まだ知らないの?脳死の真実 映画「人魚の眠る家」ネタバレと感想

人魚の眠る家 フライヤー

こんつわ。

読書好きだけど、東野圭吾だけは1冊も読まずに人生やってきたエンタメブリッジライターしおりです。

そんな東野圭吾1年生の私ではありますが、今回ご紹介したいのは「人魚の眠る家」。

東野圭吾デビュー30周年記念小説の映画です。

東野圭吾1年生としては、まず原作読もうかなとフンフ~ンと図書館HPの予約画面を開いたところ、まさかの87人待ち!!

これまでの記録10人待ち(のぶみの絵本だよw)を大幅に更新する事態に目がテン。

「人魚の眠る家」は子供の脳死の話です。

ただ、東野圭吾自身が言うように、

こんな重いテーマを扱っていいものかと思った。

エンターテイメントとして観てほしい。

ってことなので、私も今回のレビューは脳死問題について書かないつもりでいました。

んが、87人待ちで原作を読むのを諦めた私はすごすごと脳死の文献を5冊も借りて読み、メラメラと脳死問題についてアツく語りたい思いがわいてきたのです。

なぜって、案外私たちって脳死のこと知らないし、知る機会もない。

そんで、脳死問題の知識のある/なしで、この映画は「誰目線で見るか?」が全然違って来ると思う!

そのことは見どころで解説しますよ~。

ではではいってみましょー!

1.人魚の眠る家の作品紹介

公開日: 2018年11月16日 (日本)
監督: 堤幸彦
原作者: 東野圭吾
原作: 人魚の眠る家
出演者: 篠原涼子、西島秀俊、坂口健太郎、川栄李奈、山口紗弥加、田中哲司、他。
受賞歴: 第42回日本アカデミー賞にて、優秀主演女優賞受賞(篠原涼子)。
配信: HuluNetflix(2019年6月現在)

2.人魚の眠る家のあらすじ

人魚の眠る家 スケッチブック
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

この映画は2回観たほうがいいと思います。

1回目はフィーリング。

2回目はこのレビューなり読んだ後(あと脳死の本を読んだりね)。

いかに我々世論が脳死に対して「当事者でなければどうでもいい話」ってスタンスをとってきたか思い知らされるよ。

ってことであらすじへGO!

人魚の眠る家のあらすじ(ネタバレなし)

うちの生活感あふれる家とは大違いの、洋館級の美しい家に住む播磨一家。

ここが「人魚の眠る家」。

人魚って誰のことかというと、プールで水難事故に遭った6歳の長女みずほのこと。

そして母・薫子(篠原涼子)と、みずほの弟いくとの3人が暮らしています。

あれ?1人足らなくね?

っとお気づきのように、父・和昌(西島秀俊)はどうも浮気をしたらしく別居&離婚話進行

しかしこの和昌、IT機器メーカーの2代目社長で、金だきゃ持ってることは乗ってるレクサス見りゃわかるw

みずほの小学校へのお受験が終わったら離婚する予定だった夫婦ですが(両親面接とかいろいろ事情があるらしい)、お受験寸前にみずほがプールで溺れて脳死状態に…。

慌てて病院に駆け付けた両親が告げられたことは

脳死と心臓死、どちらを選択しますか?

という、医師からの極限の質問でした・・・。

人魚の眠る家のあらすじ(ネタバレあり)

人魚の眠る家 みずほ
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

何を隠そう私は脳死知識ゼロ。

「国内で成功例が〇例目となりました」ってニュースでは見てたから、知った気になってはいたけど、後で脳死の文献読んだらやっぱほぼゼロだったわ・・・。

知った気になってるって怖いね。

最初にこの映画を観たときは、私はまず父・和昌目線で観ました。

彼のスタンスは

脳死で生かしておくなんておかしい!

というもの。

2回目――そう、私が多少なりとも脳死知識を得て映画を観たら、母・薫子目線に変わりました。

脳死でも人は生きている!

