ネタバレあり「ジョーカー」の妄想を考察!本当に怖いのは誰?

こんにちは!エンタメブリッジライターのriezoです!

今回はDCコミックスの人気コミック、バットマンに登場するジョーカーの誕生を描いた映画、「ジョーカー」をレビューしていきます。

とにかくホアキン・フェニックスがいい!

単なる悪ではなく、そこに哀しみや苦悩がぐちゃぐちゃに混ざって怖いんだけどカッコいい。

まさに迫力満点の演技です。

そもそもジョーカーについての私の知識は、バットマンに出てたコワイ顔の人、ぐらい。

もともとアメコミに詳しくないので、てっきりバットマンやジョーカーって人造人間とか「変身系」のキャラクターだと思っていました。

なので初めてダークナイトを見たときに「え、君ら人間だったの?」と衝撃を受けたのを覚えています。

「ジョーカー」は、そのタイトル通り、バットマンの敵役としてのジョーカー誕生物語としても観られます。

しかし実際に作品を観てみると、それ以前に一人の狂気にとらわれた人間の話として非常に考えさせられる話であることが分かりました。

特に話題になっているのは、あのエンディングをどう考えるか。

もちろんバットマン誕生の前日譚という解釈もあるでしょうが、今回はそこからさらに一歩踏み込んだ個人的な考察をしていこうと思います!

1.「ジョーカー」の作品紹介

公開日:2019年10月4日(アメリカ)
監督:トッド・フィリップス
原作:ボブ・ケイン(キャラクター創作)、ビル・フィンガー(キャラクター創作)、ジェリー・ロビンソン(キャラクター創作)
脚本:トッド・フィリップス、スコット・シルヴァー
出演者:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ他
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

2.「ジョーカー」のあらすじ


画像出典:http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

「ジョーカー」の公開時、本国アメリカでは実際に暴力的な行動を起こす人々が出てくるのではないかと、警察や軍隊までが警戒にあたったと話題になりました。

人々の暴力的な内面を刺激しかねないと思われたその内容とは。

早速あらすじを見ていきましょう。

内容を知りたくない方はネタバレなしのあらすじだけにとどめてください!

「ジョーカー」のあらすじ(ネタバレなし)

舞台は1980年代のゴッサムシティ。

財政難に陥った市内では衛生局のストライキが続き、街にはネズミが大発生している。

貧富の格差も激しく、市民の間には富裕層に対する不満や政治に対する不信感が膨れ上がりつつあった。

アーサー(ホアキン・フェニックス)はそんなゴッサムシティで、体が弱い母ペニー(フランセス・コンロイ)の介護をしながら大道芸人の派遣会社でピエロの仕事をしている。

しかし、路上で閉店セールの宣伝をしていれば街の不良に絡まれたり、不当な扱いを受けることが多く報われないことが多かった。

職場では唯一小人症のゲイリー(リー・ギル)だけがアーサーに対して優しく接してくれている。

心臓病や認知症を患う母を介護しているアーサーだったが、自身も感情的に高ぶると発作的に笑い始めるという脳の障害を抱えていた。

週に一度、福祉センターで不毛なカウンセリングを受けながら向精神薬に依存する生活。

しかしそんな生活の中でも、アーサーはいつかコメディアンになることを目指していた。

子供のころから言われていた「どんな時にも笑顔で人を楽しませなさい」という母親の言葉を胸に・・・。

「ジョーカー」のあらすじ(ネタバレあり)


