希少レビュー!映画マレフィセントをユング心理学から徹底考察してみた【あらすじネタバレあり】

マレフィセント フライヤー

こんにちは!エンタメブリッジライターしおりです。

さて、今回私がご紹介・ユング心理学から考察するのは映画「マレフィセント」です。

ツムツムにも登場し、2019年秋には「マレフィセント2」が公開予定ということで盛り上がっていますね。

マレフィセントは、ディズニーの「眠れる森の美女」がベースとなった、悪役の魔女マレフィセントを主人公にしたフィクション映画です。

「なぜユング心理学なのか?」

ということに関しては、ユングが答えてくれています。

神話とは何よりも「こころ」の表明であり、そこに表わされているものは内的人格の本質的な部分である。(ユング)

「眠れる森の美女」は昔から語り継がれている童話ですが、これは1800年代初頭のグリム童話「いばら姫」のリメイクなんですね。

しかし「いばら姫」もまたベースとなる作品がその100年ほど前に存在していて、元をたどればこういった童話や民話は、文字のなかった時代から民間伝承として口頭で語り継がれてきたものがほとんどです。

なぜそんな古い神話や民話は、今もなお人々の心を捉えて離さないのでしょうか?

我が家には、つい5年前に誕生した新人類(?)の女児がいますが、彼女と過ごしたこの5年の間に、ディズニープリンセス(シンデレラや白雪姫など)のぬり絵やらコラボTやらキャラグッズをどんだけ見せられたかわかりません…。

これはユング心理学のいう時代や国を飛び越え人類が共通に持つ無意識(「集合的無意識」という)にある「元型」の働きなのです(このことはあとで詳しく解説しましょう!)

今回、マレフィセントをフロイト流に読み解くか、ユング流に読み解くかかなり迷いましたが(この流派はどっちが正しいということはないのです)、

やっぱ童話と言えばユングだろ!

という私の素人的&短絡的な考えでユング心理学に沿って考察することにしました。

マレフィセントはホラー映画でもなく、魔女の悲哀映画でもありません。

映画マレフィセントは、ユング心理学的に言えば「マレフィセントの死と再生のプロセスを経た人格の個性化」物語なのです!

意味わかりますかね(笑)!?

ではでは、そんなマレフィセントの成長物語をガッツリ解説していきましょう。

※前回のブラック・スワン同様、私の心理学知識は大学のとき受けた授業と、児童虐待家庭の支援資格を取得した時に学んだ知識です。プロではないので、あくまで私の主観的考察ということでお読みいただけたら嬉しいです。

1.マレフィセントの作品紹介

公開日:2014年5月30日 (アメリカ)
監督:ロバート・ストロンバーグ(Robert Stromberg)
原作:眠れる森の美女(Sleeping Beauty)
脚本:ポール・ディニ(Paul Dini)、リンダ・ウールヴァートン(Linda Woolverton)
出演者:アンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie)、シャールト・コプリー(Sharlto Copley)、エル・ファニング(Elle Fanning)、サム・ライリー(Sam Riley)など。

2.マレフィセントのあらすじ

マレフィセント 妖精
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

ユング心理学では、童話には2つの読み方があるんですね。

難しい言い方をすると「客体的解釈」「主体的解釈」と言います。

例えば、赤ずきんの話でいうと、赤ずきんが狼に出会ったとき、「赤ずきんが実際に狼に出会った」とするのが客体的解釈で、「赤ずきんが、赤ずきん自身の狼的性質に出会った」とするのが主体的解釈です。

このあらすじでは、とりあえず客観的事実を書きますが、

(主体的に解釈するとどーゆー意味なんだ?

と謎解き感覚で読んでいただけると、あとの見どころの伏線になると思うので嬉しいです(笑)

マレフィセントのあらすじ(ネタバレなし)

あるところに分断された2つの国がありました。

1つは欲にあふれた人間たちが住む国。

もう1つは、擬人化された動植物や妖精たちが住む平和なムーア王国。

マレフィセントはこのムーア王国に生まれた、1人のかわいい妖精です(ツノと羽はイカツイけどw)。

もともとマレフィセントは魔女じゃなくて、邪気のないかわいらしい妖精だったという設定です。

ある日、いたずら心で人間の国からやってきた少年ステファンが、ムーア王国の川の宝石を盗もうとしていたところ、マレフィセントと出会って2人は恋に落ちました。

マレフィセントは妖精の中でも人格があるからか、思春期を過ぎた頃にはムーア国のリーダーになっていました。

遠距離恋愛状態のマレフィセント&ステファンですが、順調に恋を実らせ、16歳で「真実の愛のキス」をします。(16歳&真実のキスってとこがポイントですよ!)

