映画「レ・ミゼラブル(2012)」は激ヤバ!絶望した人は今すぐ見るべき【あらすじ感想】

レミゼラブル 映画 ポスター

エンタメブリッジライターしおりです。

今回は言わずと知れた芸術の最高峰映画「レ・ミゼラブル」(2012)をご紹介します。

実は私は「ミュージカル映画ってちょっと苦手なんだよね~」というタイプでした。

「ラ・ラ・ランド」「グレテストショーマン」でさえ観て10分で挫折したという顛末(汗。

その私が「レ・ミゼラブル」は最後まで飽きることなく、むしろハートをわしづかみにされながらグイグイ高いストーリー性とそれにピタリとハマった歌唱のマッチに惹きこまれていきました。

もちろん19世紀最大の仏文豪にして原作者のヴィクトル・ユゴーの思想や宗教性、歴史背景、緻密な創作性なども質を落とさず盛り込まれており、気づけば岩波文庫1,000ページ分の原作文庫本をポチっていた私です。

こういう作品こそ後世にぜひ残ってほしいと思う芸術作品ですね。

もちろんレミゼは1人1人が思い思いに感想を残すことに意義がある作品ですので、それぞれの人が独自の感想を持つべきです。

今回は私個人の鑑賞体験を通して、特に「人は絶望したときどうすればよいのか」という命題を引っ提げてレビューにうつりますね!

1.映画「レ・ミゼラブル(2012)」の作品紹介

公開日:2012年12月21日(日本)
監督:トム・フーパー
原作者:ヴィクトル・ユゴー
原作:レ・ミゼラブル(Les Misérables)
出演者: ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイ、アマンダ・サイフリッド、エディ・レッドメイン、ヘレナ・ボナム=カーター、サシャ・バロン・コーエン、アーロン・トヴェイト。
受賞歴:ゴールデングローブ賞ミュージカル・コメディ部門にて、作品賞、主演男優賞(ヒュー・ジャックマン)、助演女優賞(アン・ハサウェイ)受賞。アカデミー賞にて、助演女優賞(アン・ハサウェイ)、メイクアップ&ヘアスタイリング賞、録音賞受賞。

こちらが「レ・ミゼラブル」の予告映像ですが、名曲と共に流れる予告編を観ているだけで鳥肌が立ってゾクゾクします。

1分10秒頃流れる「しかし彼らは激動の波に呑まれていく」という意味深なテキストが気になりますね。

2.映画「レ・ミゼラブル(2012)」のあらすじ

レミゼラブル 画像 あらすじ
画像出典:https://www.imdb.com/

初めに「レ・ミゼラブル(2012)」のあらすじをご紹介します。

「レ・ミゼラブル」は1862年に出版されて以来、芝居、テレビ、映画、ミュージカル、児童書など少し改変も加えられながら多数翻訳されましたが、今作の映画「レ・ミゼラブル(2012)」にも固有のあらすじがあります。

そこに焦点を当てながらあらすじを書いていきますね。

映画「レ・ミゼラブル(2012)」のあらすじ(ネタバレなし)

1815年フランス——それは何十年も続く「フランス革命」真っ只中の激動の時代で、王の力が強い近世が終わり、人と法の国を作るために民衆が戦う革命の時代。

皇帝ナポレオンは倒れ、ルイ18世による王政復古へ逆戻りした激動のフランスで、1切れのパンを盗んだために19年も徒刑囚(奴隷扱いに等しい)となっていたジャン・バルジャンという40代後半の男がようやく刑期を終えて仮釈放の身となりました。

ジャン・バルジャンを担当していた看守はジャベールという監獄で生まれた監獄育ちの男。

その劣悪さを知ってゆえか、「法に仕えること」を最も正しい生き方の信念として、執拗なほどに守る男です。

このジャン・バルジャンVSジャベールの戦いは後々大きな見どころになりますので、しっかり覚えておいてください。

娑婆に出たジャン・バルジャンは徒刑囚であったことの「身分証」を携帯せねばならず、貧困と治安悪化がはびこる社会ではどこに行っても仕事は見つからず、教会の敷地で寝ていたところを司教に見つかり、司教はジャン・バルジャンを温かく教会へ迎え入れます。

この司教との出会いが、長年の徒刑囚生活で憎悪と悪事の沁みついていたジャン・バルジャンの人生を変える一大転機となるのです。

夜中、教会にあった高価な銀食器を盗難しそのまま去ったジャン・バルジャン。

翌朝国家警察に逮捕されて教会へ連れ戻されてきました。

そこで司教が放った衝撃の言葉とは、

それは私があげたものだ。

そうだ、うっかりしていた、燭台を持って行かせるのを忘れていた。

高徳な司教は盗んだ銀食器をジャン・バルジャンにプレゼントしたどころか、最も高価な燭台まで持っていかせたのです。

この司教の心からの優しさがジャン・バルジャンの心を芯から悔い改めさせ、徒刑囚だった過去をかなぐり捨てるように「善人」として生きる決意をさせたのでした。

レ・ミゼラブルの意味=「哀れな人」。

革命の激動期に名もなき哀れな民衆の愛の連鎖の物語がここから始まります。

映画「レ・ミゼラブル(2012)」のあらすじ(ネタバレあり)