画像出典:http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

さて、ここからネタバレありです。

アーサーは母親と2人暮らしです。

アーサーの母ペニーは、ゴッサムシティの市議会員のトーマス・ウェイン(ブレット・カレン)を敬愛していました。

ペニーは、若い頃にウェインの屋敷で家政婦として働いていたのです。

その縁を頼って「私たち母子の生活をなんとか助けてほしい」とウェインに手紙を書く母と、来ることのない返信を確かめるようにポストを覗く息子。

それが親子の日課でもありました。

ある日、仕事中に不良に絡まれたアーサーに、同僚のランドル(グレン・フレシュナー)は「護身用だ」といって銃を渡します。

アーサーは断りつつも、なかば強引にランドルから銃を受け取らされてしまいました。

嫌な予感しかしないこの出来事が、のちのちアーサーの運命に大きく影響することになるのです。

コメディアンを目指していたアーサーにはあこがれの存在がいました。

それはテレビで活躍しているマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)です。

アーサーと母親のペニーは、毎週マレーが司会をしているコメディ番組が楽しみでした。

アーサーは、撮影を観覧中に呼ばれてステージに上がり、会場の大喝采を浴びながらマレーにも称賛される自分の姿を想像しながら番組を見ています。

さて、そうこうしているうちにゴッサムシティの財政はさらに悪化し、アーサーがカウンセリングに通っていた福祉局も閉まることが決まりました。

アーサーにとってはもともと不毛なカウンセリングでしたが、薬の処方がなくなるのは困った問題。

またしても不安材料は加算されていきます。

そんなある日、アーサーは小児病棟で入院中の子供たちを笑わせる仕事をしてました。

ピエロ姿でおどけるアーサーを見て子供たちや看護師も楽しそうです。

ところがそのとき、護身用として持っていた銃を子どもたちの前で落としてしまいます。

一瞬かたまる一同。

当然アーサーは病院から追い出され、そのことを知った会社からもクビにされてしまいました。

あれはパフォーマンスの小道具なんです!と言い訳するアーサーですが、到底通用しません。

しかも銃をくれた張本人のランドルは、アーサーに銃を売ってくれと頼まれたとウソまでつく始末。

職を失ったアーサーは、ピエロのメイクのまま地下鉄に乗って家路につきました。

地下鉄の中では3人のビジネスマンが酔っぱらって女性客に絡んでいます。

その時アーサーの突発的な笑いの発作が出てしまいます。

その隙に女性は逃げましたが、ビジネスマンたちは大笑いしているアーサーに矛先を向け、椅子から引きずりおろして殴る蹴るの暴行。

するとアーサーは拳銃を取り出し、3人を撃ち殺してしまいます。

衝動的に3人を殺してしまったことで最初は動揺していたのものの、やがてアーサーは不思議な高揚感に満たされていくのでした。

その後アパートに戻ったアーサーは、同じフロアに住むソフィーという女性の部屋を訪ね、いきなりキスをします。

ソフィーとは以前エレベータで一緒になり、ひとことふたこと言葉を交わした程度。

アーサーとソフィーは、その後もデートをしたりと親しい間柄になっていきます。

アーサーが起こした地下鉄での殺人事件は新聞やテレビのニュースで大きく報道されました。

殺されたビジネスマンは、ウェインが経営する会社の社員だったのです。

ウェインは「仮面をつけなければ何もできないやつ」と犯人を非難しますが、ゴッサムの貧困層の多くは犯人を支持していました。

この事件をきっかけに、ゴッサム市内で貧困層が富裕層に対する反感にますます拍車がかかっていき、ついに犯人をヒーロー化する風潮が広まっていきました。

街中にはアーサーがしていたピエロのメイクにインスパイアされた人々が、ピエロのお面をつけてデモをしています。

さてさて一方のアーサーはというと、自分がいつも勉強のために足を運んでいたスタンダップコメディのバーで、初めてコメディアンとしてステージに立つことができました。

ソフィーもその姿を見に来ています。

ステージ上で発作が出てしまったりと、結果は大成功とまではいきませんでしたが、アーサーにとっては大きな一歩。

そんな時、いつものように母親からウェインへの手紙を投函するよう頼まれたアーサーは、何気なく手紙を開けて読んでしまいます。

するとそこにはアーサーにとって衝撃の事実が!

