【あらすじ・ネタバレ】映画「おおかみこどもの雨と雪」家族心理学から見た子育てについての考察

おおかみって好き?

こんにちは。エンタメブリッジライターのriezoです!

今回は、アニメーション映画の「おおかみこどもの雨と雪」について重箱の隅をつついていきたいと思います!

本作は、細田守監督の「サマーウォーズ」に次ぐオリジナル長編作品の第2作目です。

細田監督がこの作品を作った理由は、周りに子育てを始めた人間がいたからだそうです。

なるほど、確かにこの作品は「子供の成長」ということが1つのテーマになっています。

ところが、この「おおかみこどもの雨と雪」で描かれていることはそれだけではなく、いろいろな目線で物語の展開を見ることで気づくことがあるのです。

ひとつのひとり親家庭の話としてこの家族を見た時に見えてくることを超個人的な考察とともに解説していきたいと思います。

それではどうぞ!

1.「おおかみこどもの雨と雪」の作品紹介

公開日: 2012年7月21日(日本)
監督: 細田守
原作者: 細田守
原作: おおかみこどもの雨と雪
出演者:宮崎あおい(花)、大沢たかお(おおかみおとこ)、大野百花(雪/幼年期)、黒木華(雪/少女期)、西井幸人(雨/幼年期)、加部亜門(雨/少年期)、菅原文太(韮崎のおじいちゃん)
受賞歴:第36回日本アカデミー賞、最優秀アニメーション作品賞。第45回シッチェス・カタロニア国際映画祭アニメーション部門(Gertie Award)、最優秀長編作品賞。第16回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門、優秀賞第30回ゴールデングロス賞、優秀銀賞。第3回ロケーションジャパン大賞、グランプリ。第67回毎日映画コンクール、アニメーション映画賞。第16回ニューヨーク国際児童映画祭、長編観客賞。

2.「おおかみこどもの雨と雪」のあらすじ


画像出典:https://movie-tsutaya.tsite.jp

「おおかみこども」っていうぐらいですから、狼の子どもの話なんだろうというのはわかります。

狼に育てられた?狼から生まれた?え、野生児の話?などなど想像を駆り立てられるタイトルですが、まずはあらすじを見ていきましょう。

これから観るから内容は知りたくない!という方はネタバレなしだけどうぞ。

「おおかみこどもの雨と雪」のあらすじ(ネタバレなし)

大学生の花は、ある日見かけない青年が哲学の講義に出席していることに気づきます。

彼は大学の学生ではなく、無断で教室に紛れこんで聴講している勤労青年だったのでした。

その青年のことが気になった花は、教科書を貸してあげたり図書館に一緒に連れて行ったり何かと便宜を図ってあげるのです。

そして若い2人はいつしか恋愛関係に。

しかしその青年は、狼男だったのです。

一緒に暮らし始めた2人の間には、やがて女の子と男の子の子供が生まれるのでした。

ところが、これから、というときに父親である狼男はあっけなく死んでしまうのです。

幼い子ども2人を1人で育てなければならなくなった花

ここから親子の物語が始まるのでした。

「おおかみこどもの雨と雪」のあらすじ(ネタバレあり)


画像出典:https://movie-tsutaya.tsite.jp

おおかみの彼には名前がありません。

クレジットを見ても、「狼男」とだけしか書いてないんですね。

狼男の「彼」っていうだけの存在。

哲学の授業に潜り込んだり本が好きそうだから、文学的な青年なのかな、という想像はつきます。

たぶん花も同じようなタイプだったんでしょう。

花は一目見て彼のことが気になり、好きになっちゃうんですね。

彼は100年前に絶滅したと言われるニホンオオカミの末裔で、オオカミとヒトが混ざり合った血を受け継ぐ者だそうです。

オオカミとヒトが混ざり合うとは?!

その辺のことは詳しく説明されていないのでよく分かりませんが、とにかく混ざり合ったんだ、ということです。

そして花が彼の正体を知った夜、2人はまざりあった、もとい、結ばれるのですね。

おおかみの姿になった彼に「怖い?」と聞かれたときに答えた花の言葉。

怖くない。あなただから。

おお!なんというダブルミーニング!