レミゼラブル 画像 あらすじ
画像出典:https://www.imdb.com/

8年後の1923年――治安と貧困はさらに悪化し、町はホームレスで溢れかえり、まるで死を待つ人々で溢れかえります。

一方「マドレーヌ」と改名して新しい人生を歩み始めたジャン・バルジャンは、装飾品製造工場を作り、町や郡の経済まで支えた功績により人々に信頼される善良な市長となっていました。

しかしこのときジャン・バルジャンは「出所から30日以内に署に戻る」という仮釈放の掟を破っており、バレれば終身刑という綱渡りの身のまま町の生活で新しく出直して成功を収めていたのです。

その工場で働いていたのが、アン・ハサウェイ演じる夫人ファンティーヌ。

ファンティーヌは映画では語られませんが、深く愛し合った若い男と恋に落ち、女児コゼットを産んだものの男にはいいなずけがいたことから逃げられてしまい、「コゼットを育てるお金がないから」と宿屋の夫婦にコゼットを預けて、単身でジャン・バルジャンの工場で働きながら宿屋に仕送りをしていました。

この宿屋の夫婦は、宿屋というよりボッタくりや詐欺がはびこる下品な安酒場で、人に享楽を提供しながらなんとか富を得ており(上の画像がその2人)、コゼットは夫婦の実娘エポニーヌとはまるで違う差別的扱いを受けながら、ひどい虐待と児童労働をさせられて育てられていました(その惨めな様子は「マッチ売りの少女」を彷彿とします)。

そんなことはつゆ知らず、せっせと仕送りのため工場で真面目に働くファンティーヌは、若く美貌の持ち主だっため女たちの嫉妬の的になり、工場長からセクハラも受けます。

ある日ファンティーヌは宿屋からの督促の手紙を同僚に見られてしまい、「隠し子がいる」「淫売」と言いがかりをつけられて喧嘩が勃発、工場長から報告を受けたジャン・バルジャンはファンティーヌを言い分を聞かずにクビにしてしまいました。

ジャン・バルジャンがファンティーヌの話に耳を傾けなかった理由とは、その日ジャン・バルジャンはたまたま焦って心ここにあらずだったからです。

なぜなら市に赴任してきた、自分の部下となる警部がジャベール…つまりジャン・バルジャンの徒刑囚時代を知る元看守であり、仮釈放の出頭を守らなかったジャン・バルジャンは身バレを恐れていたからです。

お互いが挨拶を交わすとき、「お互いのことをわかっているけどわからない」と場を繕う緊張感によって、ジャン・バルジャンはジャベールから再逮捕される可能性に頭がいっぱいだったのでした。

工場をクビになり「仕送りするお金がない」とファンティーヌは絶望しながらスラムに迷い込み、髪を売り歯を売り、娼婦にまで堕ちてしまいました。

男の相手をした後、ファンティーヌにいたずらをしてくるからかう男たちが来て、ファンティーヌが「からかうだけなら帰って!」と突っかかったところ揉め事となり、警察ジャベール、市長のジャン・バルジャンも駆け付けます。

そこでファンティーヌがとった行動とは、なんと工場をクビにしたジャン・バルジャンを恨みで唾をかけたこと。

しかしファンティーヌは病気を発症しており、ジャン・バルジャンは自らの過ちを悔いて、急いで意識もうろうのファンティーヌを病院に連れて行きます。

ジャン・バルジャンの正体に勘づいたジャベール警部は、どうにかジャン・バルジャンを追い込もうとしてカマをかけました。

「ジャン・バルジャン」という名前の男が窃盗で捕まりました。

明日の裁判でその男が有罪となれば、終身刑となります。

もちろんその男は「ジャン・バルジャン」本人でなく、誤認逮捕です。

これを聞いたジャン・バルジャンは、『本当のジャン・バルジャンは自分、名乗らなければ他の男が終身刑となってしまう!』と良心の呵責に苦しみ、翌日出頭を決意して裁判所に駆けつけ、「自分が本当のジャン・バルジャンだ!」と名乗り出たのでした。

そして逮捕されゆくジャン・バルジャンですが、逮捕前に「立ち寄らせてほしい」と病院のファンティーヌを見舞います。

ファンティーヌはすでに瀕死の状態であり、「コゼットをここに呼びたい」「コゼットに愛していると伝えて」と力なき言葉を遺してとうとうジャン・バルジャンの目の前で力尽きて死んでしまいました…。

