こんにちわエンタメブリッジライターのNAOです。
今回は住野よるさんの小説「君の膵臓をたべたい」の実写映画をご紹介します。
この映画は「キミスイ」とも略され、アニメ映画にもなっていて、泣ける映画として話題になりました。
実は主題歌をMr.Childrenが担当するということで僕は知り、泣けるなんてことは知らず先入観もなく観たのですがまんまと号泣して映画館から出れなくなりました。
泣ける映画を観る時はマスクとサングラスは必須だなあと改めて思いました。
この映画の泣けるポイントの1つは、心に優しく沁みる台詞がたくさんあることです。
ここで紹介したい台詞がいっぱいで引用ばかりになってしまいそうなほどですw
そんなわけにはいかないので、あらすじや作品紹介と合わせて、厳選して紹介していきたいと思います。
それでは始めていきたいと思います。
目次
1.「君の膵臓をたべたい」の作品紹介
監督:月川翔
原作者:住野よる
原作:君の膵臓をたべたい
出演者:浜辺美波、北村匠海、大友花恋、矢本悠馬、桜田通、森下大地、上地雄輔、長野里美 、北川景子 、小栗旬ほか。
主題歌 :Mr.Children「himawari」
受賞歴:第41回日本アカデミー賞にて優秀作品賞、優秀脚本賞、新人俳優賞、話題作品賞受賞。第30回日刊スポーツ映画大賞にて新人賞、第42回報知映画賞にて新人賞受賞。
2.「君の膵臓をたべたい」のあらすじ
画像出典:https://www.youtube.com/watch?v=qLCZ5l674pA
続いてはあらすじです。
「君の膵臓をたべたい」はアニメで映画化もされているので、小説、実写、アニメと比較して観るのもおもしろいと思います。
この物語はクラスでも地味で生きる意味が見いだせずにいる男子高校生が、病気になって余命残り少なくても、明るく生きている女子高生との交流によって心を通わせていく物語です。
「君の膵臓をたべたい」のあらすじ(ネタバレなし)
高校時代のクラスメイト・山内桜良(浜辺美波)の言葉をきっかけに母校の教師となった「僕」(小栗旬)。
ある日取り壊しが決まった図書館の蔵書整理を任命された彼は、それを手伝う教え子の栗山(森下大地)と話すうちに、桜良と過ごした数ヶ月を思い出していきます。
桜良が書いていた「共病文庫」(=闘病日記)を偶然見つけたことから、彼女が膵臓の病を患い余命残りわずかなことを知ります。その秘密を共有した僕(北村匠海)と桜良は次第に一緒に過ごすことになります。
懸命に生きる彼女の姿に他人に興味のない「僕」も次第に成長し心を通わせていきます。
2人の束の間の青春の日々は、突然に終わり告げます。
桜良の死から12年。結婚を目前に控えた彼女の親友・恭子(北川景子)もまた、「僕」と同様に、桜良と過ごした日々を思い出していました。
そして、想い出を振り返ることをきっかけに、桜良が伝えたかった本当の想いを、12年の時を越えて君と「僕」との記憶の宝探しが始まります。
「君の膵臓をたべたい」のあらすじ(ネタバレあり)
君先生になりなよ、教えるの上手いし
高校時代のクラスメイトで1番の人気者である山内桜良の言葉をきっかけに母校の教師となった人と関わるのが苦手でクラスで1番地味な「僕」の物語。
「僕」は、桜良が亡くなってから12年経ったある日、図書館で教え子と会話をしていた際に、桜良と過ごした数か月を思い出すことになります。
高校時代の僕が病院で偶然拾った1冊の「共病文庫」というタイトルの文庫本。
クラスメイトである山内桜良が綴っていた、秘密の日記帳であり、彼女の余命が膵臓の病気により、もう長くはないことが記されていました。
「僕」はその本の中身を興味本位で覗いたことにより、身内以外で唯一桜良の病気を知る人物となります。
「山内桜良の死ぬ前にやりたいこと」に付き合うことにより、「僕」、桜良という正反対の性格の2人が、互いに自分の欠けている部分を持っているそれぞれに憧れを持ち、次第に心を通わせていきながら成長していきます。
そして「僕」は「人を認める人間に、人を愛する人間になること」を決意します。
桜良は、恋人や友人を必要としない「僕」が、初めて関わり合いを持ちたい人に選んでくれたことにより「初めて私自身として必要とされている、初めて私が、たった1人の私であると思えた」と感じていくことになります。
しかし、余命を全うすることなく、桜良は通り魔に刺されて亡くなってしまいます。
そして桜良の死から12年。
高校のクラスメイトで「僕」と唯一の友達だったガム君(矢本悠馬)との結婚を控えた彼女の親友・恭子もまた「僕」と同様に、桜良と過ごした日々を思い出していました。
想い出を振り返り過去と向き合うことができたことをきっかけに、桜良が図書館に隠した2人へのメッセージを知ることになります。
親友恭子への想い、「僕」へのほんとうの想い「君の膵臓がたべたい」の意味が明らかになることでエンディングを迎えることになります。
3.「君の膵臓をたべたい」の見どころ
画像出典:https://www.youtube.com/watch?v=qLCZ5l674pA
続いては「君の膵臓をたべたい」の見どころです。
ただの泣ける映画ではなく、魅力的なキャラクターやそれを演じるキャスト、エンドロールで流れるミスチルの主題歌まで、とにかく最後まで見逃せない!