なんと、ウェインが自分の父親だというのです。

母親を問い詰めると、家政婦として働いていた時に2人は恋に落ち、アーサーが生まれたとのこと。

でも家柄の違いから、アーサーを実子とは認めてもらえず。

いてもたってもいられなくなったアーサーは、ウェインの邸宅に向かいました。

すると敷地の中に1人の少年が。

ウェインの息子のブルース(ダンテ・ペレイラ=オルソン)です。

アーサーはブルースに向かっておどけてみせますが、ウェイン家の執事のアルフレッド(ダグラス・ホッジ)に見つかってしまいます。

自分はペニー・フレックの息子だというアーサーの言葉に、顔色が変わるアルフレッド

どうやらペニーのことを知っているようです。

しかしアーサーはアルフレッドに追い返されてしまいました。

意気消沈してアパートに戻ると、なんと母のペニーが心臓発作をおこして救急車に運ばれるところでした。

殺人事件を追っていた刑事たちが、アーサーに事情聴取をしにやってきていたときに倒れたのです。

病院にやってきた刑事に事件のことを聞かれますが、アーサーは相手にしません。

病室に戻ってテレビをつけたアーサーは、思わずテレビを二度見。

なんと、自分がバーで初舞台を踏んだときの映像が、マレーの番組で取り上げられているではないですか。

マレーはアーサーのステージを見て、「誰でもコメディアンになれる時代だ」と皮肉を言っています。

その後、なんとしかしてウェインに会って自分を息子だと認めてもらおうとするアーサーは、ついにウェインと対面しました。

ウェインは、「ぼくはあなたの息子だ」と主張するアーサーの言葉を否定します。

ペニーには妄想癖があり、自分とのことはすべてでたらめだし、アーサーはペニーの養子だというのです。

失意のうちにアパートに戻ったアーサーは、ソフィーの部屋に向かいました。

リビングのソファに座っていると、寝室から出てきたソフィーはアーサーの姿に驚いてこういいました。

たしか、アーサーよね。

あなた部屋を間違っているわ。

お母さんに迎えに来てもらう?