ーーこの女性を解雇した罪と娘を愛する母の姿に胸打たれたことから、ジャン・バルジャンの感動的な愛の連鎖が始まります。

ファンティーヌとの約束を守ろうとしたジャン・バルジャンは警察を振り切って逃走、ファンティーヌの娘コゼットのいる宿屋を探し出して、主人にお金を払って孤児だったコゼットを「父親だよ」と引き取ったのです。

もちろんジャベール警部は逃走犯ジャン・バルジャンを追ってきますが、ジャン・バルジャンとコゼットは間一髪、男性が立ち入りできない修道院に逃げ込みました。

そしてファンティーヌがコゼットを心から愛したように、司教がジャン・バルジャンの罪を洗いざらい赦したように、ジャン・バルジャンは手塩にかけてコゼットを修道院にかくまって大事に大事に育てたのでした。

9年後の1832年——貧困と治安がいよいよ悪化し、町自体がまるで徒刑場のようになったパリ。

自由のために戦ったのに パンのために戦ってる

「平等」ってやつは死ななきゃ手に入らない

いよいよここで「レ・ミゼラブル」のクライマックスとなる六月暴動(国王シャルル10世に次ぐ、ルイ・フィリップの打倒)を目的に若い学生が共和派の結社を作り蜂起します。

暴動の原因には、1827~1832年にかけて急速に深刻となった経済問題がありました。

この時期には不作が続き、食糧事情は悪化、物価が上昇するなど、全ての階級において不満が高まり、さらに1832年春にはヨーロッパ全土を襲っていたコレラ禍がパリにも発生し、2万人近くの死者を出す大惨事になっていたのです。

ジャン・バルジャンのもとで愛情豊かに育て直された娘コゼットは美しい女性に様変わりし、ジャン・バルジャンと腕を組んで歩くその姿はさながら貴族。

その散歩中にコゼットに一目惚れをしたのが、マリウスという暴動に参加する秘密結社の一員の美しい青年でした。

2人は視線を通わせるだけでお互いに惹かれ合い、マリウスはコゼットの家を何とか突き止めようとします。

このとき「この町のことならなんでも知ってる」と現れたのが、私が本映画最もレ・ミゼラブル(哀れな人)だと思う少女エポニーヌ。

エポニーヌはかつてコゼットが預けられた宿屋夫婦の実子ですが、貧困から抜け出せずみすぼらしい身なりのままで(つまり結果的には虐待されていたコゼット以下になった)、マリウスに恋をするのですがマリウスはコゼットに夢中でエポニーヌには目もくれないのです。

小さい頃は自分のほうが優遇されていたというのに、今や孤児コゼットのほうが美しい見目かたちを備え、貴族のような父を従え、イケメンで家柄の良い好青年から好かれている矛盾と嫉妬と絶望…。

そんなマリウスとコゼットの純愛に嫉妬したのは同年代のエポニーヌだけでなく、ジャン・バルジャンも同じでした。

「やもめ」と「みなしご」の立場で出会ったジャン・バルジャンとコゼットですが、ジャン・バルジャンにとって生涯で唯一愛し愛される人はコゼットだけ。

そのコゼットが他の男に取られて行く辛さ、父としての役目が終わる辛さ(原作はもう少し突っ込んでジャン・バルジャンの純潔な恋心がコゼットにあったとも推察される)がメラメラとジャン・バルジャンを苦しめるのです。

マリウスは妥当王党派を掲げる秘密結社の会合に参加するものの、あまり積極的ではありませんでした。

いわゆる「恋にうつつをぬかす」ってやつで、コゼットのことばかり考えて政治活動なんかに身が入らないのです。

やがてマリウスとコゼットとは「コゼットの自宅の玄関先に手紙を置く」という秘密の文通で交流を深めていたのですが、それを陰でひっそり見ていたのはエポニーヌ。

エポニーヌは嫉妬のあまり、コゼットがマリウス宛に書いた手紙を盗み取りました。

そして警察ジャベールはこのころすでに、「ジャン・バルジャンを何としてでも刑務所にぶち込んでやる!」という執念に囚われていて、『それしか仕事がないのだろうか?』ってほどにジャン・バルジャンを追って追って追ってきます。

追ってくるジャベールに気づいたジャン・バルジャン、コゼットに突如「イギリスに逃げよう!」と提案し、荷物をまとめて連れ立とうとします。

しかしマリウスという恋人がいる今、コゼットは「逃げる理由がわからない、パパは何かを隠している」と詰め寄りますが、ジャン・バルジャンは徒刑囚であった過去は絶対に語らないし、逃げる理由も語りません。

