↑このポスターは宮崎駿による原画がそのまま採用されたんですよ。
まいどっ、エンタメブリッジライターしおりです!
今回は2011年ジブリ映画「コクリコ坂から」についてご紹介します。
コクリコ坂からは、過去ジブリ作品の中では「なんとなく印象が薄い」といった映画ではないでしょうか?
企画・脚本は宮崎駿、監督は宮崎吾朗と絶妙なキャスティング。
親子問題には触れないほうがいいのかもしれませんが、これを語らずしてコクリコ坂からは理解できないのでは?!と個人的には思います。
また、コクリコ坂からは宮崎駿引退作となった「風立ちぬ」の1つ前の作品。
今、引退を撤回(?)し、制作されている新作「君たちはどう生きるか」の重要な伏線にもなっているでしょう。
この2点に着目しながら、主人公メルはどんな視点を持ったキャラに仕上がったのか?早速解説していきましょう。
1.コクリコ坂からの作品紹介
監督:宮崎吾朗
原作者:佐山哲郎
脚本:宮崎駿、丹羽圭子
製作:宮崎駿、鈴木敏夫
出演者:長澤まさみ、岡田准一、竹下景子、風吹ジュン、石田ゆり子、内藤剛志、風間俊介、香川照之、ほか。
主題歌:手嶌葵「さよならの夏〜コクリコ坂から〜」
製作会社:スタジオジブリ
受賞歴:日本アカデミー賞にて、最優秀アニメーション作品賞受賞。
2.コクリコ坂からのあらすじ
画像出典:https://www.youtube.com/
コクリコ坂からのあらすじをご紹介します。
舞台は1963年(昭和38年)の横浜。
1963年は宮崎駿がアニメーターになった年です。
映画に出てくる数々の懐メロソングの中でも森山良子「さよならの夏」はこの映画の主題歌であり、ストーリーのシンボル。
恋に恋するような歌が「これだ!」と宮崎駿に着想を得させ、制作が始まったそうですよ。
コクリコ坂からのあらすじ(ネタバレなし)
コクリコ荘を切り盛りするしっかり者の高校2年生海(通称メル)。
コクリコ荘は自宅を改装した下宿宿ですが、メル、空(妹)、陸(弟)の3姉弟には両親がいません。
父親は朝鮮戦争の機雷で亡くなり、母は助教授でにアメリカに留学中。
コクリコ荘の長老的存在はメルの祖母です。
メルの日課は、毎日下宿人と家族のご飯を作り、亡くなった父を想い海に向かって信号旗を揚げること。
一方メルの高校では、明治期に建設された男子クラブ棟(通称カルチェラタン)は老朽化を理由に、取り壊し論争が進行中。
メルたちが昼休みお弁当を食べていると、「明治時代から度胸試し」として行われていた伝統「カルチェラタンの屋上から水槽に飛び込み」が行われました。
ダイビングを決行したのはハンサム高校3年生風間俊。
慌てて助けたメルと俊は、惹かれ合っていくものの…。
コクリコ坂からのあらすじ(ネタバレあり)
コクリコ坂からは登場人物がややっこしいですね(汗
相関図がないと理解し辛いと思いますので、迷ったらこの画像に戻ってきてくださいね。
メルの妹で1年生の空は、ダイビングした俊のファンになりました(今でいう成績優秀イケメンサッカー部キャプテンみたいなアイドル的存在)。
空は俊の飛び込み写真を30円で買ったのです!
※↑当時の物価で、新宿の安ラーメン1杯分とお考えください。
「お姉ちゃん、サインもらうから着いてきてくれない?」
と2人はボロいカルチェラタンへ初めて足を踏み入れることに…。
埃まみれで物は雑多、パット見オンボロなカルチェラタン。
男子学生たちが、思い思いに哲学研究、天文、数学、無線、現代詩劇など文化活動にいそしみます。
3階の週刊カルチェラタン(学校新聞)編集部へ着くと、そこにいたのは俊と生徒会長の水沼史郎。
これがきっかけで、メルは週刊カルチェラタン制作を手伝うようになり、メルと俊は急接近して交際状態へ。
一方講堂では、男子たちによる「カルチェラタン存続集会」が行われ、メルもそれを見物します(当時の女生徒に学校の主導権はないもよう)。
カルチェラタン取り壊しか?存続か?生徒同士でも意見は真っ二つ。
古くなったら壊すというなら、君たちの頭こそ打ち砕け!古いものを壊すということは、過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか?!