まさに今から彼と結ばれんとする、肌もあらわにしたそんな姿でこんな事を。

ところで、そもそもなぜオオカミ男という設定なのでしょうか。

細田監督はあるインタビューで、「子育てのいろいろな苦労や喜びが面白いと思い、それに入りやすい要素として狼男の子どもを育てる話にすると、みんなが共通して楽しめるんじゃないか」というようなことを言っていました。

別に「男はオオカミなのよ!」っていう俗な言葉を具現化したわけではないようです。

ただ、この「おおかみの血が混ざってる」というところがこの映画のテーマにとって必要なツールともなっているので、その辺は後で考察していきます。

さて、いよいよ心も体も結ばれた花とおおかみ男には、やがて2人の子供が生まれます。

雪の日に生まれた長女の雪と、雨の日に生まれた弟の雨です。

これから家族4人で幸せな生活を送るのか、と思った矢先に、あっけなくおおかみ男のお父さんは死んでしまいます。

これがまた本当にあっけなくて、死というものは実に唐突にやってくるのだといわんばかりの最期でした。

川に浮かんでいるニホンオオカミの死骸を、ゴミ収集車が回収しておしまい。

「これは騒ぎになるぞ!絶滅したニホンオオカミが東京にいたことがバレる!」

そんな私の心配をよそに、しかし物語は淡々と先に進んでいくのでした。

あっという間にシングルマザーになってしまった花は、おおかみの血が半分混じった2人のおおかみこどもの子育てに必死です。

おおかみこどもであることがバレてしまわないように、人目を忍びつつ試行錯誤の究極ワンオペ育児。

でも花は子どもたちのためにがんばります。

がんばって、がんばって、がんばって、がんばって、、、、、。

ついに都会での子育てに疲れ果て、山奥の田舎の一軒家へと引っ越していくのでした。

大きな一軒家は古い日本家屋です。

というか廃墟です。

そのボロボロの廃墟を、またしても花はたった1人で屋根から壁から床から畳から、DIYのレベルを超えたものすごいスキルで修繕していきます。

住む場所も決まり、ご近所(といっても隣の家まで車で5分とか)にも溶け込んで、やっと雪と雨を育てていくフィールドができました

これがこの映画の前半。

ストーリーは花を中心に描かれています。

そして、ここから後半は雪と雨の成長にフォーカスを当てて物語が進みます。

子どものころから活発で、おおかみであることが楽しくてしかたなかった雪と、小さいころから病弱で気も弱く、なんで自分はおおかみなんだろう、と悩んでいた雨。

しかし成長するにつれて、その内面に変化が起きてきます。

小学校で他の少女たちと自分の女子力の違いにショックを受けた雪は、だんだん女の子らしくなり、おおかみである自分を抑えていきます。

雨は学校に馴染めず、むしろ山に入って自然に順応し、いつしか山のきつねを「先生」と呼んで、山で生きていくための知恵を学び取っていきます。

おおかみである自分が強く内面化していくのですね。

かねてから母親である花は、おおかみとして生きていくのか、人間として生きるのか、その選択はいずれ子どもたちがすればいい、そう考えていました。

しかし、いざ雨がおおかみへの道を選ぼうとしているのを知った時、花はそれを止めようとします。

なんだかんだ言ってやっぱり普通の母親です。

でも雨はそんな母を置いておおかみとなり、山に帰っていってしまいます。

かたや雪はというと、東京からの転校生の草平に淡い恋心を抱きます。

しかしおおかみであることをコンプレックスとして感じ始めた雪は、とあることから学校でおおかみに変身してしまい、あろうことか草平を傷つけてしまいます。

おおかみであることを誇りに感じ始める雨とは反対に、おおかみなんかになりたくない雪。

大雨で授業が中止になったある日、親が迎えにこなかった雪と草平は2人きりで学校に取り残されます。

夜の教室で、自分の秘密を打ち明ける雪に、草平は言いました。

知ってた。あのときの狼が雪だってこと。でも雪の秘密だれにも言ってない。だから、、もう泣くな。

おおーーー!!なんというイケメン発言!