しかし、大人になったステファンは欲に溺れ、王座に就くためにマレフィセントをだまして最悪なことを仕掛けるのです(涙

同時に、両国は仲が悪くなりたびたび戦争をします。

あとは観てからのお楽しみ。

マレフィセントのあらすじ(ネタバレあり)

マレフィセント アンジー
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

さてその続きです。

ステファンたちの住む人間の国では、突如、王様の後継者争いが勃発します。

「敵国ムーア国のリーダー(マレフィセントのこと)を殺した者に王位をさずける」

と老衰の王が言ったので、マレフィセントにコネがあるステファンは早速マレフィセントの元へすっ飛んでいきました。

そしてなんと、

「君の命が狙われているから、気を付けてね」

警告に来たと見せかけてだまし討ちし、マレフィセントに睡眠薬を盛り、殺そうとしました・・・がやっぱりできず、マレフィセントのシンボルともいえる羽だけもぎ取って

王様ー!マレフィセントを殺しましたー!

みたいに戦利品の証拠として見せて、王座の位についた狡猾で強欲なヤツなんです。

翌朝目が覚めたマレフィセントは翼がないことに気づき

ウォォォーーーーーー!!

とアンジーの大迫力の号泣…(うちの5歳児も目を丸くして観ていた)。

メラメラと妖精から黒魔女へ変貌したマレフィセントは、ステファンへの復讐心に煮えたぎります。

さて、王になったステファンは王妃と結婚、オーロラ姫(あの眠れる森の美女)が産まれて、その噂がマレフィセントの耳に入ります。

オーロラ姫の生後すぐに、洗礼式の祝賀パーティーをすることをマレフィセントが知ると、マレフィセントは城に押しかけ、祝い・・・いや呪いの言葉として

16歳の誕生日の日没までに、糸車で指をさしてしまい永遠に眠ってしまうだろうー!

とオーロラ姫に恐ろしい呪いをかけました。

しかし、「嫌なら許しを請うてみな」的にステファン王を挑発し、マレフィセントは

「真実の愛によるキスをしたら呪いが解ける」

と一応そんな条件も付けてやります。

これは、マレフィセント自身が、ステファンと真実の愛を誓ったハズの、あの「16歳の2人のキス」のただの恨みつらみで、「真実の愛などありっこない」とわざといたぶった呪いを加えただけです…。

焦ったステファン王は、以後、頭の中は100%マレフィセントへの復讐と対策に支配され、マレフィセントもまだまだステファンへの復讐心に煮えたぎるんですよね。

国中の糸車は危険だからと城に封印・焼却され、オーロラ姫は16歳の誕生日を無事に乗り切るまで森の小屋に追放されます。

そして、森の小屋でオーロラ姫の子守に抜擢されたのは、3人のかしまし妖精たち。

マレフィセント 森
かしまし妖精の図 画像出典:https://tsutayamovie.jp/

ちなみにユング心理学は4を完全数とし、童話や神話もだいたい「3人+1人」の構成で、その召し出された4人目がなにかを達成するんですよ(シンデレラの場合3人の意地悪な継母と姉たち+シンデレラ、とね)。

だからこの小屋の人数も偶然ではない!と個人的には思っておりますが。

さて、

たまごクラブ読め。

と言いたくなるほど、赤子にニンジン食わせるようなずさんな子育てをするおとぼけ妖精3人衆。

そんなとき、なぜかマレフィセントはオーロラ姫のいるこの森の小屋の場所を突き止め、バレないように魔法でミルクを与えたり、抱っこまでしたりと、いつもそばを離れず子守をするんですよ。

ツンデレですが、その視線は「母」ですね。

冷静に考えたら「自分を裏切った元カレの子」だから、愛することってめちゃくちゃ難しいと思うんですけど、なぜだか気に留めてオーロラ姫を危険から守ってやるんです。

これには妖精時代のマレフィセントの名残り、わけ隔てない他者への思慕を感じますね。

成長したオーロラ姫は、生まれたときの記憶はなく「両親は死んだ」と聞かされていました。

16歳間近になったオーロラ姫は、あるとき森で迷子になり、ついにマレフィセントとまともに対面します。

(コワ、何が起こるやら…)

と思っていたら

あなただったのね、いつもあなたの影を感じていたわ!

妖精の母、フェアリー・ゴッドマザーね!

