪の末、情の熱い三木に会います。

三木は二人を保護し病気にかかっている千代吉を病院に入院させます。

そして、一人になってしまった英良を自分の家で育てようとします。

しかし、英良はいつの間にか三木の元を去ってしまい、大阪で暮らすことになります。

偶然出会った和賀の養子として生活をするようになりますが空襲の際に和賀夫妻を亡くしてしまうのでした。

英良という名前にして、自分の過去を消そうとします。

 今西と吉村は英良の逮捕状を持ち、舞台袖で「宿命」の演奏が終わるのを待ちます。

 3,「砂の器」のみどころ


画像出典:http://kiddushin.jugem.jp/?eid=114

「砂の器」にはみどころがたくさんあります。

一般的には台詞なしの父子の旅のシーンが見どころとされています。

ここでは、そのほかの見どころを紹介します。

公開された当時は根深い差別のあったハンセン病を取り上げている

この映画は推理サスペンスやヒューマンドラマとして、またエンターテイメント性も優れている一方ハンセン病の差別に対する批判をした作品でもあります。

千代吉が罹っているハンセン病(当時の病名はらい病)は現在では特効薬もあり、治すことが可能な感染病です。

感染力は非常に弱いとされていていますが、舞台設定がされている時代には感染が広がってしまう為、隔離が必要だと信じられていました。

ハンセン病にかかってしまうと皮膚が盛り上がったり、赤や白の色に変化してしまったり、発疹がでてきたりします。

この病気は皮膚や神経が侵される病であり、内臓にはほとんどダメージを与えません。

したがって、この病気によって直接死に至るということはあまりありません。

千代吉もそうでしたが、手は開くことが出来ず、顔の皮膚はケロイドのような状態になってしまいます。

見た目には目を背けたくなるような「醜い」状態になってしまうのです。

この見た目の変化こそが差別を生み、いつしか政府主導の下で療養所に隔離するという体制がとられるようになります。

国の対応だけではなく、市井の人々も見た目から差別を行います。

千代吉は村を追われてしまい、旅をする村々でも差別に遭います。

この映画「砂の器」はハンセン病に対する差別に対して真っ向から立ち向かった作品なのです。 

この作品への批判はハンセン病を擁護する団体から来た

この作品は前にも述べた通りハンセン病の差別に対する批判の映画です。

しかし、この映画の倫理性を問う批判は全国ハンセン病療養所入所者協議会からなされるのです。

映画の内容では父がハンセン病にかかっていたということを隠すために殺人を犯す。

放浪するハンセン病患者をいじめるシーンなど残酷な設定やシーンがたくさんあります。

そのため、ハンセン病の差別を助長するとして、この作品を公開や製作を中止するように要請しました。

この要請に対して制作陣は映画を全国で上映することで、ハンセン病への偏見や差別をなくす意図があるとしてこの要請を拒否します。

ただし、この要請を受けて作品の最後のシーンにハンセン病に対する差別に対する批判が字幕スーパーという形をとってメッセージになっています。

映画は映像で物語るものであるためこういった文字に起こしたメッセージは珍しいものと考えてよいのですが、これは実際にハンセン病で苦しむ人々やその関係者に対する配慮でもあるのです。

4,「砂の器」私の視点


画像出典:https://tevye53.com/66-suna-no-utsuwa/

この映画のラストをどう見るか?

特に千代吉が息子に対していった台詞は印象的です。

私がこの作品に対して感じたことを紹介します。

主人公は何故、三木を殺さなければならなかったのか?