そして迎えた「六月暴動」の4日前。

この日は、ナポレオン傘下の将軍で、自由主義派の政治家であり貧困層に同情的で指示を集めていたキーパーソンのラマルク将軍が亡くなった葬儀の日でした。

学生の秘密結社はラマルク将軍の葬儀に参列して旗揚げすることで、民衆を一致団結させ決起させる好機だと考えたのです。

そして葬儀を乗っ取ったかの学生は決起のためにあの名歌「民衆の歌」を歌って市民の心を1つにしました。

いよいよ軍と民衆の戦いの火ぶたは切って落とされます。

市民は家具をかき集めていわゆる「バリケード(砦)」を町中に作りました。

エポニーヌが手紙を盗んだせいで「コゼットにフラれた」と勘違いしたマリウスも、捨て身で暴動に参戦することを決意。

6月5、6日と「王党派軍隊VS共和派市民」の戦いの火ぶたは切って落とされ、バリケードを境界に銃弾や砲弾が飛び交います(これが「六月暴動」)。

男装して戦いに参戦していたエポニーヌは被弾して死亡…死にゆく瞬間エポニーヌはマリウスに、コゼットが書いた、コゼットの隠れ家の住所が書かれた盗んでいた手紙をマリウスの手に渡しました。ああ無情!

終盤の「レ・ミゼラブル」は以下のような図式ができています。

  1. 王党派VS共和派
  2. 金持ち(コゼット)VS貧困(エポニーヌ)
  3. ジャン・バルジャンVSジャベール
  4. 革命VS恋

ジャン・バルジャンはその後、マリウスがコゼットに遺した手紙を自宅で発見し、恋心もさることながら「娘の愛する人が暴動で死ぬ気なのだ」と目が覚め、1人志願兵を装ってバリケードまで行って戦いに参戦しました。

同じようにジャン・バルジャン逮捕のため志願兵を装って潜入したジャベール警部ですが、「この人は国家警察だよ!」と子供のタレコミに遭って学生たちに捕まり、建物内で手足を柱にくくられる捕虜になります。

ジャン・バルジャンは学生たちから「あの男は任せた」と殺すことを委ねられることになり、とうとう積年の恨みを晴らす対決となるはずだったのですが、ジャン・バルジャンが取った行動とは奇想天外なものでした。

「殺したいなら殺せ」と挑発するジャベールに対し、ジャン・バルジャンがやったこととは、縄をほどいてジャベール警部を逃がしてやることだったのです!

最初、司教がジャン・バルジャンにやったことと同じ、ここもジャン・バルジャンらしい勇敢な愛の連鎖の行動でした。

起きたことに信じられないジャベール…逃走しながら「法の前に善良な市民」であったはずの信念が大きく揺らぎます。

一方バリケードでは王党派がどんどん市民を撃ち落とし、大量の死人が出て鎮圧。

マリウスも被弾して意識を失いますが、その様子を見たジャン・バルジャンが命がらがら助け出し、刑務所時代に鍛えられた怪力でマリウスを担いだまま下水道に逃げ込み、病院に連れて行くのです。

が、そこでひと悶着。

迷路のような下水道から川に出たとき、そこに立ちはだかっていたのは先ほどジャン・バルジャンが逃がしたばかりのジャベール警部でした。

俺は捕まってもいい!

しかし、この青年は病院に連れて行ってやってくれ!

このジャン・バルジャンのセリフに対し「1歩でも動いたら撃つ」と脅すジャベール警部。

しかし『そんなことはどうでもいい』と言わんばかりに足を進めたジャン・バルジャンはマリウスを病院へ担ぎこんでいき、ジャベールは唖然としていました。

この後、法と神の正義の間に進退きわまったジャベール警部は川に身投げして自殺します。

すべての親友を革命によって亡くし、絶望の中目を覚ましたマリウスを献身的に看護していたのは恋人コゼットでした。

マリウスが回復するとコゼットといよいよ結婚することとなり、ようやくハッピーエンドに巡り付く!と思いきや、結婚前にジャン・バルジャンは再び苦悩が頭をもたげます。

なぜならマリウスは祖父が王党派、亡くなった父はナポレオン直下の優れた軍人という名家の息子であり、徒刑囚であった自分が家族になることで名家の名を汚してはいけないと考えたからです。