トータル的に思ったんだけど、日本にはあまりにも「長期脳死」って言葉が浸透してないから、この映画みたいに話がややこしくなるんじゃないか?って断言したい!(←これも見どころで解説するのでよろしく)

前置きはさておき、私は開始5分で泣きましたw

やっぱダメだなぁ…子供ができてからというもの、子供の不幸はツライ。

長女みずほがプールで脳死になってからね、いったん父母は「脳死判定=臓器提供」を承諾するんです。

そのときICUのみずほの指がピクリと動き

みずほは生きてる!!

と両親は脳死判定作業を中止。

でもこのピクリは「ラザロ兆候」というただの反射(ラザロっていうのは、新約聖書でイエスが死後4日目に生き返らせた人の名前)。

でも親ならさ、ピクッとでも動いたら「生きてる」って信じたいよね。

そしてここで新たなプレイヤーが登場。

父・和昌の経営するIT機器メーカーの社員で、若手のホープ星野君(坂口健太郎)。

彼は脊椎損傷で手足が動かせない障害者の脳波を読み取り、電気的刺激で手や足を動かす機器、その名も「ANC」を研究・開発していました。

このANC男は、今流行りの「好きを仕事にする」典型的な機械ヲタ。

コイツ(あとでひっかきまわすからあえてコイツと呼ばせてもらう!)の提案もあり、みずほは国内でも例の少ない「横隔膜ペースメーカー」を入れ、気管切開を回避します。

つまり、みずほは見た目は自発呼吸をしているようになります。

ここで脳死の仕組みをちょっと解説。

人魚の眠る家 図

未だ謎の多い脳ですが、脳は身体の各器官を統合・調整する役割なのかさえ、まだ解明されていないそう。

だから脳死状態でも、ある程度体は自律的に働くんですね。

みずほは「長期脳死患者」として在宅介護へ移ります。

ここで、ANC男が再度登場。

父・和昌の打診で、ANC男は、みずほの脊髄反射から手足を動かす治験的治療にやってくるんですよ。

この映画中盤まで少々中だるみしてた私ですが、このへんから曲が急にミステリアス調になり、だんだんサイコサスペンスみたいになって目が覚めました。

そんで、みずほは電気信号を脊髄に当てられ、手や足を動かされます。

人魚の眠る家 ANC

もはや、ラジコンにしか見えん・・・

任天堂スイッチのなんと平和なことか。。

でも、オカンってのは子供の脚がピクリとでも動けば飛び跳ねて嬉しいもんなんですよ。

だから母・薫子はこのANC男を超ウェルカムし、家に入り浸らせます。

ただし、みずほの脳死から1年、2年と経過して犠牲になったのは、みずほだけではなかったもよう。

まず、みずほばかりを世話するあまり、愛情をかけてもらえない弟いくと。

ANC男と結婚を約束していたのに、コイツの仕事中毒のせいでほっぽり出されたその彼女(川栄李奈)。

母・薫子はANCの登場で暴走し始めます。

みずほを車いすに乗せてあえて人目の触れる場所へ連れ出すようになり、弟は

オマエのねーちゃん眠ってる~!

といじめられるようになります。

脳死だろうが障害者だろうが、地域に出ていくことは素晴らしいことだって思うけど、

さすがに薫子ヤベェ・・・と思ったのは、自宅に立ち寄った父・和昌がみずほにぬいぐるみをプレゼントしたとき。

ちょっと待ってね、今みずほ動かすから。

と薫子はラジコンでみずほの表情筋まで操作して笑わせるんです。

いやいや、みずほはモノじゃないんだからさ、ここまでくると狂気の沙汰。

演出も怖く見せてくるので、イメージ的にはこんな感じ・・・。

人魚の眠る家 イメージいや、呪怨だから…

ドン引きした和昌。。

子供のために狂気を引き受けられるのは、母親しかいないかもしれないけど、さすがにこれはヒク・・・。

ここから「みずほは生きてる/死んでる」論争が勃発します。

父・和昌は、友人がたまたま臓器移植が必要な子供への募金活動をしているのを見かけたこともあり「やっぱりこのままの状態でみずほを生かしておくのはおかしい」と考えます。

