精神科医もオススメ!映画「ジョーカー」感想と心理学からあらすじ考察【ネタバレ】

ジョーカー ポスター フライヤー

こんにちは、エンタメブリッジライターしおりです。

「○○さんがジョーカーがいいって絶賛してたんだよー」

映画公開中、夫の会社でプチパワハラを受けていたらしい上司の言葉のみによって私の興味を引いた「ジョーカー」。

バットマン?知りません。

ホアキン?知りません(薬物の過剰摂取で23歳で急死した兄のリヴァー・フェニックスは知ってる…)。

同じく薬物で亡くなったヒース・レジャーは知ってる、という「ジョーカー」超ビギナーズレベルの私ですが、

パワハラを受けたおじさんがなぜ「2019年ジョーカー」を絶賛するのか?

という命題だけをひっさげてAmazon Prime Videoにて鑑賞しました。

朝から観る映画ではないですが、最も頭がクリアな時間帯に観てしまった私は、気づけばメモを取りながら観ていたほど引き込まれている顛末。

それもそのはず、この「ジョーカー」は巷の精神科医が学生に鑑賞を勧めているらしいです(主人公の心の動き、情緒がどう動いているかをつかむ勉強になるからだそう)。

今回私は「ジョーカー」を観て考えた感想、感じた解釈・解説をまとめてみたいと思います。

なお、心理学用語を多用しますが学生時代に履修した心理学と、児童虐待支援アドバイザーの資格取得時に学んだ知識を総動員しております。

プロほどの知識はございませんが、ご一緒に「ジョーカー」を心理的な側面から学ぶ1つの材料としてお読みくださいませ。

バットマン知識皆無の私でも十分楽しめましたので、同じような理由で敬遠していた方も安心して観てくださいね。

※ここからはネタバレ前提です。

ジョーカーの詳しいキャスト、予告動画、あらすじ、考察などはすでに同エンタメブリッジサイトにriezoさんが素晴らしい記事を書いておられますので、まだジョーカーを観ていない方は下記リンクからお入りくださいね。

ネタバレあり「ジョーカー」の妄想を考察!本当に怖いのは誰?

1.映画「ジョーカー」の感想と考察

ジョーカー 画像 心理
画像出典:http://www.imdb.com/

【感想1】「正論VSピエロ集団」と解釈した鑑賞1回目

とりあえずザーっと鑑賞した1回目。

ジョーカーは鑑賞者によって興味・関心・病理が各々重層的に観られる映画です。

その上で、第1印象では、私自身は迷わず「正論VSピエロ集団」の映画だと解釈しました。

映画の正論はわかりやすいです。

たいていの芸術作品って正義や正論の定義こそわかりにくいですよね。

ジョーカーはその点「金持ち」「社会に順応しているある程度所得のある人」とかなりわかりやすく描かれます。

ところがなにしろ重要なのは結末。

結末には主人公アーサーを模したピエロが大量に出てきます。

このピエロの軍団が象徴的に何を意味するかを読み取らなければ、ジョーカーをわかったとは言えません。

「わかったとは言えない」ということまではわかったのですが、私は「シンボルとしてのピエロ軍団」が長いこと言語化できずに、モヤモヤした気分を数日引きずっていました。

この大量のピエロこそが心理学者ユングのいう集合的無意識(地球上のすべての人の無意識領域にあるもの)の何かのシンボルのはず。

では、何のシンボル?

とまあこんな感じで、ただ1つ間違いないのは、このピエロの群衆こそ「最も私たちの潜在意識にアクセスした何か=つまりおそらくはヒットの理由」なんです。

そして、長らく自問自答して結論付けたことを次の項で解釈いたします。

【感想2】ピエロ集団は「なんでもないフリ」をして生きる人の具現

ジョーカー 画像 2019 ラスト
画像出典:http://www.imdb.com/

簡単に言うと、ピエロたちは多くの人が社会生活を送るためにやっている「なんでもないフリ」の欲求不満(フラストレーション)の具現でしょう。

それをわざわざ見えるように可視化してくれているのがこの映画「ジョーカー」なのです。

特にサラリーマンの方なんてそうだと思いますが、なんでもないフリをして通勤電車に乗り、なんでもないフリをして仕事をこなし、多少の虚勢を代価にして「自分は仕事ができるほうだよ」と周りにアピールする毎日。

皆さんの中にも、

バットマンが好きだからさ、面白かったんだよ!!!

とか他人には話しつつ、実は内心、社会に叩きのめされ怒り悲しみが暴発しながら徹底的に弱者に寄り添うジョーカーに共感する気持ちがあったりしませんか?