考えに考え抜いたジャン・バルジャンは、マリウスだけに『1切れのパンを盗み19年徒刑囚となり、その後も逃走を繰り返した身であること』を明かしました。

「コゼットには長旅に出ると伝えてくれ」とマリウスに伝言し姿を消したジャン・バルジャン。

結婚式に父が姿を現さず、マリウスの伝言を聞いて混乱するばかりのコゼット…。

そこへ急転直下、結婚式にコゼットが子供の時預けられていたあの宿屋の夫婦がチャカしか、式の装飾品を盗む目的か、この結婚式に紛れ込んできたのです。

もちろん式場からは即つまみ出される宿屋夫婦ですが、ここで主人がマリウスにある重大な証言をしたのです。

暴動の最中、瀕死だったマリウスが下水道でジャン・バルジャンに担がれて救助されていたのを、同じく下水道に避難していた宿屋の主人は目撃していたのでした。

つまり、今マリウスが生きているのも、コゼットと幸せな結婚ができているのも、ジャン・バルジャンのおかげであること。

君のお父さんは、僕の命の恩人だった。

そう知ったマリウスとコゼットは、ジャン・バルジャンの潜伏先である修道院へすっとんで行きましたが、ジャン・バルジャンは老いに疲弊し、さらに病気を患っていたことにより、今にも天に召されそうでした。

「パパ!」と聖堂に飛び込んできた愛娘コゼットとマリウス。

「君のパパは聖人だ」とのマリウスの言葉に涙を流しながらジャン・バルジャンの手を握るコゼット。

そんな中『私の命は祝福された』とすべての苦悩から解放されてジャン・バルジャンはようやくすべての苦悩から解放されて64歳の生涯を終え天に召されて行ったのです。

ジャン・バルジャンの今わの際に立ち会い、天に召される呼び声を与えていたのはコゼットの母ファンティーヌでした。

3.映画「レ・ミゼラブル(2012)」の見どころ

レミゼラブル 画像 あらすじ
画像出典:https://www.imdb.com/

続いては「レ・ミゼラブル」の見どころをご紹介します。

有名無名問わず、すでに世界中の様々な人からレビューが述べられている「レ・ミゼラブル」。

舞台版も見たことのなかった私ですが、初めて映画でレミゼの壮大で素晴らしい世界に触れた感想を書いていこうと思います。

ストーリーを理解するための歴史

「レ・ミゼラブル」は仏文学の巨匠ヴィクトル・ユゴー(1802~1885)によって1845年から執筆が開始され、その後中断を再度執筆が開始され1962年に出版されるや否や、フランスでベストセラーとなりました。

今日でもフランスでは聖書に次いで第2位の売り上げを占める名作です。

「レ・ミゼラブル」は1815-1833年のフランスが舞台であり、社会小説、宗教小説、歴史小説すべての要素が入った「総合小説」。

フランス革命前後の歴史がわかっていなければ面白さが半減しますので最初に簡単に解説しておきますね。

  • 1804年:ナポレオン皇帝に即位
  • 1814年:ナポレオン無条件退位・エルバ島に配流。ルイ18世即位(第一次王政復古)
  • 1815年:ナポレオンエルバ島から帰還。「ワーテルローの会戦」で同盟軍(仏・英・蘭・独)に完敗・退位。百日天下は終わってセント・ヘレナ島に配流(二度と蘇ってこないようにアフリカの南部の島まで流されたナポレオン)。
    ルイ18世パリに帰還(第二次王政復古)⇒映画レミゼはここから
  • 1824年:ルイ18世死去、シャルル10世即位。⇒金持ち優遇政策は続く
  • 1830年:七月革命(議会解散の王令に対し、パリ民衆が蜂起)。シャルル10世退位。ルイ・フィリップ即位。
  • 1832年:6月、パリでラマルク将軍の葬儀に際し、共和派の蜂起。⇒レミゼの後半のクライマックス
  • 1848年:普通選挙を求める民衆蜂起。ナポレオン3世大統領に当選(ナポレオン甥で、まだ皇帝ではありません)。

この中でも特に重要なのは映画「レ・ミゼラブル」始まりの1815年であり、この年をナポレオンの①エルバ島脱出、②フランス上陸、③百日天下、④ワーテルロー敗戦、⑤皇帝退位、⑥第二次王政復古の年、と捉えることです。

当時詩人や作家が政治活動をするのは珍しい頃ではなく(今だったらきゃりーぱみゅぱみゅが政治発言しただけで叩かれるのにね)、原作者ユゴー自身も1849年立法議会選挙に「秩序党」から出馬し当選、議会で貧困についての演説を行うなど左傾化に進みました。

1851年ユゴーにとって天敵であったナポレオン3世が起こしたクーデターに対し、ユゴーは少数の共和派議員たちとともに抵抗しますが、過酷な弾圧のためベルギーに亡命。

1860年ユゴーは未完の「レ・ミゼラブル」の改稿に取り掛かり、ナポレオンが完敗したベルギーの「ワーテルロー」に滞在し、愛人と缶詰になってこの大作を書き終えたのです。

丸刈りで挑んだアン・ハサウェイ渾身の歌「I dreamed a dream」

今作でアカデミー助演女優賞を受賞した「プラダを着た悪魔」「マイ・インターン」で有名なアン・ハサウェイ。

「レ・ミゼラブル」で歌うアン・ハサウェイを初めて観たという方も多いのではないでしょうか?