と目をキラキラさせるオーロラ姫。

いや、こんなツノに黒装束がぬっと出てきたら、ユングの元型でいうと100%魔物だって思だろうけど、やはりこの映画はエンターテインメントなので(笑)、そこは裏切ります。

そんで、マレフィセントは口にこそ出しませんが、オーロラ姫を「かわいい」って思ってますね。

やはりそこは、世界の神羅万象を慈しんでいた元妖精。

良心と他者への愛情深さは残っていたのでしょう。

そしてマレフィセントは、このオーロラ姫に呪いをかけたことを後悔し始め、密かに呪いを解こうとするんですけど、やはり1度かけた呪いは解けません。

マレフィセントは初恋の失敗により「真実の愛など存在しない」と刷り込まれているのですが、オーロラ姫を生きさせる唯一の望みは、イケメン王子によるキスしかありません(オーロラ姫はまだ呪いのことは知りません)。

そして、オーロラ姫が川で遊んでいたところ、その馬に乗ったイケメン青年が道に迷ったとついに現れたのです!

なんだかこう、2人とも一目惚れしてモジモジ惹かれあっている感じたけど、はにかんで初々しい部活帰りの中学生って感じw。

そして迎えた16歳の誕生日。

子守の妖精3人衆は、口が滑って「あなたにはお父さんがいる…はっ!」と言ってしまい、オーロラ姫を

「嘘ついてたのね!」

とキレさせます。

オーロラ姫は生まれた城へすっ飛んでいき、「お父さん!」とステファン王と感動の再会になると思いきや、もはやマレフィセントへの復讐心で忘我(ていうか荒廃したアル中オヤジって感じ)の状態にあるステファンは、

なんで戻ってきたんだ!閉じ込もってろ!

と心ない言葉をかけて一瞥して終了(ちなみにお母さんはもう亡くなっています)。

オーロラ姫は結局、地下の一室で糸車にたどり着いてしまい、永遠の眠りについてしまいました…。

妖精3人衆から「オーロラ姫はお城へ行った」と聞かされたマレフィセントは、イケメン王子を引っさげて大至急、城にダッシュします。

イケメン王子がオーロラ姫にキスをして「感動の目覚め!」が起こると思いきや、

シ――――――ン…

あれ?

やっぱり真実の愛なんて、マレフィセントが言うようになかったんだ…と一同失望。

マレフィセントは涙して、己の愚かな行いに涙しつつ「さよなら」的なキスをすると、なんとオーロラ姫が蘇ったんです!

そして、

「お前を殺す!」

と、待ってましたと言わんばかりのステファン軍がやってきて、マレフィセントと一騎打ちとなります。

目覚めたオーロラ姫はたまたま、ステファンが昔マレフィセントから奪った翼を発見し、翼はガラスケースから飛び出してマレフィセントの背中に元通り戻りました。

みるみる力がみなぎったマレフィセントは、ステファンを城から突き落として殺します。

こうしてマレフィセントはラスト、2つの分断された国を1つにまとめ、オーロラ姫を新しい女王に任命します。

ちなみにこの映画はストーリー展開は「元型」を外したあくまでエンターテインメントなので、この先何百年も残る作品ではないと思います・・・(失礼)

3.マレフィセントの見どころ

マレフィセント 王子
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

さて、ネタばらししていました通り、私はこの物語が普遍的性質を持つ「眠れる森の美女」という童話に基づいている以上、ユング心理学見地により「マレフィセントの個性化物語」として捉えたいのです。

ユングは人格形成やアイデンティティ形成という言葉を「個性化」と好んで言います。

なぜマレフィセントは妖精から魔女になったのか?

なぜマレフィセントはステファン王と出会い、殺したのか?

なぜマレフィセントがキスしたら、オーロラ姫は目覚めたのか?

それでは早速、マレフィセントの深層心理を探求する旅に出かけましょー!

なぜ童話は時を超えて人を魅了するのか?

ところで皆さんは、お気に入りの昔話や童話はありますか?

私は、子供の頃「ちびくろさんぼ」(今は言葉が差別的だと絶版なのかな?)が好きでした(笑)

こういう昔からある絵本って、いっときの流行絵本と違って

小さい頃、寝る前に親が読んでくれたなぁ。

幼稚園の先生が読み聞かせてくれたなぁ。

といった思い出とともに、内容もそこそこ深く記憶に刻みこまれていますよね。

例えばシンデレラや白雪姫、日本昔話でも桃太郎や一寸法師など…。

そして、昔話や童話って、だいたい登場人物やストーリーに似たようなパターンがあると思いませんか?