そんな映画になっています。
対照的な2人の主人公とそれを演じるキャスト
物語の主人公はクラスで1番人気の明るく人女子と、クラスで1番地味で根暗で人と関わることに興味のない「僕」が心を通わせていく物語。
「僕」は彼女との関わりの中で成長していきます。
この作品が原作と違う演出や大幅な変更点があるにも関わらず、これ程観客の心に響き泣けた要因と言えるのは高校時代の2人を演じた、北村匠海さんと浜辺美波さんのピュアさでしょう。
どちらもこの映画で新人賞を摂っていることからも、2人の演技が注目された証拠だとも言えるのではないでしょうか。
特に浜辺美波さんのピュアな演技が素晴らしくファンになったキッカケという人もいるようです。
筆者としては実写映画オリジナルである12年後の「僕」を演じた小栗旬さんのハマり具合がとても良くて1目見て主人公の大人になった姿であることがわかり入り込みやすかったです。
心にとどめておきたい台詞がいっぱい
画像出典:https://www.athome.co.jp/cinemadori/6085/
冒頭で少し触れましたが、印象に残る台詞がたくさんです。
タイトルからしてもそうなんですがセンスとかよくわからない筆者でもそれを感じざるを得ませんでした。
詩的な言葉の使い方がとても印象的だったのが
偶然じゃない、流されてもいない
私たちはみんな、自分で選んでここにきたの
運命なんかでもない
君がしてきた選択と私がしてきた選択が私たちを会わせたの
私たちは自分の意志で出会ったんだよ
残り少ない人生の桜良と偶然出会い、そこから流されるようにして過ごしている「僕」が一緒にいていいのか、もっと大切な人との時間を過ごすべきではと自信を無くした「僕」に対して言った言葉です。
こんな詩のような韻を踏んだ台詞で、でも分かりやすくて、リズムのある言葉で伝えるので深く心に刻まれます。そんな台詞が要所要所にあり、大切なことを伝えてくれている気がします。
世界一切ない「君」
どうして私の名前を呼んでくれないの?
桜良が真実か挑戦かゲームで言いたかったことです。
真実か挑戦かゲームというのはトランプをお互いが1枚ずつ引き、大きい数を出した方が真実か挑戦かを相手に選ばせ、真実なら質問に必ず答える、挑戦なら指示されたことを必ず実行しなければならないというゲームです。
桜良はこのゲームを「僕」に度々しかけて本音を聞き出そうとしていました。
作中ではお互いの名前を呼ばず「君」という表現で相手を呼ぶのですが、それはよく考えればとても切ない理由があることに気付きます。
『さよならをして悲しませるぐらいなら仲良くならなければ良かった』
これは作中に出てくる絵本「星の王子様」の王子様とキツネとの別れのシーンでの台詞です。
キツネは、「仲良くなる」とはどういうことか、友情や愛情とは何かを王子に教えるのです。
まさに2人の状況と重なります。
そして、このことを知っている2人が「君」と使うのは、いずれ失ってしまうと分かっている人を自分の中の特別になってしまうことを恐れていることの表れであり世界一切ない「君」だなと思ってしまうのです。
「好き」という言葉のない恋愛映画
画像出典:https://www.youtube.com/watch?v=qLCZ5l674pA
私が死んだら読んでいいよ。
桜良がそう言って書き残した「共病文庫」に綴られていた桜良の「僕」への想い、そこで初めて知った想いに「僕」は初めて泣きます。
作中ではいっさい「好き」という言葉は使われず
私はあなたに憧れていた、私はあなたになりたい。
ほんとは好きだということを「憧れ」や「なりたい」という言葉に置き換えて伝えています。
好きと伝えても、たとえその思いが叶ったとしても、、いついなくなるか分からない、、失ってしまうことが分かっているから自分の気持ちを抑えるために「好き」という言葉を使わない、、そんな桜良の切ない心が読み取れます。
「わたし生きたい!春樹君の中で」
12年後の「僕」が見つけた彼女からの手紙の中で記された「僕」の名前。
人に「自分の一部を食べてもらうとその人の中で魂が生き続ける」と信じられており、その人の中で生き続けたい!