特に男性は仕事の成果がプライドや承認欲求と直結しやすいでしょうから、ジョーカーのストーリーは女性よりも感覚で掴めるかもしれません。

こうした世にごまんといる「普通を装う人」は、映画「ジョーカー」が眼前にたち現れるまで、「普通の人」をやるためにどれだけの抑圧(犠牲と言ってもいい)がはたらいているかに気づいていなかったでしょう。

いや、「気づいてはいけない」と言った方がいいか?

気づいた瞬間、会社に行けなくなって社会生活は壊れるかもしれない、家庭生活も壊れるかもしれない。

昔ダウンタウンの浜ちゃんが歌う「Wow War tonight」という歌が流行りましたが、大多数の人にとって長年勤めた会社を辞めることは不安と抵抗が立ちはだかることだし、

ブロガーになるか?アフェリエイトするか?お店でも経営するか?

と現実から逃れるために色んな選択を頭で想像しては、実際にその道を選択できる勇気も担保もないのが一般の感覚でしょう。

「地道に『普通』をやってきたのに辞めるなんてなんと悔しいことか!」などと、今やっていることをドロップアウトする敗北感だって大きいですよね。

ところが主人公アーサーは「普通の人」が決してできない変人、すなわち抑圧が前面に出たジョーカーというカードの意味するあらゆる万能な姿をやってのけるのです。

ジョーカーはトランプでは、遊び方によってババという「残り物」、戦争では何にでも勝つ「万能者」、タロットでは「道化師」「愚者」何にでも変化できる存在です。

使いようによって「何にでも変化できる姿」はまるで抑圧の下のエゴが自由に身動きしているよう。

ラスト、逮捕されたアーサーはパトカー内で事故に遭い、ピエロの群衆に囲まれてさも殉職します。

その後ピエロの群衆は、アーサーをパトカーから引きずり出してバンパーに乗せ、奉るように礼賛。

殉死とはいついかなるときも集団ストレスの上に成り立つものです。

「俺たちは間違ってない」「これでいいんだ」

アーサーはまるでキリストのように蘇り、バンパーの上に立ち上がりひとしきり祭り上げられたのち、口角の周りに道化のシンボルである「笑った口」のペイントを血によって作り上げます。

その姿はまるで「ピエロの中の王の王」ーーアーサーやピエロは私たちが抑圧しているフラストレーションを最終的に手玉に転がすような喜劇王、キングの姿なのです。

【感想3】アーサーはコメディアン失格なのか?アーサーダンスの意味は?

ジョーカー 画像 ダンス
画像出典:http://www.imdb.com/

私がもう1点熟慮せねばならかったのはアーサーは本当にコメディアン失格だったのだろうか?という問いです。

闇(絶望)→光(希望)に瞬時に変容するプロセスにユーモアはよく使われるツール。

だとしたらアーサーは三流ピエロであることや、出自がどーのこーのではなく、世界や社会、太刀打ちできない富裕層に、いつなんどきもユーモアを斬り込んでいける存在として、実は生まれながらにして一流のコメディアンだったのではないか…?と思えてきました。

アーサーは踊ります。くどいように…。

何か大切なパフォーマンスをするときにはベリーダンスのようなぎこちないピエロダンスをしてから勝負の舞台へ上がります。

他人には滑稽でも、アーサーにとってそれは1つの聖なる儀式。

儀式を持っている人は強い、なぜなら場の空気と自分の意識状態を一瞬で引き上げるから。

アーサーはダンスをすることで変容しているのです、ユーモアを持ったアーサーなりの一流コメディアンへと。

もう1つは、社会との唯一の接点ユーモアによって抑圧下にある世界から、抑圧の外へと飛び出すために。

スラムにいる社会の最下層のピエロたちはそんなアーサーにエールを送ります。

それはまるで「抑圧」と言う境界線のはざまを、アーサーだけが行ったり来たりできること賞賛しているよう。

だからアーサーには生まれた意味があり、生まれた意味をこうした人に与えられるのです。

アーサーこそ裡なる代弁者となり得ていることに私たちは気づけるのでしょうか?