お姫様、王子、森、川、老賢者、鬼、山姥、そしてマレフィセントのような妖精に魔女、最後は魔物退治や結婚でハッピーエンド…と。

フロイトとユングは、心理学の2大巨匠だと皆さんも名前は知っているかと思いますが、この2人の1番の違いって何だと思います?

超ざっくり言うと、フロイトが「発達」に重点を置いたのに対し、ユングは「無意識」に重点を置いたんですね。

まあこれは、2人とも精神的に病んでいたことも由来していて、彼らが患者を臨床しながらも自らの病を探求・体系化するプロセスが違いに現れているんです(ちなみにフロイトは神経症で、ユングはもっと重い統合失調症でした。)

ということで、ユングの場合は患者の無意識、中でもより深い心理である夢分析を重視しました。

そして、患者の語る「夢」にはある一定の共通用語があると発見したんですね。

それが神話や民話に出てくるような、先ほどの登場人物のイメージたちです。

そしてユングは、フロイトと違って無意識はその人個人だけものだけではなく、時代や場所を超えて人類が共通に持っている無意識「集合的無意識」があると発見しました。

図にするとこんな感じです。

マレフィセント 集合的無意識

先ほどの昔話に出てくるお姫様や魔女たちも、集合的無意識にある「元型」と呼ばれます。

難しい言葉で説明すると

  • 元型:集合的無意識の領域にあって、神話・伝説・夢などに時代や地域を超えて繰り返し類似する像・象徴などを表出する心的構造。

ちなみに元型から連想されるイメージは1つではなく、夢分析や童話を用いた心理療法では本人がその元型をどういうイメージで見ているか?」が大事なんです。

例えば「鬼=怖い」とは限らなくって、もっと多義的なもので、その人が鬼をどういうイメージで語っているか?が大事なんですね(だからこそこの考察も私の主観なのです(笑))。

さてそれでは、そんな元型がたくさん登場人物として出てくるマレフィセント。

映画では、最初のナレーションでこう流れます。

2つの隣り合わせの国があって、1つは人間の支配する強欲な国。

もう1つは妖精たちの平和なムーア王国でした。

これがもう、マレフィセントの分断された人格を言い得て妙ですよね。

しょっぱなから

「最後はこの2つの気質を統合せよ」

というテーマの布石ですよ。

そしてナレーションは「マレフィセントはムーア国に住む妖精だった」と続きます。

マレフィセントはすなわち、今は絶対善の中にいる幼稚化した存在ですが、これから自分の中にある「強欲な国」の存在を自覚し、2つの人格を1つにまとめて個性化する旅に出かけていくってことなのです!

場面の提示:妖精時代

マレフィセント 妖精
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さて、いよいよストーリーに入っていきますが、私たちが普段見る夢と神話・民話にはおもしろい共通点があり、

  • ①場面の提示 → ②発展 → ③クライマックス → ④結末

と同じような構成で進んでいくんですよ(途中で目が覚めなければねw)。

映画マレフィセントも同じ構成で進んでいくので、この順序で解説していこうと思います。

さて、マレフィセントはアンジーに代わるまでの子役の子供時代、メルヘンチックな妖精世界に平和に暮らしています。

このときのマレフィセントに動物や植物の境界はなく、動植物も擬人化され、自分は世界の1部というアニミズム的な暮らしぶりです。

心理学的に言えば、自分の中の肉体や、女性性、エロスはこの王国に完全に閉じ込められている状態です。

そんな世界との境界が薄いマレフィセントは、「ペルソナ」が非常に弱いです。

「ペルソナ」もまたユング心理学用語なのですが、

  • ペルソナ:仮面、社会に適応した態度のこと。

例えば、サラリーマンのお父さんだったら会社に行けば「社員という自分」、家に帰れば「父親という自分」といった役割に応じて振る舞いますよね?

マレフィセントには学校も家庭もなく、近所の悪ガキも「宿題しなさい!」とこうるさい親もいません。

あるのは、自分と同化した動植物の全体で、他者とを隔てる輪郭がないんです。

また、自分を守るほどの仮面も必要ないほど「絶対善」の世界にいるので、世界の不全さも知りません。

人が性に目覚めるころまでに、ペルソナはある程度は育まれておくべきとされますが、マレフィセントのペルソナは「悪に対する対応」がない特殊な前提で構築されます。

そこに突如現れたのが、「宝石を盗みに来た」ステファン少年なのです。

なぜこの少年がこの物語にいきなり現れたのか?