彼女の役どころは、ファンティーヌという、貧困で子供さえ育てられない未婚の母であり、髪の毛も歯も売り飛ばしてしまった悲運の娼婦。

初めて客を相手にして、落ちぶれた惨めさと苦悶にあえぐようにこの「I dreamed a dream(夢やぶれて)」を魂から絞り出すように歌うのです。

「I dreamed a dream」は皆さんもよく知っている歌だと思いますが、実はファンティーヌという役は前半5分の1ほどしか出て来ない、コゼットやジャベールと比べてもものすごく出番の尺が少ない役です。

それでも前半のクライマックスのこの歌のシーンで彼女の悲運を歌い上げる記憶がバーンと私たちの脳裏に焼き付いたのは、「I dreamed a dream」の歌詞もメロディーも「ファンティーヌの不幸そのもの」で、あまりにもリアルだったからではないでしょうか?

「レ・ミゼラブル(2012)」は少なくとも歌手がオーケストラをひっさげてこぎれいに歌う「I dreamed a dream」ではありません。

演じたアン・ハサウェイはこのシーンについて、

上手く歌おうと思わなかった。

メロディーに身を委ねることにしたの。

と語られています。

実は今作の「レ・ミゼラブル」は、従来のミュージカル映画の手法のように歌だけを先に収録して、後から口パクで演技をする手法が取られたのではありません。

実際に生でキャストがセリフのように歌を歌って撮影するという前代未聞の試みがなされたのです。

この手法とアン・ハサウェイの秀でた演技力でもって、歌詞そのもののリアルな「絶望」がこちらにも大迫力で伝わってくるのでしょう。

ジャベールとジャン・バルジャン「法の前に正しい人」と「神の前に正しい人」

「レ・ミゼラブル」で最も面白いと感じるのは、ジャベールとジャン・バルジャンの「正しい人に生きる」という意味の違いです。

ジャベールは一見権力を持った強力な警部に見えますが、彼もまた監獄で出生し育った、その世界しか知らない「レ・ミゼラブル(哀れな人)」の1人に過ぎません。

ゆえにジャベールは「法に仕えるのが正しい人」という姿勢を貫きますが、これと対比されて描かれるのがジャン・バルジャンという前科持ちの「神の前に正しい人」です。

結局どちらが幸福に生きたのかは映画では一目瞭然で、慈愛に満ちてコゼットを育て上げ、娘&婿であるコゼット夫婦と唯一無二の愛情に見守られながら天に召されたジャン・バルジャンに対して、ジャベールは正義の意味に悶絶しながら投身自殺をはかりました。

映画という一歩引いた距離で両者を見られる私たちは「ジャン・バルジャンのほうが正しい生き方だった」と考えることができますが、実際のレミゼの現実生活では逃げ惑うことなく社会になじんで暮らすことができていたのはジャベールのほうであり、神の前に回心しても、警察に追い回されながら終身刑の危機と常に隣り合わせだったジャン・バルジャンは社会においてなじむことは困難極まりないことでした。

日本でも「おてんとうさまが見ている」という言葉がありますね。

「本当に正しい人」というのは法や正義、他者の目線の忠実なしもべとなって生きる人よりも、この「おてんとうさまの目線」を持ち得て行動している人だと気づかされます。

「なじむ強者」と「なじまない弱者」、今の日本にもこうした図式はあると思いますが、現実生活で差別的視線を送ってしまうのは「なじまない弱者」のほうではないでしょうか。

もう、人にそうした視線を向けている行動自体が「おてんとうさまに背いた生き方」をしているのだと、何か人間としてとても大切な部分がスッポリ欠落しているようにレミゼからあぶり出されます。

何度も迫りくる「良心の正念場」の意味

レミゼラブル 画像 あらすじ
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フランスには「cas de conscience」という言い回しがあり、ここでは「良心の正念場」と訳しましょう。

ジャン・バルジャンの人生とは死ぬまで「良心の正念場」の繰り返しです。

出所後司教の徳のある態度に触れて以来、自分の身代わりに捕まった窃盗犯に対して自首するか/しないか、ボーイフレンドができたコゼットを祝福するか/しないか、自分を追うばかりのジャベール警部を生かすか/殺すか…。

そして最大の「良心の正念場」とは娘コゼットとマリウスが結婚し、両家が1つの家族になるというとき、このまま何食わぬ顔で幸福な家族の一員に留まるか、徒刑囚である過去を打ち明けて身を引くかの場面でしょう。