みずほを、モノのように動かしてイカれた妻を見るからこそ、反対に和昌はどんどん冷静になっていくんですね。

そんで、ANC男に撤退を呼びかけますが

社長は、僕に嫉妬しているんじゃないですか?

みずほちゃんに必要なのは、僕と薫子さんだけだから。

とかアホなことぬかします。

弟いくとの誕生日会で「みずほは生きてる/死んでる」論争はクライマックスへ。

弟が、「お姉ちゃんを見られるのが恥ずかしい」と友達を誰も招待してなかったことに、薫子がキレてビンタ。

「恥ずかしいって何なのよ!ANCで動かしたら生きてるって証明できるでしょ!」とユサユサ胸ぐら掴んで責める薫子を、和昌がビンタ。

ついに包丁を持った薫子は、みずほを殺すそぶりをします。

ここで刺したら人を殺したことになんのか!?てめーら言ってみろ!

とは言ってないけど、その7割くらいのオラオラ度で脅迫。

駆けつけた警察も「家の問題は家で解決してくださいよ~」とまったく役に立たず、

わかりました、法律にゆだねます。

今みずほを殺したら、生きている人を殺したと、殺人罪が成立するのか、しないのか。

っと包丁を振りかざした寸前・・・「やめろーー!」と和昌が割り込みギリギリセーフ。

でもね、私、ホントの犠牲者ってのは、ここでえーんえーんと急に泣いた、みずほの仲良しいとこの女の子だったと思うんです。

いとこの子は、みずほと一緒にプールに行って溺れたときのことを衝撃の告白。

実は、みずほが溺れた理由は、いとこの女の子が落とした指輪が排水溝に詰まって、それを取ろうとしたからだったんですよ!

おばちゃん、私のせいなの、ごめんなさい!

あたし、大きくなったらおばちゃんのお手伝いするから!

・・・これほど重い秘密を長年抱え続けて、こんな風に泣き叫ぶなんて酷すぎる(涙

つーか排水溝に詰まった指輪のこと、警察の初期捜査でわかんなかったのか…?

そんで、一同唖然とする中、ようやく父、母、みずほ、弟いくとは1つの家族としてギュッと抱き合ったのでした。

数日後、和解した夫婦はみずほも連れて公園を散歩し、みずほが脳死になる朝「お母さんに見せたい!」と絵に描いていた、ハートの穴が開いた木がある場所を発見したのです。

その夜、みずほはついに目を覚まします。

仰天した薫子。

お母さん、ありがとう。

私、しあわせだったよ。

・・・なんだか不自然。そして意味深。

そう、みずほは薫子の夢の中で、死にに行くあいさつをしたのでした。

みずほは再び危ない危篤状態へ…。

病院で両親は、ついに脳死判定と臓器提供を受諾し、術後に葬儀が執り行われました。

臓器提供をされたのは、なんと近所の少年。

しかし、退院した少年がみずほの家まで走っていくと、みずほの家はなく更地になっていたところで映画は終わり。

この映画には、あの世とこの世を繋ぐものがチラっとよく映ります。

身代わり地蔵、風車、光、タイトルの人魚伝説そのもの・・・(日本には福井県や石垣島に「人魚の肉を食べたら不死身になる」という神話がある)。

みずほは長期脳死状態にあって、あの世とこの世を繋ぐ架け橋のような存在だったのかもしれない。

3.人魚の眠る家の見どころ

人魚の眠る家 脳死
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

見どころのテーマはやはり「脳死は人の死か?」と名付けたいと思います!