なぜ「川の向こうにあるほら穴」から、悪いことをする「異性」が現れたのか?

ほら穴=見えない無意識領域、水=意識と無意識を繋ぐものと解釈されますから、この封切りがすなわち、マレフィセントの意識から無意識へ探求の始まであり、自分の女性性原理と男性性との関わりの始まりなのです!

ではいよいよ「性の発展」を進めることになったマレフィセントの次なる成長段階を、次の項で解説していきましょう!

発展:アニムスとの出会い

マレフィセント キス
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

さて、少年ステファンに出会った妖精マレフィセントは、一歩上の成長過程である「アニムス」との出会い・統合作業に入ります。

「アニムスって何?」という方のために、説明しますね。

アニマ、アニムスもまたユングの発見した元型であり、

  • アニマ:男性の中にある女性性
  • アニムス:女性の中にある男性性

要するにどんな人も両性具有だというのがユングの説なのです。

学生時代、私にはフェ○ス女子高卒の友人がいたのですが、彼女は出待ちするほどの宝塚の大ファンでした(笑)

宝塚の男役スターっていうのは、アニムス(女が持つ男性性)の典型的な外面的な表れですね。

マレフィセントは女性なので、内なる男性性、アニムスが備わっています。

ただし、アニマとアニムスは男性女性にそれぞれ別個に存在するのではなく、互いに関連し合っています。

アニマ/アニムスを簡単に図にすると、こんな感じです。

マレフィセント アニマ アニムス

アニマとアニムスは、男女の無意識下で互いに補填し合ったり、鏡のように投影・共鳴し合ったりする関係にあるんですよ。

人って、「自分の中の異性(私だったら私の男性性/アニムス)」に近い人に惹かれるんです。

だから、選ぶ人、好きになる人で自分の成長段階がわかるんです(笑)

そして、異性に対して「だいたい好きになるタイプが似ている」とか「生理的に受け付けない」というあの論理は、「男性だったら自分のアニマ、女性だったら自分のアニムス」と呼応しているんですね。

また、カップルや夫婦の場合は、どちらかのアニマ/アニムスが成長したりすると、それに相応しいように双方成長しなければいけなかったりと、相互補完的な性質もあります。

そして、先ほどの

なぜ最初に現れたステファンが盗人だったのか?

という問いですが、これはつまり絶対善の世界でイノセントに生きていたはずの、マレフィセント自身の「悪のアニムス」との出会いであり、それと対話・対決する物語の始まりだと私は考えます。

生まれながらにして平和なメルヘン世界で育ったマレフィセントとは正反対の、ステファンという狡猾で暴力的、衝動的、攻撃的な男性を通して、自分中にあるアニムスを投影し出会っていく過程は、この映画の軸だと思うんですよ。

なぜならアニムス含めて「マレフィセントという1人の人」だからです。

女性が女性として全体的な自我を形成する過程の1つに、この「アニムスと対話・救済・統合する作業」は欠かせません。

マレフィセントは、初めからステファンとは荒々しい関わりだったわけではなく、16歳まではステファンも実直な青年で、マレフィセントはそんなステファンを通じて穏やかに自分の女性性とアニムスを発展させていきます。

それで、16歳であの「真実の愛」のキスをします。

そんなとき・・・話には欠かせない転機がやってきます。

順調に妖精王国の殻を少しずつ破り、自分の女性性・男性性を成長させていたマレフィセントにどんな挫折がやってくるのか?

次の項で解説していきましょう!

クライマックス:魔女というペルソナの葛藤

マレフィセント オーロラ姫
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

王座に就きたいステファンは、マレフィセントの翼をもぎ取り、関係を破壊しました。

マレフィセントは、自らのアイデンティティと言える翼をもぎ取られるという、強烈な裏切りを経験するのです。

いよいよイニシエーション(通過儀礼)が急展開する暗示ですね。

翼を失ったマレフィセントには、ペルソナ(外界)とアニムス(深い内界)の整合性が壊れ、深い葛藤が生じます。

マレフィセント ペルソナ

↑これに偏りが生じると病的な状態になります。

結果、ペルソナは危機に陥って、あの魔女へと変貌します。

よろよろと立ち上がってふいに持った短い木の棒が、いかにも魔女が持ってそうな杖に変貌するシーンが象徴していますね。

魔女になったマレフィセントは、一見「退行(成長が阻害され幼稚化する)」が起きているように見えますが、ユングは退行を「病的」としません。

むしろ、創造的な心的過程には「退行は必要」と考えます。

そして、魔女という存在が色んな昔話に出てくるのは皆さんよくご存じだと思いますが、魔女という元型イメージは、ユングが言う「グレートマザー/太母(たいぼ)」に属するんですね。