前者はコゼットを犠牲にすることであり、後者は自分を犠牲にすることです。

そしてジャン・バルジャンはやはりここでもジャン・バルジャンらしい良心の選択をし、マリウスに徒刑囚として人間らしからぬ生活を送っていた過去を打ち明けました。

このときのジャン・バルジャンの心情が、原作では次のように語っています。

じぶんでじぶんを尊敬したければ、人から蔑まれる必要がある。

これがわたしの背負っている宿命です。

そうなってこそ、わたしは頭を真っ直ぐにしていられるのです。

わたしはじぶんの良心に服従する徒刑囚です。

何という美しい言葉の羅列でしょうか!ってか両耳かっぽじって政治家に聞かせたいね。

英語に「humble」という単語がありますが、「humble」はレミゼもそうであるようにキリスト教世界で非常によく使われる言葉で、「謙遜する」「身を低くする」といった意味です。

ユゴーの手によりイエス・キリストを擬したとされるジャン・バルジャンの「良心の正念場」の真意は、この「humble(自ら身を低くする謙遜)」の姿勢でしょう。

それに対して最も人間が陥りやすいのは「自分が1番正しい」とする「自分を偶像崇拝する傲慢さ」に他なりません。

個人的にはそういう人とは1時間会話しても2時間会話しても、全然楽しくありませんw

ナポレオンとジャン・バルジャンの「偉人」と「義人」

実際にフランス革命をその目で目撃していたヴィクトル・ユゴー。

作中の「マリウス」にはユゴーの自伝的要素があり、ユゴーもナポレオン主義者の父親、王党派の保護者を持ち、父親の死からナポレオンに心酔していくのです。

「レ・ミゼラブル」にもナポレオンは欠かせない人物であり、原作では111か所もナポレオンの記述がありその量たるや主人公のジャン・バルジャンの61回を遥かに上回る、作中の固有名詞の中では最も多くなっています。

ところがそのナポレオンの記述と言えば、これまでのユゴーのナポレオン賛美どころか「国内外で多くの死者を出した」「帝政に自由がなかった」といった否定的なものが多く、ユゴーは執筆において『脱ナポレオン』という内面変化を果たしたのです。

面白いのは、ユゴーはジャン・バルジャンとナポレオンの両者の誕生年を1769年としており、この2人は同い年という設定にしたこと。

映画は1815年ジャン・バルジャンの仮釈放から始まりますが、ナポレオンが事実上失脚したのもこの年です。

「レ・ミゼラブル」は「偉人」ナポレオンが退場した後、取って代わるように、同い年の、まったく非政治的でありながら人間的、倫理的に優れた「義人」であるジャン・バルジャンが対比的に登場するのです。

ユゴーは原作の登場人物の1人に、

大砲の弾は一時間二千四百キロメートルしか飛ばないが、光は一秒間三十万も進む。

イエス・キリストがナポレオンに優るのはこの点だよ。

と言わせています。

ユゴーは、レ・ミゼラブルを執筆した19世紀には「ナポレオン的な制服精神は不要」という思想の変化をしていて、軍事的・政治的な個人崇拝を時代錯誤と考えたのでしょう。

だからこそ「レ・ミゼラブル」はあえて最下層の貧困からジャン・バルジャンという、ユゴーが聖人に見立てた人間を理想化して作り上げることでユゴー自身にも、そして読者にも新たな出発点を与えたのです。

絶望の時にこそ立ち現る神

レミゼラブル 画像 ジャベール
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先ほど「良心の正念場」という話を書きましたが、「レ・ミゼラブル」の世界を生きるジャン・バルジャンを見ていると、神が現れて大事なメッセージを与えるのは(実際には見えませんが)、とにかくジャン・バルジャンが絶望の危機に向き合うときです。

改めて神というのは「人間が最も絶望したときに立ち現れるものなのだ」ということを痛感させられます。

絶望することがいいこととは思いませんが、絶望なんて、しようと思わなくても放っておいたら勝手に向こうから来るものですよね。

このときこそ、ジャン・バルジャンのように「神のかそけき御声」を聞くチャンスかもしれませんし、その声を聞くことができる人はラッキーです。

順調に行っているときなんて、目に見えないものに対する興味なぞ人間どうしても薄れます(私含む)。

ピンチに陥ったときこそ「神様、お願いします!!」と人知を超えた何かに返答を求める性質があるのが人であって、その天命を実際に「humble」に聞く耳がある人はラッキーでしょう。

「レ・ミゼラブル」なんて悲惨な人ばかり出てくる小説ですが、エゴイスティックな苦悩に自殺してしまう人はジャベール警部だけであり、彼は静かに安らいで神の声を聞く暇もなく、ただ人の作った法にのみ「法だ!法だ!」と身を捧げた後、まるで自家中毒にのたうち回るように亡くなっていきました。

自殺したいほど絶望するときこそ、私たちは静かに耳を澄まして聞こえてくる何かに応答するときなのでしょう。

ジャン・バルジャンはこの方法で愛の満ち溢れた晩年を過ごせたのですから、彼こそが証人です。

許されたときに人は死ぬ

暗い話続きですいません。

マリウスとコゼットが駆けつけて、ジャン・バルジャンが聖堂で死にゆく瞬間もまたこの映画の目が潤む感動的な瞬間で、どこか観衆である私たちの心をホッとなでおろすような穏やかな感動でもあります。