草平は自分の家庭も複雑で、お母さんが再婚して妊娠したために自分で家を出てしまうのです。

大人びるわけだ。

でもなんだか、このままあの日の花とおおかみ男のようになってしまうのではないか、とドキドキしてしまうのは私が汚れた大人だからでしょうか。

いえ。たぶん違います。

この場面は、まさに花とおおかみ男が初めて結ばれたあの時のオマージュだと思います。

学校の階段の踊り場には大きな鏡があります。

細田監督はその前に雪と草平を立たせて、鏡に映ってる自分たちを見つめるシーンを描いています。

まぎれもなく花は草平に、おおかみ男は雪に投影されていると言っていいと思います。

草平に自分の秘密を打ち明けた雪は、人間として生きる道を選んでいくのです。

さて、おおかみになることを選んだ雨はどうしたのでしょうか。

山へ帰ろうとする雨を止めたかった花ですが、立派なおおかみになって雨上がりの峰で遠吠えをする姿を見た時に、一人前になった雨の成長を受け入れます

年老いたきつねの「先生」は大雨の日に死んでしまいました。

雨は「先生」のあとを継ぎ、山を守るリーダーとして力強く生きていくでしょう。

やがて中学生になった雪も学校の寮に入るために家を出ます。

こうして子どもたちが育っていったあと、花は1人で山の一軒家で生きていくのでした。

3.「おおかみこどもの雨と雪」の見どころ


画像出典:https://movie-tsutaya.tsite.jp

映画を観た時、その作品の見どころや解釈を述べる際に、いつも少し不安になります。

それは自分の観方は間違っていないのか、解釈の仕方はズレていないのか?!ということです。

この作品についても同様で、レビューを見ると様々な意見が飛び交っていますが、私なりに感じたこの映画の見どころについて書いていきます。

子育てという名の果てしない戦い


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私も子育ての経験があるので、花の苦労とか大変さは分かる部分があります。

この作品の中で、雪と雨はおおかみこどもという設定になっているので、興奮したり駄々をこねるときにおおかみに変身してしまうんですが、あれ、子どもの特性そのものです。

たぶん耳とかしっぽとか見えないだけで、子どもっていうのは興奮したり駄々をこねるときは、ほぼ動物化します。

喜ぶと部屋の中を四つん這いで走り回るとか、いたずらして家の中のものをかじったり、公園に連れていくととりあえず走ったり、傍若無人な行動で人様に白い目で見られたりなどなどなどなど。

だいたいそんなもんです。

子どもって。

だから子どものころの2人を見ていると、別におおかみの子だから、、、っていう感覚はないんですね。

ただ耳が生えたりしっぽが生えたり体がおおかみになったビジュアルがあるから、ああ、おおかみの子だわ、って思うんだけど。

ちなみに、私はまだ寝返りも打てなかったころの我が子を見て、ほぼ虫だな、と思っていたひどい母親です。

そして、そんな半分動物っぽい子どもを、きちんと育てていこうという作業は、ほんとうに終わりのない戦いなのです。

自分の育て方が正しいのか、間違っていないのか、結果はこの子たちが大人になったときに分かるのか、それとも一生分からないままなのか、常に不安と背中合わせなのです。

でもそんな果てしない戦いのなかでも、ふと子どもたちの成長を感じたりっていう報われる瞬間があるんですね。

だからまた頑張れる。

両親が揃って、一緒に同じ方向を向いて子育てをしていければこんなに素晴らしいことはありません。

でも世の中にはいろいろな事情で母親、または父親が1人で子どもと向き合わなければならない家庭もたくさんあります。

花の場合は雨を産んだ直後から、夫であるおおかみおとこが家に帰らなくなり、挙句の果てにゴミ収集車で回収される現場を目撃するという、産後うつになりそうな状況にあって1人きりで2人の子どもたちを育てていきます。

リアルにこんな状況になったら、自治体の福祉窓口に駆け込んだり、受けられるだけの手当てに頼るところです。

でも花さんちの場合は、おおかみの子を育てているっていう状況なので、福祉どころかママ友もいなくて、ほんとに1人で育児書片手に奮闘するわけです。

だからもちろん予防接種なんかも受けさせないから保健所からマークされる。

このご時世、虐待してるんじゃないかって疑われてもおかしくない状態です。

で、ここでちょっと考えてほしいのは、この映画の中では子どもが半分おおかみの血を引いてるっていうことでこんなことになってるわけですが、これって現実に置き換えてみると、いろいろなパターンにあてはまると思うんですよね。