ただ、皆さんが一般的に感じる魔女のイメージと、グレートマザーの元型イメージは違ってくると思います。

マレフィセント 太母

このようにグレートマザー(魔女)は「母なるイメージ」として、悪いことだけでなく、善悪の両面性があるとされます。

1つは慈悲深く建設的・肯定的な面、もう1つは破壊的・否定的な面です。

例えば、世に存在するお母さんが優しく自分と接してくれる反面、何もかもそこに吸いこんでしまうような恐怖感や威力を持つあのイメージですね。

マレフィセントも明らかにグレートマザーの2面性を持ちます。

破滅的・否定的面はわかりやすく、オーロラ姫への「16歳の誕生日の日没までに死ぬ」という呪いをかけた「死の女神」の面です。

ただし、そのまま黒魔女道を突っ走るのかと思いきや、森に避難させられた赤ちゃんのオーロラ姫に対して、慈悲深い母らしい面を出し、魔法を使った「こっそり育児」を始めるんです。

あの3人のかしまし妖精に育児を任せていたら、間違いなくオーロラ姫は飢え死にか転落で死にますからね(笑)

ちなみにマレフィセントが妖精モードのときは角が茶色、黒魔女モードのときは角が真っ黒になるのでよく観ていてください。

また、魔女含むグレートマザーには「死と再生」の元型イメージもあるので、マレフィセントの内面は魔女になるこのシーンから自分の何かが死に、生まれ変わって再生するという含みが必ずある・・・はずです!

ところでこのとき、肝心のマレフィセントの男性性(アニムス)はどんな状態になっているのか?

魔女の装いをしているマレフィセントからわかる通り、マレフィセントは意識上の魔女を強固なペルソナとして持っています。

そもそもペルソナの役割とは、傷つきやすい人の心を守るために存在します。

翼を奪われるほどのトラウマ的経験をしたマレフィセントは、これ以上外界の刺激に傷つかなくていいよう、魔女というペルソナによって、無意識領域のアニムスを含めた真の自己を隠しているように感じます。

しかし、ユング的に考えればこのような「偏り」が生じている以上、人格は個性化できません。

このころのステファンを見れば、統合すべきアニムス像は一目瞭然です。

このころのステファンは、マレフィセントへの復讐心で忘我の状態になるほど退廃しています…。

ステファンは、暴力性、狡猾さ、攻撃性を持つ存在ですが、それが妖精育ちのマレフィセントが抑圧してきたアニムスであり、統合すべきアニムスです。

マレフィセントがより高次な人格の統合性を得るには、どうしてもこのアニムスと対話・自覚することが欠かせないんですよ。

そんなマレフィセントに気づきを与え、アニムスと対話する機会を作るキーパーソンとなったのが、すくすくと成長した美しいオーロラ姫です。

オーロラ姫は16歳の誕生日が近づいたころ、リアルマレフィセントと会ったとき、

フェアリー・ゴッドマザー!!

と歓喜し、その後もマレフィセントのポジティブな面をどんどん引き出すセラピストみたいになりました。

喜ばしいことですが、これが原因でマレフィセントに激しい葛藤が始まります。

これほどかわいらしく育ち、自分になついているオーロラ姫が、自分のせいで「16歳で死ぬ」という宿命を持っていることです。

そのことを悔やみ、苦しみ、マレフィセントは人知れずオーロラ姫の呪いを解こうとするのですが、解けず、そのときは刻一刻と近づいてきます。

結局は、ステファン(アニムス)と直接対決する時間が迫ってきます。

つまりこの展開は、「自己のアニムスを統合するにはステファンと直接対決するしか手段がなかった」というように思いますね。

それでは、マレフィセントはどのようにステファンと向き合い、アニムスを内包し、強固な魔女のペルソナを打ち破って自己を統合したのか?

そして、魔女時代が終わったマレフィセントは次は一体何者になるのか・・・?

結末と紐づけながら次の項で解説しましょう!

結末:ステファン殺しで達成した「個性化」

マレフィセント キス
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

マレフィセントはもう、妖精へ戻ることはできません。

妖精もまた彼女の一部ですが、魔女もまた、マレフィセントの一部と自覚したからです。

人格統合作業を進めているマレフィセントの次なる目標は、一面的ではない「全体性へ変容した人格の個性化」です。

要するに、妖精も黒魔女も攻撃的アニムスも全部ひっくるめるってことです。

マレフィセントの最後の仕事とは、ステファン殺し=暴力的、衝動的、狡猾で攻撃的なアニムスの自覚、そしてその受容でした。

これ、女性にはかなり難しい作業なんですよ!