という強い想いは、相手の心の中で生きたいという想いの形が「君の膵臓をたべたい」という表現であり、「好き」の代わりとも言えるのかもしれません。
主題歌の「himawari」でトドメの1発
映画の中で最後に桜良の「僕」への気持ちというのは「共病文庫」によって明らかになるのですが、「僕」の気持ちというのは作中では分からずのままです。
それがエンディングの「himawari」で「僕」目線で表現され、その想いを回収するというまさかの展開でした。
いつも
透き通るほど真っ直ぐに
明日へ漕ぎだす君がいる
眩しくて 綺麗で 苦しくなる
暗がりで咲いてるひまわり
嵐が去ったあとの陽だまり
そんな君に僕は恋してたMr.children「himawari」より
余命わずかの彼女がいつも明るく振る舞う姿を「ひまわり」に例え表現し、それを観ていてこれからも生き続けていく「僕」の不甲斐なさと苦しさが表現されています。
せっかくおさまりかけた涙がエンディングで再度溢れるというトドメの1発を食らった気分になりました。
これが僕が映画館を出れなくなってしまった理由ですw
4.「君の膵臓をたべたい」からのメッセージ
画像出典:https://www.youtube.com/watch?v=qLCZ5l674pA
この映画からはたくさんのことを学ぶことができましたが、筆者が1番今回響いたことを紹介したいと思います。
僕らは1人じゃ生きられない
誰かと心を通わせること
誰かを認めて好きになる、嫌いになる、誰かと一緒にいて手を繋ぐ、ハグをする、それ違う、
それが生きる
自分1人じゃ生きてるってわからない
そう、好きなのに嫌い、楽しいのにうっとうしい、
そういうまどろこしさが、人との関わりが、私が生きてる証明だとおもう
君がくれる日常が私にとっての宝物なんだ
「君にとって生きるってどういうこと?」
「僕」が桜良に問いかけたときの答えです。
他人に興味を示さず、関わろうとせず、1人で生きて行こうとする「僕」へのメッセージだったのかもしれませんね。
筆者もどちらかというと、あまり人と関わることを得意とするタイプではないので、「僕」の気持ちが非常によくわかります。
でもよく考えたら赤ちゃんの時ってなにもできません。
泣くことしかできません。
立つことも、歩くことも、話すことも、人の役に立てることなんてほとんどなく生まれてきます。
迷惑かけっぱなし。
でも赤ちゃんってめっちゃ愛されて育てられます。
つまり、自分がここまで生きれているということは、少なからず誰かが育ててくれていたからなんですよね。
人は1人で大きくなれません。
僕らが今生きているということは少なからず誰かに愛されてきた証拠と言えるかもしれないですね。
そんなことを気付かされて考えを改めようと思った筆者です。
5.「君の膵臓をたべたい」をおススメしたい人
画像出典:https://www.youtube.com/watch?v=qLCZ5l674pA
ここまで読んでいただきありがとうございます。
最後にこの映画をおススメしたい人を紹介したいと思います。
他人との関わりが苦手な人
筆者もそうなんですが、他人と関わることって怖かったり、わずらわしかったりしますよね。
でも、そのわずらわしさも、うっとうしさもすべてひっくるめて他人と関わることで、それを避けて人は成長できないですよね。
世界を愛し、人を愛し、自分を愛してる
僕は君になりたい
人を認められる人間に、人に認められる人間に
人を愛せる人間に、人に愛される人間に
誰かともっともっと心を通わせ生きてるって感じられるように
僕は君になれるだろうか
この映画を通し、2人の主人公の生き方を通して、勇気を持って踏み出してみることが大事だなと改めて思いました。
やりたいことに躊躇している人
人はいつ死ぬか分かりません。
明日急にその時が訪れるかもしれない、、、そう考えさせられました。
今この瞬間を今この1日を大切にしなきゃいけないって「彼女」は教えてくれました。
「明日やればいいか」ってどうしても思うときもありますが、この映画を観て余命を知らされた女の子が精いっぱい今を生きる姿を思い出し「今」やりたい事に挑戦する気持ちが溢れるといいなと思います。
ミスチルが好きな人
筆者はミスチルが主題歌ということで観たというのをお話したとおり、Mr.childrenの大ファンです。
だからといって、ひいきするわけではありませんが、とにかくこの映画の内容と楽曲が凄くマッチしていて最後の最後まで、泣かされる仕掛けになっています。
それはやはり桜井さんの歌詞が映画の主人公と激しくリンクし、使われる言葉が日常で使用される言葉で分かりやすくて、スッと入ってくるのですぐに感情が入りやすいからだと思うのです。
ぜひ、楽曲と合わせてこの映画を観て欲しいです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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