なんらかのマイノリティ性を持っていたり複雑な家庭環境だったりで、他人とかかわることに躊躇して孤独な育児生活を送ってしまっている人がいるんじゃないかと。

花の場合は、ポジティブに転換していけたので悲惨な結果にはならなかったけれど、現実の世界では子どもの命が失われたり悲しい結果になることも、ままあるのではないかと。

映画の中では子どもを病院に連れていこうとするときに、小児科と動物病院で迷うっていうシーンがあるんですが、そういう「どうしたらいいのか分からない」ことっていっぱいあります。

っていうか、初めてのことだらけで分かるわけないじゃん、と。

おおかみこどもっていうメタファーが使われているけれど、子どもを育てたことがある人はうなずける部分が多々あるんじゃないかと思います。

夜泣きが激しい雨をつれて夜中に散歩するなんて、私の周りにもそういうママ達はたくさんいましたから。

生活感だらけだけど生活感のなさ


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なんだか禅問答のようですが、花と子どもたちの生活はとても生活感に溢れて描かれている反面、やっぱりどこかファンタジーというか、生活感とか家族の問題っていうのがリアル感をもって伝わってこないところもあります。

それはたとえばひとり親家庭で、収入もないのに「彼」が残したわずかな貯金だけでやっていけるのか、とか引っ越し先の廃屋を花がたった1人で修繕しちゃうとか、そういうご都合主義ともとれるポイントもそうなんですが。

そういうところは、この映画にとってはお膳立てに必要な部分、「まあまあこういう状況の親子です。こういう設定で物語がスタートするんで」みたいなところだと思うので、敢えて目をつぶることにします。

生活感がないと私が思ったのは、花の存在そのものです。

子どもたちのためなら何でもする、これは世の親ならほぼ100%そういう思いで子どもを育てていると思います。

でも親だって人間なんですよ。

いつも菩薩のように笑っていられません。

花は亡き父から、いつも笑顔でいるんだよと言われて育ったために、どんなに辛い状況でも笑顔で乗り切る子になってしまいました。

それって素晴らしいことのように思えるけど、実際は無理じゃないですか。

でも花は子育てに根を上げることもなく、かといって子どもを真剣に叱ったりすることもなく、常に「見守っている」、そんな風に見えるのです。

ずっと前にどこかで誰かが、「子どもは神様からの預かりものだと思うと感情的に腹を立てたりイライラしたりしないものです」みたいなことを言っていたけど、それができたら苦労はない。

もっと子どもとがっつり組み合って、叱ったりぶつかり合っていくのが家族じゃないか!なんて熱弁したくなる方もいるかもしれませんが、ほんとは花みたいに冷静に子どもを見守ることができたらどんなにいいかっていうのは誰もが思ってはいるんです。

でもそれがなかなかできないから、子どもの寝顔にむかって「今日は怒っちゃってごめんね」なんていう感傷的な夜を繰り返す。

たぶんこっちのお母さんの方が多いんじゃないかなと思うのです。

姉と弟の成長


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この作品のメインテーマは、子どもの成長と親離れ、子離れです。

小さいころはお姉ちゃんの雪の方が活発で、すぐおおかみに変身してしまうような子だったんですが、小学校に入り、友達ができたり好きな男の子ができると、人間の女の子としての部分が強く内面化されていきます。

反対に弟の雨は、小学校に入るころから人間としての生活に違和感を覚えて、やがておおかみとしてのアイデンティティを強く意識し、というか、野生が目覚めるんですね。

これを見ると、「おおかみの血」というのは、男性性のメタファーじゃないかと思うのです。

言い方はちょっと変かもしれないけど、子どものころはまだ男とも女とも決定されていない内面の部分が、成長するにしたがって、自分はどちらのジェンダーなのかを意識するようになるんじゃないかと。