人が生きて死んでいった記憶を、ないがしろにするということじゃないのか?!
新しいものにばかりとびついて、歴史をかえりみないきみたちに未来などあるか!
この俊のセリフには、宮崎駿らしい古き良き日本を想う気持ちが含まれていますね。
講堂に教師が入ると、生徒たちは突然、ごまかしのために当時の叙情歌、岡本敦郎の「白い花の咲く頃」を歌います。
白い花が咲いてた ふるさとの遠い夢の日~♪
この歌は、敗戦後の日本人に希望を与えたヒットソング。
キーパーソンでブレーンのメルはカルチェラタンの印象を良くするため、男子たちに「お掃除しよう」と提案。
大きな決定権はないかもしれないけれど、女子1人の機転や知恵が、背後で大きな男社会動かすことは普遍的なもようです。
男女が協力して建物の床から壁から大掃除し、見違えるようにピカピカになったカルチェラタン。
そのころコクリコ荘では、出ていく下宿人北斗さんのために送別会を開きました。
ここから場面は悲しい展開へ急降下…。
送別会のためコクリコ荘にやってきた俊と生徒会長。
俊に家の中を案内したメルですが、これがとんでもない事実の発覚に繋がります。
メルの亡くなった父、澤村雄一郎の写真を見た俊はサーっと青ざめ、立ちすくみました。
俊は実は養父母に育てられているのですが、澤村雄一郎という男が生みの親と聞かされていたのです!
つまり、メルと俊は異母兄弟ってこと。
俊は戸籍を確認し、養父にも事実確認します。
画像出典:https://www.youtube.com/
異母兄弟と判明した後、メルに対して急に態度がよそよそしくなった俊。
混乱したメルが「嫌いになったらはっきり言って!」と詰め寄ると、
俺たちは異母兄弟ってこと。
まるで安っぽいメロドラマだ。
と俊は告白…2人は微妙すぎる関係になります。
その頃学校では
「校長がカルチェラタン取り壊しを決定した!」
と大騒ぎに!
生徒会長と俊は、カルチェラタンを蘇らせたキーパーソンでもあるメルも誘って、電車を乗り継ぎ東京の徳丸財団の理事長に直談判に行きます。
オリンピック前年の東京は、新しい商業施設や高速道路がどんどん建設されていました(2019年現在の東京と同じだね…)。
理事長「君たち学校はどうしたんだ?」
生徒会長「エスケープしました!」
徳丸理事長はメルを気に入り、カルチェラタンを見学に行くことを承諾。
帰り2人きりになった俊とメル。
「血が繋がってても、あたし、風間君のことが好き!」
とメルの大告白のもとに2人は愛を確かめ合います。
徳丸理事長は後日、本当にカルチェラタンを訪問に来ました。
生徒たちに「君たちはどんな活動をしているのかね?」と尋ね歩き、高校生からの実直な答えにウケている様子。
徳丸理事長は、取り壊しをせず、カルチェラタン移転を決定して生徒たちは大喜び!