そう。

ソフィーとの関係はアーサーの妄想だったのです。

アーサーは母ペニーが入院していたという精神病院に向かいました。

そこでペニーが精神病を患っていたこと、アーサーが養子だったことを知ります。

さらに、アーサーがペニーの元恋人から虐待されていたにもかかわらず、ペニーはそれを止めなかったとして逮捕されていたのです。

すべての真実を知ったアーサーは、ペニーの病室に行き、窒息死させてしまいました。

1人アパートで失意のどん底にいるアーサーのもとにマレーの番組のスタッフから、番組への出演を打診する電話がかかってきます。

出演依頼を受けたアーサーは、1人で何度もリハーサルを繰り返しながら当日を迎えます。

いよいよ今日が本番という日、ランドルが銃の件で口裏を合わせようとアーサーの元にやって来ました。

しかしアーサーはそんなランドルを惨殺。

不敵な笑いを受かべながらテレビ局へと向かいます。

刑事たちはアーサーを追うものの、ピエロのお面を被って暴徒化した群衆に襲われてしまいます。

テレビ局の楽屋で待機していたアーサーは、自分のことをジョーカーと紹介してほしいとマレーに頼みます。

それは以前マレーがアーサーの映像を紹介したときに呼んだ名前ですが、マレーはそれを覚えていません。

いよいよ本番が始まりました。

アーサーはいくつかジョークを披露しますが、マレーから番組の品位に合わないと言われます。

するとアーサーは、地下鉄でビジネスマンを殺したのは自分だと言い始めました。

ざわつくスタジオ内。

本当なのか?と聞くマレー。

あの殺された3人がもてはやされているのはウェインがコメントしたからだ。

俺が死んだらみんな俺のことを踏みつけて行く。

世の中は不平等だ。

そう主張するアーサーに、マレーは「自分を正当化するのはよくない」と言い放ちます。

するとアーサーは、マレーも自分を笑いものにするために番組に出演させたと言って、カメラの前でマレーを射殺してしまいました。

ピエロのデモ隊がひしめく中、アーサーを連行するパトカー。

街の中では暴動が起き、あちこちで火の手が上がっています。

その光景を見た警官は、すべてアーサーが引き起こした混乱だと言います。

それを聞いて微笑むアーサー。

その時突然パトカーの横に救急車が突っ込んできました。

運転していた警官は死亡。

アーサーも気を失っています。

救急車の運転手はピエロのお面をつけています。

運転手は同じようにピエロのお面をつけた別の男と一緒に、後部座席からアーサーを引きずり出し、パトカーのボンネットにアーサーを寝かせました。

アーサーが目を開けると取り囲んでいた群衆たちはみな歓声をあげます。

アーサーは口元から流れる血で大きく裂けたように笑った口を描き、ボンネットの上に立ち上がって踊り始めました。

その頃、劇場から出てきたウェイン親子を1人のピエロ姿の男が追っています。

そしてブルースの目の前でウェインとその妻を射殺しました。

場面が変わって、病室でカウンセリングを受けているアーサー。

患者衣を着て手錠をはめられています。

すると、アーサーは突然面白そうに笑い始めました。

「ジョークを思いついた」というアーサー。

カウンセラーは「話して」と促しますが、アーサーは「君には理解できない」と拒否します。

廊下を歩いていくアーサー。

靴の裏には血がべっとりとつき、真っ赤な足跡が続いています。

その先には病院から逃ようとするアーサーとそれを追いかける看護師の姿がありました。

3.「ジョーカー」の見どころ


画像出典:http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

ジョーカーは「闇が深い」と言われている映画です。

ではその「闇」とは何か。

映画の見どころを紹介しながら考察していきましょう。

すべてはアーサーの妄想だった

「ジョーカー」はどこまでがアーサーの妄想なのか、ということがこの映画の最大の謎。

映画のエンディング、つまりアーサーがジョーカーとして覚醒したあと、病院でカウンセリングを受けているシーンの捉え方にいろいろな解釈が生まれています。

アーサーには妄想癖がありました。

それは隣人のソフィーとの関係でわかりますよね。

他にもマレーのテレビ番組を見ながら自分の願望をイメージするシーンもありましたが、まぎれもなく妄想だと分かるように描かれていたのはソフィーとのことだけ。

しかし、この映画の内容すべてが実はアーサーの妄想だったのではないかという考え方もできます。

地下鉄の事件も、コメディアンになろうと頑張っていたことも、マレーの番組に出たことも、そしてマレーを射殺したことも。

そもそも、ペニーやウェインさえもアーサーが作り出した妄想なのかもしれません。

マレーの番組に出ていたときはアーサーの髪は緑色でしたね。

出演が決まって髪を染めているシーンがありました。

でも最後の病院のシーンでは黒髪に戻っています。

あえて事件から何年も経っているという設定にする意味がないことを考えると、それまでの出来事はすべてアーサーが考えていた妄想、「ジョーク」だったとしても納得ができます。

それはカウンセラーに言った「ジョークを思いついた」というセリフにもつながります。

そうなると、ブルース・ウェインもアーサーの妄想の産物だったことになり、じゃあその後のバットマンの誕生はどうなるんだっ、ということになるでしょう。

トッド・フィリップス監督はインタビューで、今回の「ジョーカー」はDCユニバースから切り離して作った、今までのジョーカーと共存することは避けたかった、と語っています。

つまり、今作の「ジョーカー」は、のちにバットマンのヴィランとなるジョーカーとはまったくの別物であるということです。

それを踏まえれば、さらに「すべてがアーサーの妄想だった」説は濃厚となりますね。

さらに言うなら、映画の中に出てくる時計の時間はすべて11時11分。

映画の中のディテールに無意味なものなんてありません。

ただの偶然・・・なわけはないでしょう。

本当に怖いのはアーサーの狂気ではない


画像出典:http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

「ジョーカー」は、マーティン・スコセッシ監督の「キングオブコメディ」や「タクシードライバー」を意識して作った、とトッド・フィリップス監督は言っています。

どちらも狂気的な妄想癖がある主人公と社会との不適合を描いている作品です。

「ジョーカー」の主人公アーサーも、脳の障害による持病や変わり者というレッテルから起こる「生きにくさ」とは別に、人格としてある種の狂気をはらんでいることは間違いありません。

その狂気が妄想を見せるのか、妄想癖が強くなるにつれて狂気が増幅されるのか、どちらにしてもアーサーが見ている世界と、他の「普通の」人が見ている世界は明らかに違うのでしょう。