そしてこの映画ではその男としてのジェンダーをおおかみをメタファーとして表しているのかなと思います。

雪と雨がどちらも大人へのステップとして一つ階段を上ったのは、あの大雨の日です。

雨は山に入って、おおかみになってしまった。

一人前の男になった、ということです。

かたや雪は、夜の教室で草平に自分の本当の姿をカミングアウトしたときに、同時におおかみであることを捨てたんだと思います。

人間の女性であることを選んだんだんですね。

花は子どもたちが人間とおおかみとどちらの道を選ぶのか、本人たちが決めればよいと言っていました。

まさに2人が自分でその道を決めた瞬間です。

おおかみと人間それぞれの道を選んだ、という表現で思春期の子どもの成長を描いているんですね。

子どもって、大人が思うよりいろんなことをちゃんと考えていて、まだ子どもだろう、なんていう大人たちの甘い予想をはるかに裏切って成長しちゃうものです。

花が山に行ってしまった雨にかまけている間に、雪ちゃんはしっかり1人で大人になっていたんです。

さすが長女。

母親ってやっぱりいざとなると男の子のほうが可愛いんだよね、フン、なんて言いたくなる私も長女です。

雪に関してはかなり前から母子分離完了っていう感じはありました。

しっかり者だと思われがちな長女の性(サガ)でしょうか。

花の笑顔とは

なんで笑うんだ。へらへらするんじゃない。

これは菅原文太さんが声をやった韮崎のおじいちゃんのセリフです。

そう、花は子どものころに亡き父に言われた

無理してでも笑っていれば、大抵のことは乗り越えらえる。

という言葉を常に忠実に守って生きてきた女性です。

だからおおかみ男の彼が待ち合わせに遅れてきたときも、にぱーーー、と笑うだけで許しちゃうし、畑がうまくいかないときにも笑っていた。

辛いときにも笑顔で乗り越える。

これって、一見ステキなことのようだけど、果たしてそうなのかな、とイヂワルなことを言ってみたくなる私はいやな女なのかも。

いや確かにそういうある意味の無頓着さが必要なときもあるでしょう。

だけど、いつもいつも自分の辛さや苦しさを笑顔という落とし蓋で封じていると、健全に悲しんだり怒ったりという感覚を失うのではないだろうかと思うのです。

泣いてはいけない、弱音を吐いてはいけないという悪意のないマインドコントロールをされているような花の笑顔。

それを韮崎のじいさんがぶち壊してくれるかと思ったけれど、ダメでした。

もし花が「いつも笑顔で」という呪詛にも近い言葉を守らない人だったら、雪と雨の2人の子どもたちは違った成長を見せたのか?!

さてどうでしょう。

4.家族心理学から「おおかみこどもの雨と雪」を見る


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おおかみこどもの雨と雪は、家族の話です。

花と2人の子どもたちの家族を、家族心理学という側面から見ると何が見えてくるのでしょうか。

花は夫を亡くしたことでシングルマザーとなりました。

私が大学で学んだ家族心理学では、子どもはひとりの親に育てられたか2人の親に育てられたかではなく、自分が愛された、必要とされていると感じて育ったか、また家庭の崩壊が最小限であったかどうかが肝心である、と言っていました。

その観点から見ると、まさにこの映画の子育ては完璧でしょう。

1人で子どもたちを育て、自立させた花はひとり親家庭の親として、子育てを立派にこなしました。

でもたとえばこれが、おおかみ男である父親がひとりで子どもたちを育てる話だったらどうでしょうか。

慣れない育児に孤軍奮闘する姿もまた映画の中の見どころとなったかもしれません。

そう、男親の育児ストーリーは、「慣れない」家事と育児っていうのが枕詞のようについてまわるんじゃないかと。

でもね、女だって子どもが生まれて自動的に母親になるわけじゃないんですよ。

これがいわゆる母性神話ってやつですね。

女性には生まれながらに母性が具わっている、と考えられているアレです。

そんなわけないのに。

父親だけでなく母親だって、子どもを産んだあと子どもを育てながら自分も一緒に母親になっていくものです。

もし細田監督が言うとおり、純粋に子育てものの映画を作りたかったのであれば、別に母親だけが育てる話じゃなくても良かったわけです。

そもそも子どもを健全に育てるというのが子育ての意味ですが、実はそれは半分の意味で、もう半分は養育者である大人が同時に親として育っていく、という意味を含んでいるんです。