この映画は医療、司法、倫理が絡み合います。

私は「脳死は人の死」と考えていました。

「脳が死んだなら、ぜんぶ死んだのと同じじゃん」的な・・・。

これはもう危険思想ってか、私が脳死について深く考えたことのない証拠ですね(恥)

これを機に脳死について勉強し直しましょう、皆さま。

日本に「脳死」が根付いた裏事情

あれは高校生のときだったか・・・ある日のホームルームで全員に黄色いカードが配布されました。

臓器提供が日本でできるようになりました。

いざというときのために、皆さんも意思表示しておきましょう!

とやたら爽やかな担任をよそに、裏面を見たら「眼球、心臓、腎臓、肝臓・・・」などの身体の各器官がズラリ。

(んー、腎臓はなんかOKな気がするけど、眼球はヤだな。心臓は迷うところだなぁ~)

と家に帰って勝手に我が臓器にランク付けしていたのを思い出します。

確かにこの時も「脳死は人の死か?」という議論はあったけど、行け!押せ!って感じで、反対したら助かる命を殺す反逆者的な雰囲気はあったと思う。

脳死という概念ができたのは、

「脳死」→「臓器提供」

って順番なのではなく

「臓器提供」→「脳死」なんですね。

鮮度のいい臓器移植のニーズがあるからこそ、脳死という言葉を作り出し、しかもほぼ医療・法律・倫理的な議論なしに世論を頼りに臓器移植法は法制化されたんです。

なんか、「ん!?」って思いません・・・?

私が臓器移植に関する本を読んでゾッとしたのは、「脳死者は動く」ということでした。

みずほ程度のビクッてする反射ならまだびっくりしないけど、臓器提供手術のとき、深くメスを入れると脈や血圧は上昇し、体が暴れはじめて手術どころではなくなるケースもあるのだそう・・・。

だから脳死者は、筋弛緩剤や麻酔を投与してから手術するそうです。

臓器移植先進国のアメリカで、脳死から蘇ったザックという少年がテレビのインタビューでこう語っています。

記者「脳死のとき、医師が何と言ったか覚えていますか?」

ザック「僕が死んだと言っていました。聞こえていました。心は張り裂けそうでした。」

私は最初、父・和昌目線で「みずほは死んだ。狂ってる母がおかしい!」とギラギラと腹立たしく観ていました。

でも、1番狂っていたのは「脳死は人の死」を安易に盲信していたこの私でした…orz

だから「長期脳死」って言葉を知るべし

人魚の眠る家 ひな祭り
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

結局私たちって「長期脳死」って言葉を知らないんだよね。

みずほも医者に「1週間以内に死ぬ」ってハッキリ言われるけど、れもその風潮を助長する気がする。

だから脳死で生かしておくことを周りは狂気と思うし、地域に車いすで連れて行っても、差別的に見られてしまう。

2009年「長期脳死―娘、有里と生きた一年九カ月」(中村暁美 著)という本が出版されましたが、あんまり話題になっていません。

長期脳死者と生きる家族はもっともっとたくさんいますが、沈黙してしまうからです。

延命をしつつ生きること、それをエゴ、みじめ、金、それも税金の無駄遣い・・・と非難されることを恐れてしまうんです。

長期脳死の最長記録はなんと21年。

その方は、4歳で脳死となってから亡くなるまで、体重は15kg→60kgになり、なんと第二次性徴も現れたそう。

はっきり言っていいかい?

生きてるやん!