2.映画「ジョーカー」を心理学から解説

ジョーカー 画像 心理
画像出典:http://www.imdb.com/

【解説1】アーサーの心理を図解してみた

アーサーを「障害者」とか、「Involuntary Emotional Expression Disorder (IEED/和名は不明)」という外的損傷による脳障害を負っていると解釈したら突然この映画は「あっち側」に行くので面白くありません。

以前私は「ブラック・スワン」(ナタリー・ポートマン主演)のレビューで、ナタリー演じるニナの心の中をフロイトの提唱した「超自我/自我/イド(エゴ)」によって解説しました。

今回もアーサーの心理構造もこれで解説することが1番理解しやすかったので説明いたします。

まず健全に機能している精神構造はこうです(「超自我/自我/イド」の具体的な説明は「ブラック・スワン」のほうで詳しく解説しておりますので、まだご存じない方は是非お読みくださいませ)。

ジョーカー 心理 画像

映画前半のアーサーの心理構造は、察するにこんな感じです。

アーサー 心理 ジョーカー

アーサーは母子家庭に育ち母を大切に扱っていますが、アーサーの母こそ被害妄想・誇大妄想の持ち主でした。

映画の進行とともにアーサーの出自が明かされます。

アーサーは捨て子であり、実母と思っていたのは養母でしかも虐待歴や逮捕歴あり。

この母の呪い「Put on your happy face(泣かないで、ただ笑って)」がアーサーの生涯を決めます。

加えて

心の病があっても「普通の人」に見えるように生きる。

とアーサーも社会規範を取り入れて自分自身を呪縛。

これらがアーサーの2大行動規範(超自我)であり、あるがままのアーサーの本能的な欲求(イド)…例えば「泣きたい」「怒りたい」といった気持ちを圧迫します。

アーサーの笑いは見たらわかると思いますが、完全に「泣き笑い」ですよね。

アーサーは観察していると、ネガティブ感情の中でも特に「悲しみ」と「怒り」を押さえつけます。

悲しみと怒りが沸点に達する場面でビンボーゆすりが始まり(これが抑圧のボーダーライン)、それを超えると泣き笑いが始まります(焦りや悔しさなどの情緒は素直に出ているように見受けられました)。

ちなみに「抑圧」というのは、心理学用語で心を守る「防衛機制」の最も一般的な例で、「それ以上先に行ってはいけない」「意識上に出してはいけない」という無意識レベルの警告です。

なぜ意識上に出してはいけないか?、それは人それぞれですがアーサーの場合は唯一の愛すべき存在「ママからの愛を受け取るため」でしょう。

母がいなければアーサーは天涯孤独になってしまいます。

また、「普通の人に見えるように装う」という呪縛も、1970~80年代という心の病気に知識も理解もなかった時代、社会を生き抜く処世術として今と比較にならないほど重要な役割を果たしていたはずです。

しかし、ここが大切なのですが、感情は押し込めてもあるものはあるんです。

このアーサーの抑圧癖に風穴を開けたのが、同じ道化師会社で働く同僚からもらった銃という「死に近い武器」の存在です。

アーサーの場合、日記という自分だけが見られる場所に、最終的な人生のゴールを「高価な死を迎えること=生きるより利益をもたらす死に方」と見据えています。

だからこそ人を死に近づける「銃」の存在は、映画では思った以上に大きな存在となっていくんです。

【解説2】アーサーの3つの転機とは?感情は手綱のない暴れ馬状態

アーサーには映画の中で3つの転機がありました。

  1. 銃を与えられる。
  2. 生き別れた父親から拒絶される(本当は実父ではなかった)。
  3. 自分は捨て子で、実母と思っていた人は犯罪歴と精神疾患持ちの養母だった。

中でも3のインパクトは大きく、ここでアーサーの心理は2つの大きな転換をします。

  • 1つ目→行動規範だった超自我の崩壊。
  • 2つ目→実際に笑い発作が消滅する。

「じゃあ健全になったのか?」というとそうでもありません。

転機を経験した映画後半のアーサーの心理状況は察するにこんな感じです。

ジョーカー 心理 2019

超自我が決壊したことで、中年になるまで抑圧してきた大量のイド(本能的欲求)がようやく動き、出始めたのです。

映画のラストでアーサーがマレーのトークショーに出たときに、

「誰もが大声でののしり合って礼儀もない!

誰も他人のことを気にかけない。

ウェイン(父と思っていた金持ち)みたいな奴らが僕の気持ちを考えるか?

他人の気持ちなど考えない。

こう思うだけさ、”黙っていい子にしてろ!”」

「心を病んだ孤独な男を欺くとどうなるか?

社会に見捨てられゴミみたいに扱われた男だ!