だから父と子の成長っていうところで描いたって、十分子育てモノとして成立したはずなんです。

でも子育て=母の仕事っていう概念があるからこういう設定になったんじゃないか、そんな邪推はしないとしても、じゃあなぜ母親の花1人に子育てをさせる話にしたのか。

それは父性の欠落についても描くためじゃないかと思うのです。

雪と雨にはお父さんがいません。

当然家庭内には父性が欠落しています。

しかし父性とは父親だけが持つものではないのです。

父性とは「社会の規範やルールを教える」ものとされています。

雨は、通常であれば父親から受けるであろうこれらの父性を、山のキツネに求めました。

キツネを「先生」と呼んで生き方を学びとったんですね。

母性や父性、またはこれらを包含する親性、育児性、次世代育成力という概念は、生物学的につながりのある親だけに当てはまるものではありません。

まさに雨とキツネの先生との関係性が物語っていることです。

一方、子育ての半分は親の成長と言いましたが、親である花はどう成長したのでしょう。

花は2人がまだ小さいころは育児書を片手に手探りで子どもを育てていました。

そして、成長しておおかみへの道を選んだ雨に対して、人間の世界にいてほしいと願いながらも最後は立派なおおかみの姿になった雨を見てこう言います。

しっかり生きて!

ここは雨の自立のシーンですが、花が親として成長し、雨に対する子育てが完了した場面でもあるのです。

かたや雪の成長を見てみると、ここはすんなり受け入れがたい部分もあります。

雪は同級生の女子たちの「可愛いもの」信仰を知ることで、自分が他の子と比べて何かが違うんだ、ということに気づきます。

それを母親である花に相談すると、雪の好きなようにすればいい、と言われます。

その結果、雪は花柄のワンピースを作ってもらい、「何度もこのワンピースに救われた」と言っています。

ここでちょっと待った、と言いたい。

この映画の中で、花は子どもたちに女の子らしくとか男の子らしく、という育て方はしていません。

それなのに雪は、女の子は可愛いものが好きだ、ということをクラスの女子から勝手に学びとり、結局自分もそのようなジェンダーロールを引き受けるようになるのか、と。

私はフェミニストではないけれど、この辺の描かれ方を見るとやっぱり男はマッチョ、女は可愛くっていう性別役割感がベースにあるんだなぁと感じます。

山に行って立派なおおかみになった雨の自立は、男は自分の道を見つけ社会に出て独り立ちするものだ、という男性の性別役割を表しているとも捉えられます。

じゃあ雪は?雪は草平との関係性によって自立したとすると、結局女は恋愛によって、もっと言うと、男によって変わるものだ、なんて言っていると思えなくもない。

雪はあの時自分の将来をどのようにビジョンとして持っていたのか、そこははっきり言っていないんです。

まあ将来のビジョンについてはっきり語る小学生女子っていうのもどうかと思うけど、

早く大人になりたい

そう言いながら、なんで大人になりたいのかその先を言っていない。

弟の雨が、おおかみになって山を守らなければ、という確固とした信念を持ったことと比べると、なんかふんわりしてる。

なんとなく、中学から高校に行って、大学に進学して、就職するものの結婚と同時に仕事を辞め、いい母親になる、というレールが敷かれている気がするのは気のせいかな。

第二の花ができあがる予感。

別に花を責めるつもりはないし、それだって立派な女性の生き方です。

ただ、女性の社会参画が多くなってきている現代でも、これがハッピーエンドとされる背景には、やっぱり女は家で子どもを育てるもの、っていう考えが根強いのではないかと思うのです。

5.「おおかみこどもの雨と雪」をおすすめしたい人


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子どもの成長ストーリーとしても、ジェンダーロールを考える課題としてもさまざまな見方ができる「おおかみこどもの雨と雪」。

こんな方に観ていただきたいです!

心理学の側面から家族の在り方を学んでいる人

家族心理学という側面からこの映画を観ると、父性とは、母性とはなんぞやと、考えさせられる部分がいろいろとあります。

性別役割の再生やら父親不在家庭についてなど、テキストで学んだことをこの家族をモデルケースとしてあらためて考えてみるのも良いと思います。

子育てがひと段落ついた人

育児の参考にしようとする人にはあまり現実味がないのでおススメできないかもしれません。

むしろ、もう子育ても終わって、ああ、あの頃は楽しかった・・・なんて余裕が出てきてる人が、

「そうね、子どもってこんなところある、わかるわー

なんて言いながらほのぼの観るのがいいかもしれません。

幼少期の雪と雨が本当に可愛らしいです。

雪を担当した大野百花ちゃんの声がぴったりなのもあるのかな。

いずれにせよ、当たり前のことですが子どもは成長していくものです。

そこにどれくらい親が必要とされているのか。

衣食住を整えるだけでいいのか、心のケアはどうすのか。

それは母親だけではなく父親的な要素を持つ関わりも絶対に必要なのだということは確かです。

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