ここで私が提示したいのは、ちょっと古いけど臓器移植後の生存率のデータ。

人魚の眠る家 生存率

レシピエント=臓器移植を受けた人
出典:全米臓器移植機構(2008年)

ちょっと古いデータだけど、思ったより低いというのが、やはり正直な感想。

移植をすると絶対に後戻りできないので、移植をしない場合とした場合の生存率は比較できません。

もちろん脳死判定も、ドナー待ちも、子供の場合と老年の場合とで全然状況は違うと思うから、それは慎重に考えなきゃいけない。

だけど2つの命を天秤にかけて

こっちは全力を尽くしてもどうせ助からないから、こっちの命を優先しよう。

と考えさせる風潮・・・というか、臓器移植に反対することは反逆者!という風潮がすでに定着してることは、なんかしっくりこない

「健康」だけを生命とするな

なぜか私にはALSの知り合いが多いのですが、彼らは自分で言っているけど「生きているだけで終末期」です。

呼吸器をつけ、経管栄養を利用、身体はピクリとも動かず、会話は唯一動く瞬きという人も多いのですが、それでも「自分の人生は自分で決める」と結婚し、家庭生活を営み、タバコをプカプカ吸う面白いやつらです。

友人Aとの会話は

あ・か・さ・た・な・・・

と介助者が言って、「さ」で「パチン」と瞬きをしたら

さ・し・す・・・・

と進んで「す」ならそこでまた「パチン」と瞬きして、1字1字繋ぎ合わせて文を作っていきます。

ただ付き合いの長い介助者なら、その人の会話のパターンや、さっき言った言葉のリピートなど察するので、かなりスピーディーに会話ができます。

彼らが例の尊厳死法案(1979年以降何度も国会に上程された、医者が延命治療をしない権利を認める法律)の法制化に反対する熱意は本当に命がけでした。

この法制化を推進する医師らとの討論会が、東京弁護士会館で開催され、私も聴講したのですが、

私は今の状態で終末期の要件を満たしています。

介助サービスを受け、地域で自立した生活を送っています。

それでも私は死ななければいけないのですか?

というALS患者のBさんの瞬きの主張は、聞いているこちらも鬼気迫るものがありました。

あまり知られてはいませんが、動喫煙防止で知られる健康増進法の2条は、「健康は国民の義務=自己責任」とかなり強く言ってるんだよね。

誰でも病み、老い、死ぬ運命の私たち・・・

でも健康の間しか生命に意味がないと、国家が断言してしまったら・・・?

1番は、その制度を作った人が、病に伏した時後悔するだろうねw

みずほは死期を自分で決めた?

人魚の眠る家 ラスト
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

さて、ちょっと切り口を変えます(笑)

みずほが長期脳死から何年も経って、ある日突然亡くなった理由、それって何?ってこと。

看取りと言えば、私の中ではスイス生まれのアメリカの亡き精神科医、エリザベス・キューブラー・ロス。

医者の国家試験にも必須の人ですね。

彼女は生涯、「死を敗北と見なす」という医学の方向性に疑問を抱き、何千人?何万人?もの死にゆく人に寄り添い、話を聞き、今でいうターミナルケアや、ホスピスの概念を生んだ人です。

有名なのは「死の5段階」(wikipediaに飛びます)。

ここではロスがしきりに言い続けた、人生で「やり残した仕事」について考えたいと思います。

ロスいわく、人は「やり残した仕事」を終えるまで死ぬことはできません。

例えば、ある5歳の白血病末期の男の子が「やり残した仕事」とは、ずっと「危ないから」と禁止されていた自転車に乗る姿を、たとえヨロヨロでも親に見せることでした。

「やり残した仕事」を終えて初めて死ぬことが許され、無条件の愛(unconditional love)の世界へ移行するのだそうです(ロス自身は無信仰で、その世界は三途の川の向こうでも、光の向こうでもなんでもいい)。

私、みずほが粘って粘って、最後に夢で母・薫子にあいさつをして死んだのは、この「やり残した仕事」を終えたからだと思うんだよね。

「やり残した仕事」に年齢は関係ないです。

3歳でも100歳でも同じ。量より質。

だから私たちもそれをやらないと、この世を卒業できないんですよw

みずほの「やり残した仕事」で3つ考えられるのは

  1. お母さんに「ありがとう」と言えた。
  2. 家族が、みずほが見せたかったハートの木を見つけた。
  3. 家族全員が和解して、仲良くなったのを見届けた。

このどれか、または3つ全部かもしれないな。

例え脳死状態でも、やり残した仕事は平等に与えられているはず。

皆さんも、家族や自分が延命という選択を迫られたとき「治療する/しない」だけの選択肢じゃなくて

家族や自分のやり残した仕事は何だろう?