だって、考えてみてください。

日本の昔話で鬼退治を退治するのって、桃太郎でも一寸法師でも男の役目でしょう?

逆に女の場合は、「本当の私を見ないで…」と月や天へサーーっと帰っていく「鶴の恩返し」や「かぐや姫」的ストーリーがしっくりくるんです。

せいぜいグリム童話の「カエルの王様」で、姫がカエルをびたーん!と壁に投げつけるくらいですかね…(でも、ギリ死んではないです)。

攻撃性と男性性は同一視されやすいですが、女性の殺意や暴力性、攻撃性はまーまー受け入れられず、特に母性神話が強い日本では「病んでるヤツ」と木嶋佳苗みたいに排除されやすいんです。

でも、すべての男性が内面に戦士を持っているように、すべの女性にアニムスがある以上、そういう殺人者メディアは住んでいると思うんですよ。

そして、モダンなマレフィセントは強し!

マレフィセントの抑圧されたアニムスのエネルギーは、ステファンへの復讐エネルギーへと覚醒されていきます。

最後のステファンとの戦いは、オーロラ姫を救出したい女性性の肯定的な側面と、否定的側面=殺人者、闇、攻撃的という暗い自分の「全体性」を見ることです。

極端に妖精でもない、極端に黒魔女でもない…この2つの性質統合させたうえで、より深いアニムスを投影したステファンとも直接対決して、自分自身に関係づける作業なんですね。

この戦いで城に保管してあった翼がマレフィセントの背中に戻り、マレフィセントはペルソナ的にもしっかりした状態に戻りました。

ステファンとのバトルシーンは結構長いのですが、最後はマレフィセントは翼を生かして城のバルコニーへステファンを運び、そのまま突き落として殺します。

面白いのは、マレフィセントが死んだステファンをしばらくじーっと無表情で見ていることです(子供にとってはちょっと不気味で怖いんじゃないか?って思うほど…)。

これはマレフィセントにとって、アニムスを解放したこと、それを自覚したこと、さらに受容したことの象徴的なシーンだと思います。

この儀式を経て、マレフィセントは1人の精から女性へと変容するプロセスを達成したんだと思いますね!

―――そしてしこりとして残っていた最後の疑問、なぜオーロラ姫は、イケメン王子とのキスで目覚めず、マレフィセントのキスで蘇ったのか??

私、このシーンを最初観たときは正直ピンとこなくて、友情?母性愛?なんだ?って感じだったんですよ…。

このキスをするときのマレフィセントって、なんだかとっても中性的なんです。

映画トゥームレイダーのアンジーって感じで、女ってオーラがあんまりないんですよね。

でも、その答えはオーロラ姫自身が目覚めたとき1番に言います。再度、

フェアリー・ゴッドマザー(大いなる妖精の母)!

さっきのグレートマザーの図を思い出してください。

マレフィセントは、この時点で生や死に極端に偏らず、すべてを包含している包括的な調和的な状態に達しているでしょう。

実はアニマやアニムスには、成長すればするほど中性的になる性質があるんです。

例えば最も高次元なアニマやアニムスは、弥勒菩薩や仏像なのですが、どっちも男か女かちょっとわかりづらいですよね…。

つまり、ステファン殺しを達成したマレフィセントは「マレフィセント=フェアリー・ゴッドマザー(大いなる妖精の母)」とアイデンティティが完全一致したのだと思います!

女性が成熟するということは、「女性+アニムス=ロゴス(男性的知性)」が備わることを言うんです。

ステファン王を倒し、人間王国を支配下におさめたということは、主体的に解釈すれば、マレフィセントがロゴスの世界を裡に取り入れたともとれます。

そして「精神的な導き手」という、アニムスが最高潮に成長したのが、ラストのマレフィセントでしょう!!

魔女の次なる次元に成長を遂げたマレフィセントは、本物のフェアリー・ゴッドマザーという守り神に変容したのです。

なので、私はアニムスのことを再考したあと、オーロラ姫を目覚めさせたのは師弟愛のような愛だったのでは?と今は思います。

例えば、箱入り娘→悪にとり憑かれた家出少女→善も悪も包括した瀬戸内寂聴・・・みたいな(笑)?!
(例えが陳腐ですいません…。)

そのことは最後のナレーションが、わかりやすく結論を導き出してくれます。

2つの分断された国をまとめたのは偉大な英雄ではなく、恐ろしい悪者でもなく、その2つを合わせ持った1人の女性でした。

私は、映画マレフィセントは「妖精→魔女→フェアリー・ゴッドマザー」という客観的な成長物語だけに終わってほしくないのです。

童話を土台としている以上、ストーリーの組み立て、描写そのものが、「マレフィセントの内的世界を映し出した極めて主体的な映像劇」という風に緻密に観ていただきたいと思います!