とそこへ、メルの父、俊の養父と古い船員仲間だった小野寺義雄が外国船から一時帰港していました。
このへんになると誰が誰の父親?とこんがらがるかもしれませんね(汗
「メルーー!」と学校を再びエスケープしたメルと俊。
俊の養父のタグボートで、小野寺義男の大きな船へ乗り込んだ2人。
この立花と同時期に一時帰国をしていたメルの実母との話を繋ぎ合わせると、こうなります。
俊の出生の秘密とは…↓↓
俊の実父は、メルと同じ父ではなく、写真の真ん中に座る亡き立花洋。
立花が1番に戦死し、俊が戦争孤児となったところをメルの父澤村が戸籍を入れて引き取ってきたのです(当時はそういう子供はたくさんいたそう)。
しかし当時メルの母はメルを妊娠しており、さらに大学にも通っており「育てられない」と判断。
そして、戸籍謄本を持って訪れた先が現在の養父、風間の家。
メルと俊は異母兄弟ではないと判明したんですね。
立花と澤村の息子と娘に会えるなんて嬉しい。ありがとう。
メルと俊は手を握り合い、再び愛を確認し合います。
俊の養父のボートに映り、出生の秘密を教えてくれた小野寺の貨物船を遠く見つめるシーンで映画は終わります。
3.コクリコ坂からの見どころ
画像出典:https://www.youtube.com/
コクリコ坂からは父を喪失したメルの成長物語。
企画、シナリオが宮崎駿によって書きあげられた後、絵コンテ以降を宮崎吾朗が監督として担当しました。
そこで繰り広げられた父子のドラマもじっくり考察したいと思います。
考察1.主人公メルの名前の由来は?
まずは基本の謎、主人公海がメルと呼ばれる理由から。
- メル=フランス語で海(ラ・メール)
ラ・メールを短縮してメルと呼ばれるようになりました。
さらにもう少し。
- コクリコ=ひなげし
- カルチェラタン=フランスのパリにある有名な学生街
信号旗の意味も紹介しておきましょう。
画像出典:https://www.kaiho.mlit.go.jp/
メルが亡き父に揚げている旗の意味は「U・W=航海の安全を祈る」。
これに対し俊がタグボートで揚げている旗は「回答旗・U・W=相手のメッセージを受け止めた、航海の安全を祈る」
送別会で揚げられた6つの旗は、北斗さんを表した「H・O・K・U・T・O」です。
考察2.1960年(昭和30年)代は宮崎駿と吾朗にとってどんな時代?
舞台となった昭和30年代は一言でいえば「現代の生活の基礎」ができた時代です。
高度経済成長、消費社会、高齢化突入、核家族化、感染症の終息、平均寿命の伸び、と今の私たちの生活の土台ですね。
宮崎駿は1963年を1つのボーダーラインと捉えています。
それは、オリンピックの前と後(2019年現在の私たちと同じですね)。
宮崎駿がそこからの時代について一貫して言うセリフは
変わってない。
ここ20年くらい男たちがしてきた話は経済の話ばかりで、「掃除しよう!」と一念発起するメルたちに比べれば、ただオドオドして動き回っているなんと情けない大量のオスの働きバチ…と。
2020年、日本でオリンピックを開催する第一義的名目も経済効果でした。
今東京は、メルの時代と同じ、商業施設に道路工事、ユニバーサルデザインに統一された幅広タクシー(都が支給してるらしい)と浮かれた変貌ぶりを遂げていますがやっぱりどこか違和感ありますね。
オリンピックが始まる前から日本はあるし、オリンピックが終わっても日本は続いていく…だけど、そのことを考えて街を作ってるのかな?って。
右肩上がり一直線の成長って、必ず穴に落ちます。
吾朗監督の内面には、団塊ジュニア時代の犠牲者的側面も備わっています。
そのあたりはゲド戦記からも痛みとして非常に作品に表れていると思いますね。
今作でも
親世代の時代は今社会問題の原点を作った世代でもある。美化して描いてもいいのか?