ってちょっと視点を変えてみるといいですよ。

どのみち、その宿題を終えないと、死ねないんだから(笑)

逆にそれさえわかれば、延命する/しないは大きなことじゃないのかもしれないね。

あなたの「やり残した仕事」は何ですか?

エラそうに買ったて来た私ですが、私は医学部とは何の関係もない文系人間ですw

ただ、結婚当初「ただの酒好きのおっさん」と思っていた旦那の伯父が、東大医学部卒の医者でしたw

この映画のことも、そのおっさんと語ってみたかったな~と思います。

医療ってどんどん私たちに「諦める」って選択肢を奪ってると思うんだよね。

延命もその1つだけど、それよりもっと身近に感じるのはやっぱ不妊治療。

不妊治療といっても排卵誘発から顕微鏡授精、代理母とかなり幅広いんだけど、どこまでいくんだろう?

私の年上の女性の友人は、700万円治療費に遣ったと言っていました。

「ここまで来たら女の意地」って言ってたけど、会うときはいつも暗かったなぁ・・・。

皮肉なことに、度重なる排卵誘発や採卵で卵子がなくなり、40歳という若年で更年期を迎えたそう。

そのときは、さすがにちょっと薫子みたいに狂気じみてて怖かったけど、それより私は期待をさせる医療にも腹が立ったな。

対照的だったのは

子供が欲しかったけど、できなかったから諦めて、夫婦で仲良く楽しくやっていこうって決めた。

っていう同じ年齢ぐらいの別の女性の、とてもすがすがしい表情。

諦めるということは、受け入れるということ。

さっきの「死の5段階」のプロセスも最後は「受容」。

医療は私たちに期待をさせすぎている。

本当に患者が求めているのは治療なのか?命の長さか?成果か?質か・・・?

最後に、キューブラー・ロスが、小児がんの男の子に送った手紙の言葉をご紹介します。

Life is like a school where we are given a chance to learn many things.

-like to get along with other people, or understand our feelings.

When we have passed all the “tests”, we are allowed to graduate.

(人生は学校みたいなものなの。いろいろなことを学べるの。

例えば、周りの人たちとうまくやること、自分の気持ちを理解すること。

そしてこうしたテストに合格したとき、私たちは卒業できるのよ。)