報いを受けろ、クソ野郎!」

とブチ切れて恨みのタケをぶつけていますよね。

これがようやくイドが前面に出てきた証拠です。

ただし、アーサーの場合こういった感情は本来なら通っていたカウンセラーに言うべきことであって、まだ現実社会で使うことは危険が伴います。

アーサーのケースは「悲しみ」「怒り」が出てきたはいいが、ガイドのない場所で出したことで、その秘密が長く重い分、感情は手綱のない暴れ馬状態となりました。

となると「社会との玄関口である自我」は、新たに心を守る機能を働かせなければいけません。

その防衛の役割として出て来たのが、「行動化」「投影」「理想化」「万能感」といったものでしょう。

これらの用語については、映画のエンディングと紐づけながら次の項で解説しましょう。

【解説3】「ピエロを妄想」と言ったらつまらない!防衛機制の化学反応

ジョーカー 画像 結末
画像出典:http://www.imdb.com/

人が自分の心を守るときの働きを心理学用語で「防衛機制」と言います。

これには10種類ほどありますが、どんな人でも程度の差はあれ必ず「防衛機制」は働いていて、中でも感情を押し込める「抑圧」は最もポピュラーですね。

ジョーカーの結末はいろんな解釈がなされていますが、「ピエロは妄想」と言ってしまったら心理学的見地からは面白さが半減するのでここではこの解釈は避けたいと思います。

アーサーはピエロが増殖するプロセスで、「矮小化した超自我」「肥大化したイド」に対処するため、私が思うに新たに4つの「防衛機制」を働かせることになりました。

①行動化

(例)リストカット、万引き、家庭内暴力など。

暴力行為や殺人もこの1つですが、アーサーは銃を持ってからトータル6人の殺人に及びました。

アーサーの殺人が特徴的なのは、1発目の銃弾で「明らかに死んでいる」とわかりつつも、面白がるように2発目、3発目と相手を撃つ「茶化し」のような攻撃性と衝動性です。

②投影

(例)自分が嫌いな人のことを「あの人は私のことを嫌いなんだわ」と思う、鏡のような働き。

この投影の働きこそがワラワラ出て来たピエロの正体でしょう。

アーサーのイドが回復してきて、自分らしい(と本人は思っている)生き方ができていると思えば思うほどピエロの数は増えます。

しかもピエロ全員アーサーのサポーターであり、アーサーの応援団という位置づけ。

アーサー自身が「己のエゴ」を気に入って誇りに思ったからこそ、同じような格好のピエロたちがわらわら出てきて、自らを称える存在として出現して来たのです。

③理想化と万能感

(例)「自分はすごい、自分はもっとできる」といった誇大妄想感、何でもできる気分、傲慢、横暴。

ラストの街はピエロたちによってあちこちで暴動や火事が起きます。

警官に「燃えているのはお前のせいだ」と言われたアーサーは、

I know. Isn’t it beautiful?(知ってる、美しいだろ?)

と嬉しそうに恍惚な表情を浮かべます。

その後パトカーは衝突事故に遭い、瀕死となったアーサーは、ワーワーとピエロに担ぎ出されてボンネットに寝かされます。

そしてアーサーが瀕死の状態から起き上がり立ち上がると、群衆は歓喜し大統領選にでも勝利したような歓声が湧きおこりました。

ここでアーサーはあの儀式ピエロダンスとガッツポーズ。

アーサーは現実に予想していたホームレス的に踏みつけられる死を逃れ、「高価な死と、ついでに復活」「悲しまれる死と、崇められる命」双方を実際に獲得したのです。

これぞアーサーの心象風景、「投影×理想化×万能感」の化学反応なせる技。

アーサーは内なる心的光景でそれを獲得したと言えますね。

【解説4】アーサーの名言「悲劇と喜劇の違い」

ジョーカー 日記 2019
画像出典:http://www.imdb.com/

・Remember, you used to tell me that my laugh was a condition, that there was something wrong with me?

It isn’t.That’s the real me.Happy…I haven’t been happy on day out of my entire fucking life.

You know what’s funny?You know what really makes me laugh?

I used to think, my life was a tragedy.But now I realize, it’s a fucking comedy.

(僕はおかしいって言ってたよね、違う。これが本当の僕だよ。何がハッピーだ…幸せなことなんて1度もなかった。何が面白いって?人生は悲劇だと思ってた。僕の人生は喜劇だ。

これは出生の秘密がわかり、母を殺す直前にアーサーが病室で放った言葉。

アーサーの母はアーサーのことを、いつも笑っているので「ハッピー」と呼ぶのです(「勘弁してくれよ」って感じですね…)。

「悲劇だと思っていた⇒でも喜劇だった」、これも大転換の発想ですが、アーサーの言う「喜劇」ってなんのことでしょうか?