最後に、マレフィセントという映画、またあなたが誰かとパートナーシップを築いているならば、それにふさわしいであろうユングの言葉で締めくくりたいと思います。

・The meeting of two personalities is like the contact of two chemical substances: if there is any reaction, both are transformed.

(2つの人格が出会う事は、2つの化学物質の接触に似ている。もし何か反応が起これば、両者とも変容する。)

4.マレフィセントをオススメしたい人

マレフィセント ラスト
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

マレフィセントは監督自身「子供でも観られる映画」と言っていますので、子供でもそこまで怖くないと思います。

ただし、夜や、背景が暗いシーンが多いので、明るい部屋だとかなり観にくいので気を付けてください(笑)

あと、普段は私はもっぱら字幕派なのですが、マレフィセントは日本語吹き替えの方が細かなことがわかりやすく、内容理解にはオススメです(大女優アンジーの鬼気迫る演技がわからなくなりますが(笑)…)。

絆について再考したい人

家族や、人間同士の絆についてもう1度考えてみたい人にはオススメです。

平成最後の年は、「万引き家族」など血の繋がらない家族の絆を考えさせられる映画がヒットしましたね。

現実にも、ゲイ・レズカップル、または不妊や病気などで子供を授かることができない夫婦の特別養子縁組をすることが「令和の家族のあり方」として増加、注目を浴びています。

マレフィセントもその部類です。

自分と、自分を傷つけた元カレの子との深い絆を描いているんですよね。

最後オーロラ姫は、血の繋がりよりも恩師的存在のマレフィセントについて暮らすことを選びました。

絆とは何なのか?

例え血が繋がっていなくても、人はどれほど深く人を慈しみ、慕うことができるのか?

そんなことを考えさせられる映画です。

娘を持つママ

マレフィセント アンジー
画像出典:https://tsutayamovie.jp/

娘を持つママにはオススメです。

まあこれは、私のことです(笑)

なぜオススメかというと、先ほども言ったとおり、マレフィセントとオーロラ姫は血の繋がりがなくてもお互いを尊重し合う関係を築きます。

母と娘は同性である以上、息子よりも自他の区別がしにくく、切り離しづらい存在です。

これが悪いほうに働くと、過剰に期待したりイライラしたりなど、いいことってないんですよね(汗

マレフィセントを観ると、そんなくっついた母娘に「他人でもいいんだよ」という良い意味の一線を引いてくれるように思います。

娘という存在に入れ込みすぎず、適度な距離を置いて他人同士のような関係になっても、きちんと信頼し愛し合えるのだという希望を与えてくれるように感じます。

心理学が好きな人

心理学が好きな人にはオススメです。

今回私は主人公マレフィセントを主体として、ユング心理学を引用した私の視点での考察をしてみました。

ですが、童話は誰が読むか、登場人物の誰を主体とするかによって物語性は全く変わってくるので、オーロラ姫やステファンを主体と観ても面白いところです。

私はTsutaya movieでマレフィセントを観ましたが、「眠れる森の美女」も300コインでレンタルして観られますので(笑)、見比べてみても面白いと思います(2019年5月現在)。

また、この映画はフロイト的な解釈をしても面白いでしょう。

実は私も最初は、フロイトのエロス(生の欲動)とタナトス(死の欲動)という2大欲求から考察しようと思ったんですよね。

「エロスからタナトスにひっくり返ったマレフィセントの攻撃性」と・・・。

心理学的にも多角的な面から観ることができる、学ぶこと多いおもしろい映画だと思いますね。

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「マレフィセント」ネタバレあらすじと感想!本作のテーマとは? | 映画鑑賞中。

[…] (オーロラ姫とフィリップ王子の出会い 引用:https://entertainment-bridge.com) 2人の出会いをこっそり見ていたマレフィセントは「彼こそが呪いを説くカギだ!」と喜ぶディアヴィルに「””真実の愛””なんて存在しないわ」とうつむいた。 マレフィセントは自身とステファンとの過去から真実の愛を信じることはできなかったからだ。 […]

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