それは映画の冒頭でアーサーが言った

狂っているのは自分か、世界か。

このセリフがすべてを物語っています。

自分が見ている世界や自分の感じ方。

それは本当に正しいのか。

自分が間違っているのか、世間が間違っているのか、何が正義なのかなぜそれが正しいのか。

そんなことをまじめに追求して考えていくと、ワケ分からなくなってしまいそう・・・。

マレーの番組で、自分が地下鉄で3人を殺した犯人だと言ったとき、アーサーはこうも言っていました。

みんな自分で善悪を決めればいい。

確かにそうなんですけどね。

でもそこには前提となる「秩序」とか「倫理」っていうものが存在します。

ただその「秩序」とか「倫理」とは何なのかっていうことになってくる。

たとえばなぜ自殺してはいけないのか、という問いに対してどう答えますか?

いろいろな答えがあるでしょう。

究極は「自殺をしてはいけないと決まっているから」。

そういう「善」か「悪」かを簡単に答えられない私たちの「闇」の部分に、じんわりとボディブローのように入ってくる。

それがこの映画の本当の怖さだと思います。

アーサーが本当に笑ったのはたった一度だけ


画像出典:http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

映画の中でアーサーが笑うシーンはたくさんありますが、アーサーが心から笑ったのはたった1度だけです。

アーサーは脳の障害によって突発的に笑い出すという持病を持っていました。

病気の発作で笑いが止まらなくなってしまう場面もたくさんありましたね。

でも本当に楽しくて笑っていたわけではありません。

ある意味の代替行為です。

そんなアーサーが1度だけ本心から笑った場面。

それはラストシーンでカウンセリングを受けているときです。

監督の言葉を借りると「純粋な笑い」だそうです。

なぜアーサーはその時本当に笑ったのでしょう。

それまでのアーサーは、周りの人間から正当に評価されず、社会にもうまく適応できずに生きてきました。

社会の中に自分が存在する価値すらないも同然。

そんな自分がある日を境に反権力のカリスマとなり、いままで味わったことのない全能感を知ってしまった。

たとえそれがアーサーの妄想だとしても。

そんな狂気に満ちた全能感がアーサーを心から笑わせたのではないかと。

この瞬間に本当の意味でジョーカーが生まれたと言ってもよいのではないでしょうか。

ジョーカー誕生の秘密

アーサーは初めから悪のカリスマだったわけではありません。

人を笑わせることが好きな、不器用な人間だっただけです。

格差社会の中のさらに底辺に位置づけられ、障害のために奇異な目で見られたり理不尽な目に遭ったりする、いわゆる社会の弱者。

いくら自分ががんばっても報われない、さらに信じていた者(母親)からも結果的に裏切られてしまう、そんな負の連鎖がどんどんアーサーを追い詰めていきました。

アーサーにはコメディアンになりたいという夢がありました。

コメディアンになる=人から認めてもらう、というのがアーサーの欲求です。

しかし、偶発的に起こってしまった地下鉄の事件から、アーサーは自分が意図しない方向で人々から認められていってしまうのです。

自分がしていたピエロの姿を真似する人々が街にあふれ、権力に対してものすごい負のエネルギーを向けていく。

その様子にアーサーは自分の中に力がみなぎるのを感じ始めるのです。

それは、弱者として抱えていた不満や不条理に対する憎悪の表出と、自分を馬鹿にした社会への報復欲求でもあります。

でもそれはアーサーだけに起こりうることなのか。

社会の歪はいつの時代も生まれるもの。

その歪から誰かが新たなジョーカーとなる可能性がゼロだと言い切れるでしょうか。

アーサーのダンスはジョーカーへの変貌スイッチ


画像出典:http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

アーサーにとって、ダンスは「アーサー」から「ジョーカー」に変貌するスイッチです。

地下鉄で3人を銃殺したあと、トイレに駆け込んだアーサーはダンスをするうちに徐々に落ち着いていきます。

むしろ、人を殺してしまったことへの高揚感すら感じています。

マレーの番組に出演が決まり、髪を染めている時、階段を歩きながら、そして本番の幕が開く瞬間も、アーサーはダンスをしています。

パトカーのボンネットに立ち、ピエロ姿の群集に崇められているときも。