まず悲劇も喜劇も「劇」は「劇」ですよね。

喜劇とは アーサー ジョーカー

その違いはどこにあるかを極端に言ってみると、普段喜びや笑いを味わっている人が「目に見える部分で泣く状態を表現」するのが悲劇(例:映画「タイタニック」)。

一方喜劇とは、演者が心で泣いていても「目に見える部分では笑いを表現」するのが喜劇(例:お笑い芸人)。

アーサーは「僕の人生は悲劇だった」と言い切ります。

ジョーカーはピエロのメイク中に涙がしたたるシーンから始まって、町の子供のチンピラにボコボコにされるほどの虐げられた魂の持ち主です。

しかし家に帰れば「温かいママ」がいて、同じベッドでTVを観たり、入浴を介助したりそこには帰る家、「ほっこりした感情と笑みの土台」が一応はあったのです。

ところが母の出自の秘密暴露によりそれらは全て崩壊。

アーサーは父親と思っていたウェインにも殴られるほど悲運に見舞われつつ、なぜかここから「自分の人生は喜劇」と言い始めます。

ベースが「悲しみ」、表象が「笑い」へ転換した瞬間です(図の矢印)。

アーサーは中年になるまで、結局はずっと「母の茶番劇」の中で生きてきたのです。

養母を実母と信じ、父親は金持ちのトーマス・ウェインだという母の虚言を信じ、養母の空想劇場をさんざん生きさせられていたのです。

アーサーは失礼な言い方を承知で言えば、「笑うしか能がない人間」です。

笑う、笑う、笑う、どんなときも表面上は笑い飛ばして生きてきた人です。

Comedy is subjective!

All of you, the system that knows so much, you decide what’s right or wrong.

The same way that you decide what’s funny or not.

(コメディなんて主観だよ!みんなだってこの社会だってそうだ。善悪を主観で決めてる。同じさ、自分で決めればいい。笑えるか、笑えないか。)

ラストのトークショー出演シーンで、自分を番組でバカにした富裕層の象徴である司会者マレーを殺したとき、そう言い放ちましたね。

このセリフはマレーやウェインだけでなく、養母に向けられたセリフであることも忘れてはいけません。

「人の作った筋書きに気づかずに生きるのはもうたくさん!」とアーサーがついに音を上げたセリフです。

ではアーサーの「主体的な喜劇」とは何なのか?

それはおそらく言葉にすると、

絶望の果ての、母の茶番世界を生きさせられていた「笑うしか能がない男」が、人からの評価と、世間から浴びる羞恥心を手放して、「利益を生む死」という目的達成に向かって生きられることの「居直った喜び」。

でしょう。

喜劇の主体をママから「自分」に移して、アーサーは「自分だけの茶番劇=喜劇」を構築する生き方に快楽を見出したのです。

ユングは、ピエロや道化師などのトリックスターの元型イメージを「秩序を破壊するイタズラもの」と考えました。

アーサーにはその役を見事に演じ切ったのです。

【解説5】「アーサーは他人事ではない」と言える勇気は社会を良くする

ジョーカー 画像 2019
画像出典:http://www.imdb.com/

冒頭私は「ピエロ集団は抑圧の具現だ」と言いました。

「日本人はジョーカーが好き」と言われる所以は、私たちが「弱者の意識と抑圧」を抱えながら、アーサーやピエロように日々葛藤を体現しながら生きている証拠ではないでしょうか?

なんだかんだ日本の政治も組織も「強者の理論」で動いていることは間違いありません。

アーサーはTV司会者マレーに「(お前みたいな富裕層が)外に出たことがあるか?」と詰め寄ります。

自分にも、ジョーカーっぽいところはある。

これこそが共鳴感覚を呼び起こすアーサーたちからのすさまじい潜在意識へのアクセス。

「なんとなく無理してる気がする」…これを言ってはいけない雰囲気は、もはや日本社会の病理です。

徹底的に弱者に寄り添う心優しさ、超自我に縛られた窮屈さ、頼みの超自我を失いエゴの暴走に対処できなくなった粗暴さ、あらゆる弱者的性質を持ち得たアーサーに、私たちも堂々と言ってしまいましょう。

なんら、他人事ではない。

と。

弱者だけが社会の歪みに気づくことができる…つまり、弱者たることは素晴らしい特権なのです。

ジョーカーの詳しいキャスト、予告動画、あらすじ、考察などはすでに同エンタメブリッジサイトにriezoさんが素晴らしい記事を書いておられますので、もう1度おさらいしたい方は下記リンクからお入りくださいね。

ネタバレあり「ジョーカー」の妄想を考察!本当に怖いのは誰?

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