4.人魚の眠る家をオススメしたい人

人魚の眠る家 ナイフ
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

例によってこの2倍は語りたかった「人魚の眠る家」ですが、ここらへんでやめておきます。

独善的なわたくしの感想ですので、東野圭吾ファンの方ごめんなさいw

そして、このような方々に観ていただきたいと思います。

スリルを求める人

スリルを求める人にはオススメですね。

特に後半はサイコサスペンス・ミステリーになるのでハラハラすると思います。

ってか私、もうあの感じだと母・薫子はみずほを殺すと思いました。。

ただ、大衆向けの東野圭吾らしい「観やすさ」「わかりやすさ」ってのははずしてないですね。

さすがは小説を出すたび、映画権争奪戦になる東野さん。

脳死問題についても「是非を問う」とかそこまで深くは掘り下げないので、まずは娯楽として楽しめると思います。

モンスターペアレント

人魚の眠る家 家族
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

モンスターペアレントとの自覚がある母親はオススメです(普通は自覚ないから、周りにいたら勧めてくれw)。

この映画、母・薫子観てるとホント、一昔前に流行ったモンスターペアレントっぽいな~と思いました。

昔その「モンスターペアレント」って言葉が流行ったとき、北野武さんが言ってたんですよね。

ああいうお母さんって、学校の悪口言ってるときはイキイキしてるんだよね。

ま、そんな私も子供の習い事で、4人くらいのお母さんが徒党を組んで先生に詰め寄ってるシーンをよく見ますけどね。

確かにイキイキしてるねw

でも、子供のために狂気になれるのは母親だけです。

父親は、あそこまで子供のために狂えないと思う。

良くも悪くも母子は密着します。

でも、母子の分離化というのは3歳というかなり早い段階から始まるんだよ。

薫子の激しい狂乱ぶりを見ることは、共感したり揺さぶられたり、刺激になったりすると思いますね。

薫子はラジコンで呪怨だからなw

兄弟育児に悩む親

2人目、3人目が産まれててんてこ舞いの、兄弟育児に悩む夫婦にもオススメです。

まず夫婦は子供にとって「どんな風にまとまらなければいけないのか?」という協力関係を教えられます。

和昌と薫子は別居していますが、例え仲が悪くても、子供には父・母として役割を果たさなければいけない状況。

ラストは、再び愛し合えたってとこまでは到達しなかったと思うけど、家族愛としてはまとまったんだと思う。

でもそれってすごく重要なことだと思うんですよ。

それと、

毒母は子供が2人以上いたら、必ずお気に入りを作る。

とはよく言ったもので、薫子はいくら病気とはいえ、関心はみずほに一点集中。

私は幼少期、姉からしみじみと

親はアンタのほうがかわいいんだよ。

と言われ、「へ?」と思ったことがあります。

かわいがられているほうって気づかないんだけど、姉ってけっこう大変だったんだろうなと今は思う・・・。

てことで兄弟育児のノウハウも学べると思います。

延命とか考えたことない平和思考な人

自分に万が一のことが起きたとき、延命など考えたことがない方は観たほうがいいですね。

みずほの事故で、急に病院に呼び出された和昌と薫子は、気が動転したまま

治療を続けるか、止めるか?

の選択を迫られます。

だいたい、こんな事態が起きるのは突然で、しかもテンパってパニック状態のときに判断を迫られますからね。

そして、このご時世「意思表示をしない者は同意したものとみなす」ということを医療の現場でもやられることを、頭に入れておいたほうがいいね。

一言でもいいので、若かろうが年寄りだろうが、家族や近しい人に延命の意思表示はしておいたほうがいいです。

1人暮らしなら、今すぐ保険証をひっくり返して臓器提供の意思表示をしておくのだ!

幼少期の罪悪感を引きずっている大人

人魚の眠る家 わかば
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

幼少期に背負った罪悪感を引きずっている大人にもオススメ。

正直、こういう人に1番観てほしい!

私はこの映画で本当の犠牲者は「みずほが溺れたのは自分のせいだ」と苦しんだわかば(みずほのいとこ)だと思います。

みずほにはラスト家族愛という救いがありましたが、わかばの気持ちは処理されず仕舞い。

子供というのは幼ければ幼いほど「自分のせいだ」と、背負わなくていい罪まで背負います。

ルワンダ内戦で親を亡くした子供でさえ「パパとママは僕のせいで死んだんだ」って言うんだからね。

ただ1つのわかばの救いは、みずほの死だと感じました。

みずほの葬儀は、自宅の洋風にガーデニングされたきれいな庭で行われ、わかばは花を手向けます。

このとき、同じ子供同士、みずほはわかばの苦しみもすべて一緒に、天国に持ってってくれたような気がしましたね。

これでよかったんだ、これしかなかったんだ、憎んでもないし、いい思い出だけ想っていこう、って。

幼少期の罪悪感ほど、後で大人を苦しめるものはないです。

感情ってのは感じて初めてその外に出られるので、わかばの涙や葛藤に、あなたもきっと何かを考えさせられるでしょう。

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