アーサーにとってダンスとはアーサーからジョーカーになる儀式。

つまり残忍な部分であるジョーカーは、自分の中にいるもう1人の自分であることを受け入れているのです。

4.ライターriezoの視点:「ジョーカー」がいる社会は正常な社会


画像出典:http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

ジョーカーが存在しているゴッサムシティは正常な社会。

いきなり何を、と思いますよね。

社会学者のエミール・デュルケムによると、犯罪のない社会は存在しません。

ある一定の比率の犯罪が存在するのは、その社会が正常である証だとさえ言います。

犯罪が起こると、それに対する法律や道徳的な観念が生まれるということです。

確かに、犯罪がない社会というのは、そういう行為がまったくないのではなく、それを裁くシステムがないために犯罪という概念がない社会だとも言えるでしょう。

悪を裁く機能が働いているからこそ、「それ犯罪ですから!」として罰則を与えたり、そういう悪いことはしてはいけないのだという道徳的な発想や戒めが生まれます。

そのサイクルが働いている社会を正常だというのです。

さらに、社会学の機能分析という側面から見てみると、「ジョーカー」には顕在的機能と潜在的機能が存在していることが分かります。

「顕在的機能」とは、何かを企て実行した行為が実際にその目的通りの結果になることを言います。

そして、その行為が意図せずして社会に変化や影響をもたらすことを「潜在的機能」といいます。

アーサーが地下鉄でビジネスマンを殺そうと銃を撃った結果、3人が死亡したのは顕在的機能によるものだと言えるでしょう。

しかしそれが街の中に犯人を支持するムーブメンを起こすことになったのは、まさしく潜在的機能による結果です。

そして、その善悪に関わらず、これらの現象は正常な社会の仕組みだと言えるのです。

だから「ジョーカー」で描かれているのは特別な現象ではないということ。

さらに言うと、その行為を起こすのはアーサーに限らないということ。

つまり、状況がそろえば誰もがジョーカーになる可能性がある。

そして、現代はそういう殺伐とした事件が珍しくない世の中。

そこがこの映画から伝わる怖さです。

アーサーは1人の人間というより社会の歪そのものなのかもしれません。

5.「ジョーカー」をおすすめする人


画像出典:http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/

さまざまな解釈ができるジョーカー。

観る人によってはとても陰鬱な気持ちになって映画館を後にする人もいるでしょう。

アメリカでは公開を中止した映画館もある問題作をおすすめするのはこんな人です。

善と悪について考えたい人

世の中には完全な善や完全な悪というのは存在しないかもしれません。

確かに良いことだとは言えなくても仕方のないこと、一見善い行いだと思えても角度を変えてみるとそうとは言い切れないことなど〇と×では答えを出せないこともあるでしょう。

間違いなくジョーカーは善人ではありません。

でも善人ってなんでしょう?

悪人とはいったい?

そんな簡単に答えの出ないことをじっくり考えてみたい人はぜひこの作品を観て考察を深めてください。

バットマンシリーズが好きな人

ジョーカーと言えばやはりバットマンのヴィランとして、人気のあるキャラクターでしょう。

そのジョーカーがどのように誕生したのか、という視点で観るのも楽しいです。

作品中にはブルース・ウェインや執事のアルフレッドなど、のちのバットマンの主要人物となるであろうキャラクターも登場します。

ブルースがバットマンになるきっかけとなった事件も描かれていますので、DCユニバースから独立させた作品とは言いながら、つながりを感じさせる部分がきちんと入っています。

ホアキン・フェニックスを知らない人

私は「ザ・マスター」のフレディ役の時の彼がすごく好きだったんですが、ジョーカーはその数倍素晴らしいです。

彼を知っている人ならその魅力については十分ご存じのはずですので、ぜひまだ知らないという人に観ていただきたいです。

おそらくジョーカーを観て、カッコいい・・・と思ってしまった人は、ホアキン・フェニックスに魅了されたんじゃないかとも思います。

彼だったからこそ、この作品ができたと言っても過言ではないと思います。

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