このとき前半亡くなって姿を消していたファンティーヌが導き手として再び現れ、ジャン・バルジャンをあの世へと連れ立ちます。

ジャン・バルジャンがこの日この瞬間に死んだワケとは、他でもなく「自分のような者が生きることが赦された」と思えた瞬間であり、また「自分で、自分が生きていることを赦せた」という高尚な感情を味わったからではないでしょうか。

前者はマリウスとコゼット、そして約束を果たしたあの世のファンティーヌから与えられた赦しであり、後者はその3者すべてがジャン・バルジャンに「愛の言葉」を語ったことで、ジャン・バルジャンはこの世で生きるべき仕事をまっとうできた自らに与えた赦しでしょう。

「レ・ミゼラブル」は社会の中に巻き起こるドラマの話でありながら、実は「個人と個人による愛の実践が救いをもたらす」と言ったメッセージ性を感じずにはいられません。

つまり、社会がどんな悲惨な様相を呈そうとも、人は人との個人的な関係によっては、必ず愛や信頼、優しさによる高度な関係を築けるという救いです。

「死んでも罪は消えないものだ」とジャン・バルジャンを揶揄していたジャベールの言葉を覆し、ジャン・バルジャンは個人と個人の関係において愛を実践し、その役割を全うし、新しい人間に心から立ち返りました。

新しい人間になったこともまた、人間の目には見えず、神の目のみに映ることなのでしょう。

4.映画「レ・ミゼラブル(2012)」をオススメしたい人

レミゼラブル 画像 あらすじ
画像出典:https://www.imdb.com/

最後に「レ・ミゼラブル」(2012)をオススメしたいのは以下のような方です。

ミュージカル映画というのが苦手で逃げて生き延びていたの私ですが(笑)、このレミゼだけはぐいぐいと引き込まれて、セリフでなく歌であることで実感できる登場人物の心情の本質というものに感動がうねりのように何度も何度もやってきました。

ミュージカル映画が苦手な方でも引き込まれる作品であることは間違いないです。

エポニーヌに隠れシンパシー?とにかく哀れな人

「レ・ミゼラブル」の翻訳の意味の通り、自分のことを「哀れな人」という自覚がある人にはオススメです。

レミゼには哀れな人しか出てきません。

中でも隠れ人気キャラである、宿屋の実娘エポニーヌの不憫さと言ったら、私は何度女子会でエポニーヌトークに花開かせたでしょう!(コロナ禍だからオンラインでねw)

エポニーヌは最初は実子だからコゼットに比べてかわいがられるのに、コゼットが去った後は宿屋の乱痴気夫婦に虐待され、良い服も着させてもらえず、歌は上手いし声もきれいなのに、出自ゆえかマリウスに見向きもされず、男装のような格好で女戦士として革命の中に入って被弾して死にます。

「エポニーヌだけには救いがない…」これは私の友人の意見でした。

確かにそうかもしれません。

「レ・ミゼラブル」は映画の誰かに必ずシンパシーを感じるキャラはいるでしょうし、革命に倒れた名前さえ出て来ない若者や子供の死も哀れです。

実際にパリで「六月暴動」を目撃したユゴーは、彼らを作品の中で蘇らせ、息を吹き込みました。

「惨めだな」「哀れだな」「ああ無情」…そんな風に感じる方にはオススメです。

NHKドラマを手引きに!大人の教養を身に着けたい人

レミゼラブル 画像 あらすじ
画像出典:https://www.imdb.com/

「レ・ミゼラブル?あー知ってるよ、あのミュージカルでやってるやつね!」とレミゼの話題になったら、冷や汗タラタラ流しながら話についていこうとする方にはオススメです。

大人の教養として19世紀最大の文豪ともいえるユゴーの「レ・ミゼラブル」は知っておくべきでしょう。

とはいえ原作は5巻もありますから、なかなか読破するのは大変です(でも、びっくりするほど美しい日本語で読んでほしい!)

「レ・ミゼラブル」発刊後200年近く経ってもなお人気なのは、どんな政治状況であっても完璧な社会というのはないですし、その中で感じる抑圧やフラストレーション、さらに家族や友人、恋人との個人の間に感じられる愛というのがあまりにも普遍だからではないでしょうか?

または「普遍であってほしい」という私たちの願望を表しているのかもしれませんね。

ミュージカルが苦手だという方はNHKで放映されていた全8話のBBC制作ドラマ版レミゼを観ていただきたいです。

NHKの見逃し配信やAmazon Prime Videoで鑑賞することができますよ。

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