と悩み抜いたそう。
「変わってない」と憤慨とあきらめに引き裂かれるのが宮崎駿。
「引き裂かれた人に育てられた痛み」に葛藤しているのが宮崎吾朗。
成長主義の穴に落ちないようにどうにか踏ん張っている2人によって生まれた映画が、コクリコ坂からなのです。
考察3.宮崎吾朗がゲド戦記から監督を辞めなかった理由
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正直私はゲド戦記でさんざん酷評をされてから、吾朗監督はもう監督はやらないと思っていました。
しかし、ゲド以後も3年もジブリに映画の企画を出し続けていたというから驚きです。
コクリコ坂からの脚本宮崎駿、監督宮崎吾朗の配置は鈴木敏夫さんの提案で、すぐに受け入れたという2人。
ちなみにコクリコ坂からと同時期に制作していたアニメは「借りぐらしのアリエッティ」。
ジブリっぽいかわいいアリエッティに比べ、ジブリっぽくない異色の青春映画コクリコ坂。
ジブリって御曹司待遇なんかないんですよね。
「社長の息子には失敗させぬ事業を…」など存在しない完全実力主義の会社です。
ビギナーズラックが使えるのは1度まで。
と吾朗監督が父の土俵でさらに勝負をかけたコクリコ坂から。
父不在の中育った吾朗監督にとって、父とは父の作ったアニメ作品。
小さい頃から絵を描くのが好きで、アニメーターになりたい気持ちがありつつ、母親にも反対され、気持ちを隠していた宮崎吾朗監督。
父のように、いや、父を乗り越えた自分のアニメを確立することこそが、吾朗監督の映画作りへのものすごい動機なんだと思います。
考察4.メルが変えた?!宮崎駿と吾朗の父子関係
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宮崎駿がゲド戦記を気に入らなかった理由は、あまりに自分の手法の盗みが多かったから。
ナウシカの荒廃した世界、アルプスの少女ハイジの牧歌的な家、と。
宮崎吾朗最大の武器って「痛み」だと思うんですよね。
時代の搾取からの痛み、父喪失の痛み、偉大な父を背負った痛み…。
ただ、コクリコ坂ではゲド戦記のときと比べて、吾朗監督は父・駿をだいぶ客観的に捉えていると思います。
父喪失を生き抜くメルに息を吹き込んだ吾朗監督は、そのキャラクター作りに死力を尽くしたと言います。
吾朗監督は絵コンテ中歯を食いしばる癖があるそうで、奥歯を抜いてまで臨んだそう。
その甲斐あってか、終盤になると
若いころの駿監督に似ている。
とスタッフに言われるまでになったとか。
駿氏の怒号が飛んでも「当たってるからね」「作家で父の右の出る人はいないから」と一歩引いて尊敬と競争心を両立させる姿は、「全く顔を合せなかった」というゲド制作期間から進歩を感じます。
メルは吾朗監督に自信と共感を与え、父子関係にも変化をもたらしました。
そして引退宣言はどこへやら、長編アニメ「君たちはどう生きるか」に取り掛かっているという宮崎駿監督。
公開予定は2020年だそうですが、ジブリ恒例の「2作品同時公開」に抜擢されたのはなんと吾朗監督の3DCG映画。
これ、今までは高畑勲監督の役目でしたよね。
高畑監督亡き今、吾朗監督が父の切磋琢磨役に昇り詰めてきたのか?!と伺わせます。
コクリコ坂から試写会後、
「脅かしてみろよ」との宮崎駿監督の息子への挑発的な発言に、吾朗監督は
死ぬなよ。
との印象的なやりとりを残しています。
考察5.311と挿入歌「上を向いて歩こう」
コクリコ坂からで忘れてはいけないのが311との関連。
絵コンテが完成間近で、PC作業が本格始動するぞというそのとき311が起こったんです。
ジブリのある小金井市は計画停電対象区域。
これはジブリ創立以来の試練となり、「混乱を避けるためしばらく出社停止」と決断した会社に対して、憤慨したのが宮崎駿。
こんなときでも現場は動いていたという神話を作らなければいけないんです!
と喝、まさにクリエイター魂ですね。
生産拠点はブレてはいけない、公開日を遅らせるなんてもってのほか、という金言なのかしごきなのか!