この映画の物語として一番謎なのは英良が何故世話になっていた三木を殺すに至ったのかということです。

登場人物のセリフを基に推測すれば、父がハンセン病であるということを隠すためということになります。

しかし、物語は父と子への愛を描いている部分も多くあり、英良がハンセン病の患っている父との関係を捨てたいとは思えません。

また、千代吉の死期が近いことを英良に伝え、共に会いに行こうとした三木に英良はかなり世話になっています。

英良の殺害に至る動機は作品のなかでは深く掘り下げられていないため見る人の推測に委ねられます。

私は英良の殺しの動機が良くわかりませんでした。

自分の過去を消したいというだけでは理由不足のような気がします。

英良は自身の作品である「宿命」の中でしか父と会いたくなかったんだという議論も存在します。

しかし、この議論は文学的な解釈過ぎるかもしれませんが、私にはこの見方が一番英良の殺人の動機を表しているように思えます。

最終的な解釈は映画を観た一人一人に委ねられるのです。

ハンセン病を正面から描いた骨太の作品

原作者の松本清張も映画にした監督や脚本家はハンセン病とハンセン病者への差別の問題を臆することなく社会に問うています。

物語の舞台設定となっている時代は国家主導のもと隔離政策が為されていました。

その後、時代が経て、原作や映画が製作されている時代には既にハンセン病を治す技術や薬が開発されていました。

しかし、それでも決して差別が根絶されたという訳ではなく根強く人々の心に根差しています。

実際に、ハンセン病患者への差別を不服とする裁判も始まっていましたが答えが出ないままの状態でした。

この映画の公開は擁護すべきハンセン病差別の被害者からも反論されてしまいます。

それでも、制作し続けたのは作品に対する情熱と差別への怒りです。

当時、進行形で続いていた社会問題を正面から扱ったのは勇気のある行動だと評価できるでしょう。

5,「砂の器」をおすすめしたい人


画像出典:https://www.cinra.net/news/20180726-sunanoutsuwa

この作品は公開当時大ヒット作品となりました。

現在でもドラマでリメイクが何度も行われています。

それは、現在にも通用する作品だからです。

ここからは、この映画をおすすめしたい人を解説します。

息子を持つ父親と子供たち

成長した息子である英良は劇中で父親に直接会うことはありませんでした。

ハンセン病に値する差別が最後まで父と息子を離れ離れにさせてしまったのです。

英良は「宿命」という音楽を奏でることで、思い出の中にある愛する父親と再会しています。

自ら作曲した音楽によって幼い頃の記憶が英良の脳裏に蘇り、自ら思い出に浸っているのです。

「宿命」がBGMとして流れている間は台詞なしの長いシーンが続きます。

この部分は映画批評家からの評価が高く、今でも語り継がれている演出となりました。

父と子が乞食となって方々を旅するシーンには差別を受けていたことを表現するシーンがたくさん登場します。

しかし、一方で父と子の仲睦まじいシーンも多く描かれています。

軒下で共に食事をするシーンや、いじめられている息子を助けようとする父親の姿を描いたシーンは台詞や心情を加えなくても映像だけで父と子の愛が表現されています。

父と息子をテーマにした映画は数えきれないほどあります。

「砂の器」はそんな数多い映画の中でもひときわ父と子の愛の表現に成功した作品です。

息子を育てている父親や、物心がつき始めた子供にもおすすめの映画です。

人を見た目で差別をしないという人


画像出典:https://blogs.yahoo.co.jp/reostandablaze/48888033.html

人を見た目で判断しない、という言葉は古くからよく使われている言葉です。

しかし、何らかの病気によって肌がただれているような人を見たら私たちは全くいつも通りのリアクションをとれるでしょうか。

表面的に差別をしないという態度をとったとしても、心の中はどうでしょうか。

何らかの動揺をしていませんか。

むしろ、一般的な人と違う違和感を覚えれば人は動揺してしまうのが当然だと思います。

危険なのは個人個人が心の奥深くに理性で押し込めた「違和感」ではないでしょうか。

現在の社会ではハンセン病に対する理解も深まり、裁判所での判決も国家主導の差別があったという判決を下しています。

しかし、ハンセン病から回復した人々は今でも療養所で生活している人もいます。

ハンセン病にかかった人の姿は非常にインパクトのあるものであり、漫画でオマージュされていることもあります。

漫画家の伊藤順二が描いた作品は最近ホラーアニメとして放映されています。

このアニメを見た人の中の何人がハンセン病を意識したでしょうか。

漫画家やアニメ制作者には何も悪気はないでしょう。

しかし、このことが無邪気に差別をしてしまっている場合もあるのです。

そんな彼らがハンセン病者に実際に会ったらどのようなリアクションをとるでしょうか?

ホラーアニメに出てきたような人が実際に目の前に現れたとしたら……。

ハンセン病への差別は国家をも巻き込んだ公然の差別へと進化しましたが、これらの差別の元は人間一人一人にあります。

倫理観や理性によって心の内奥にしまった「違和感」は権力者に認められれば簡単に表面化して、一部の人を徹底的に叩いてしまうことになるのです。

私はここで、公然と内的な「違和感」を表現しましょうとは言っていません。

見た目で差別をしてはいけないという道徳や倫理はもちろん大事です。

しかし、ハンセン病に変わった何らかの病気がこれから蔓延した時、私たちは差別をしないと言い切れるでしょうか。

今一度、一人一人の感情や心を探る必要があります。

「砂の器」は差別に対する私たちの態度を今一度考えさせてくれる映画だと私は思います。

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