これにてPC作業チームは、計画停電回避のため夜間出社に変更したジブリ。
挿入歌「上を向いて歩こう」は、そのまま映画のコピーとなりましたが、震災を経験した私たちには心震えるものがありました。
このとき日本のムードは絆や助け合い一色でしたが、吾朗監督はその中でも「助け合いって言うけれど、そもそも1人でいきていくってどういうこと?」と黙々とメルの究極の自立論を突き詰めます。
近親相関的になっても、毅然と恋心を貫いたメル。
311は吾朗監督にも孤高なクリエイター魂を宿らせます。
4.コクリコ坂から ライターしおりの視点
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宮崎駿のあの引退会見から4年。
2017年、鈴木敏夫さんが口を滑らせ爆弾発言をします。
「宮崎駿は今『君たちはどう生きるか』の絵コンテを描いてる」
えーーマジで!?
最近私は宮崎アニメをたどってレビューしていますが、宮崎駿監督が引退と78歳という老年を覆してまで「君たちはどう生きるか」を描かずにはおれなかった理由は、ちょこっとわかる気がします。
個人的解釈になりますが、そのことについて少し考察しましょう!
宮崎駿新作映画「君たちはどう生きるか」への伏線
風立ちぬを最後に長編アニメから引退した宮崎駿監督。
2017年「君たちはどう生きるか」が制作中であることが発表されます。
私は、2つの疑問がわきました。
- なぜ、引退したのにまたやるの?
- なぜ「君たちはどう生きるか」を選んだの?
「君たちはどう生きるか」、もちろん私も読んだことがありますよ。
今を遡ること約20年前…高校入学直前の春休み、入学予定の高校から1つ課題が出たんです。
「君たちはどう生きるか」を読み、感想文を提出せよ。
約20年前のあの頃も書店に平積みだったから、名著であることは間違いありません。
しかーし!
読書が苦手だった私には内容がチンプンカンプン…。
「理屈っぽいな~コペル。あ~ページが進まん!」
と流し読みして適当な作文を提出したのを覚えています(恥
数年前漫画化され再ベストセラーになりましたが、「君たちはどう生きるか」は80年以上前に刊行された古い本。
あとがきも偉大なる政治学者の故・丸山眞男氏。
今回レビューを書くに当たってもう1度読みましたが、改めて良書であることを実感しました。
「コクリコ坂から⇒風立ちぬ」の流れを考えれば、宮崎駿はなぜ「君たちはどう生きるかを描かずに死ねるか!」のモチベーションになったのかが垣間見えてきます。
まず、コクリコ坂からは「現代日本への憤慨と諦め」というメッセージがあると先ほど言いました。
風立ちぬは「俺は日本の子供をアニメ中毒にしてしまったが、それでもアニメーターとしてこれでよかったんだ」とちょっと強引な自己肯定にて締めくくっていると私個人的に考察しています。
君たちはどう生きるかは、人生哲学・社会学をテーマに、主人公コペルくんと叔父さんのやりとりが会話のように進みます。
宮崎駿監督は引退後の2014年、辺野古基金の共同代表となりついに政治活動を本格化させました。
代表就任会見では外国人記者相手に、原発再稼働、米軍基地移転、憲法改正などを例に「政界にはその程度の愚劣な人間しかいない」と安倍政権を痛烈に批判し、大量消費文明はそろそろ終わると明言します。
印象に残った外国人記者の質問をご紹介すると、
「風立ちぬは戦争を美化してると海外では批判もありました。それについてどうお考えですか?」(イギリス)
「日本は戦争加害者であることを教科書では教えません。今後アニメで日本の加害責任を描くことはありますか?」(中国)
実直ながらも鋭い意見だと思います。
宮崎駿監督はリベラルな民主主義で、反省すべきことは反省すべきであり、日本国憲法は「押しつけ憲法」と批判されるべきものではないとも考えます。
宮崎駿曰く、今の日本の憲法は国連発足の前身となる1928年不戦条約をもとにしたもので、世界大戦で300万人もの命が失われた日本人(宮崎駿の親世代)にとっては「光が差し込んできた」ものだったそう。
でも、私たちはそんなこと知りません。
のほほんと「GHQに押し付けられたんだ!」とし、中国や韓国とも軍事力だけで抑止力を作り好戦的な改憲をしようとしています。
宮崎駿監督は、
今を生きる人は、長い歴史の中を生きているんだということを忘れている。
と警告。
宮崎駿が毛虫を描くのは、100年、200年というスパンでなく何億年というスパンで物事を見るほうがより真実のエンタメではないかとの信念からなんです。
先日の国連気候サミットで「How dare you!」と熱弁した16歳のスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんのスピーチが話題となりました。
「How dare you!」って相当口汚いスラングで、「あんたね!きさま!なんてこと!」と喧嘩シーンで頻出する言葉。
間違ってもオカタイ会議場のスピーチで使われる言葉ではありません。
今、日本の若い人の中には、グレタさんのように「自然と寄り添う優しい民族」という人間らしい人間に戻ろうとする人が増えていると思います。
直接声を上げないにしても引きこもって「もうこれ以上の発展はいらない、疲れた」と感じている人も多いでしょう。
宮崎駿監督は「こんな社会に誰がした?」とコクリコ坂からに怒りを込めました。
風立ちぬでは、「子供たちアニメ中毒にした自分は許されるのでしょうか?許されます、許してください」と罪責感の解決を込めたと思います。
君たちはどう生きるかでは、消費文明、軍事力、忖度と沽券に惑う政治家たちと、それを見て育つ無関心の若者に対して、宮崎駿監督がついに世界に向けてメッセージを遺すと思われます。
そして私は君たちはどう生きるかはもう1つのエッセンスがあると思うんです。
本書の最後は
人間は誰しも過ちを犯す生き物であるが、自分の過ちを認めることほど難しいものはない。
それを成し遂げられる人こそ高度な人間である。
という人間が最も苦手とする罪過の自覚にスポットが当たります(キリスト教の原罪に似てる)。
宮崎駿監督もまた映画産業の消費文明を加速させ、アニメーションで子供の生活スタイルを劣化させてしまった1人。
これ、言わないけど血がドクドク溢れそうなほどの痛みで宮崎駿監督は気づいているはずです。
「高度な人間になりたいなら、いい加減それは認めるべきでは?」という宮崎監督自身の自省と懺悔も次回作に盛り込まれそうなことです。
この挑戦もまた見どころではないでしょうか?
5.コクリコ坂からをオススメしたい人
画像出典:https://www.youtube.com/
コクリコ坂はからは、メルの視点を通して2点「時代性」「宮崎吾朗の自立論」を見ていただきたいと思います。
ということで次のような方におススメしましょう!
メルに追体験してほしい!平成生まれの人
平成生まれの人にはオススメしたいです。
まず、コクリコ坂からは手軽に歴史(特に現代史)を知ることができます。
コクリコ坂からは、ツカミは青臭い恋愛映画なので観やすいですよ。
言われなければ昭和30年代とハッキリとはわからないモダンな群像劇です。
「こんな時代もあったのか」とぜひご覧下さい。
宮崎駿と宮崎吾朗の関係、生き方に興味がある人
画像出典:https://www.youtube.com/
宮崎駿と宮崎吾朗の関係、生き方に興味がある人にはオススメです。
ハンパない天才の2世という重荷を背負った吾朗監督。
こればっかりは凡人の親(失敬!)を持ったことを感謝せずにはいられません。
とはいえ親を乗り越えるということは、どんな子供にも共通すること。
有名無名は関係なく全人類に共通する課題です。
吾朗監督は止められていたアニメーターの道を選びました。
「駿の息子」をどう生きるか?は吾朗監督にとって永遠のテーマでしょう。
「作家で父の右に出る人はいない」と認める中、父をどう扱い、どう乗り越えるか?
コクリコ坂からではどの段階にいて、今後どうなっていくのか?が少し垣間見られます。
そのあたりにも着目しながら、来年公開のジブリ新作を観るのも楽しいでしょう。
実は新作の伏線として、「風立ちぬ」と同じくらい重要な位置を占めているこの映画。
親子によって作られた今作には、2世代の痛みと勝負心が投影されており、合作としては何かが引き裂かれているところがまた不思議な魅力なんです。
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