「きれいなお姉さんは好きですか?」
どうも、きれいなお姉さんには2度となれないエンタメブリッジライターしおりです。
さて、今回私が紹介したい映画は「ヘルタースケルター」。
今さら?と思うかもしれませんね。
でも、その今さらが大事なのです!
この映画は、全身整形手術をしたモデル界の女王様りりこ(沢尻エリカ)が文字通りヘルタースケルターしていくお話。
ヘルタースケルター⇒「しっちゃかめっちゃか」「らせん状の滑り台から落ちていく」という意味です。
「ヘルターケルター」は戦後のサブカルチャーに多大な影響を与えた漫画家、岡崎京子さんの代表作を映画化したもの。
ROMA目当てに契約したNetflixでたまたま見かけたヘルタースケルターですが、公開から7年経ってもう1度観て思ったことは、2019年を過ぎた今皆さんに持っていただきたい視点とは、「この映画はすでに過去のものだ」ということです。
それはラスト唐突に流れる浜崎あゆみの「evolution」の時代遅れ感が象徴していますね。
ヘルタースケルターは、すでに「90年代~2000年代初頭の社会問題の置き土産」的なものでありであり、私たちは今その先にある時間を生きています。
つまり私たちは、この時代経験と映画から「ポスト・ヘルタースケルター」をどう生きるか?と問われているのです。
岡崎京子が扱うテーマは、戦後急速に発展した資本主義というマクロな視点を含んでいるのですが、今回はその中でも、「消費」「現代女性の美醜意識」に照準を当て考察していきましょう!
目次
1.ヘルタースケルターの作品紹介
監督: 蜷川実花
原作者: 岡崎京子
原作: ヘルタースケルター
出演者:沢尻エリカ、寺島しのぶ、水原希子、窪塚洋介、桃井かおり。
受賞歴:日本アカデミー賞にて、主演女優賞受賞(沢尻エリカ)。新藤兼人賞にて、銀賞(蜷川実花)。
2.ヘルタースケルターのあらすじ
画像出典:https://www.netflix.com/
ヘルタースケルターは、東京五輪の組織委員会にも抜擢された写真家の蜷川実花さんが監督。
ってことで絵はきれいなのですが、映画としての完成度は前回の「さくらん」よりも「?」かもしれません…。
ということで私のオススメの観方は「原作を読む→映画を観る→『リバーズ・エッジ』『PINK!』など岡崎京子漫画を読む」です。
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ヘルタースケルターのあらすじ(ネタバレなし)
女子高生の「なりたい顔No.1」で、雑誌の表紙モデルを総ナメにするカリスマモデルりりこ。
しかし、りりこの顔と体は、
もとのままのもんは骨と目ん玉と髪と耳とアソコぐらいなもんでね 。
というほど全身違法な闇医者による整形手術によって作られたもの。
ちなみにりりこの言動はまんま、女王様です。
口も態度も悪いのだけど、なぜか虚空な闇を抱えている人。
そんなりりこは「詰め込み教育世代の申し子」的な印象ですが、事務所にこずえ(水原希子)というゆとりを超えた「さとり世代の申し子」的な新人モデルがやってきて、りりこの存在を脅かします。
と同時に、消費社会の消費対象の頂点として君臨していたりりこは、自分の存在価値そのものの暴落を恐れ、輪をかけるように闇整形の副作用であざが全身に出てきて、どんどん狂乱していくハメに…。
ヘルタースケルターのあらすじ(ネタバレあり)
画像出典:https://www.netflix.com/
「見せたいものを見せてあげる」そして「沢尻エリカの『別に』から5年」という2つのキャッチコピーを背負った本作。
この映画をもう1度観たとき、長澤まさみが日曜朝のTV番組で
長澤まさみっていうのは「長澤まさみ」っていうみんなが作ったキャラクター。
と真顔で言っていたのを思い出しました。
「こんな正統派の女優でもそんなこと思うんだな」と驚きましたが、りりこはその比ではありません。
田舎から出てきて、デブ専風俗嬢をやっていたところ社長(桃井かおり)に拾われ、社長の「作品」、いや、欲望の「レプリカント」として違法整形で完璧な美を手に入れます。
キャーーりりこかわいいーー!
とホントに出始めの頃のあゆみたいに女子高生に絶大な人気を誇り、大衆が作った「りりこ」のイメージのままに笑顔を振りまくりりこ。
しかし、裏方スタッフにはまさに雌豹の暴君っぷりで、その割に内面はガラスのハートのように傷つきやすくもろく危うく、正直「めんどくさ…」って性格です。
でも、なぜか憎めないのがりりこ。
なぜなら私の若き日もりりこ的な一面があって、田舎から東京に出てきて渋谷スクランブル交差点を闊歩し、都会を漂流しながら相応に美醜も気にし(特に109のブランドバッグ所持率は高いからね)、
「フッ、人生なんてこんなものよね」
と虚空に生きていた頃があったからです。
↑
この女子特有の共通点が、ヘルタースケルターのいう「この街にいっぱいいるタイガーリリィ(りりこ的な子、直訳するとオニユリ)」であり、この映画のテーマです!
りりこの頭の中は「ブス=干される=忘れられる=死」という極端な強迫観念に凝り固まっています。
映画も前半は「美も人気もいつか終わりが来る」という諸行無常のメッセージ。
中盤は、整形の副作用が出始めたりりこの、周りも一蓮托生に地獄行きにさせようとする復讐劇(やはり本当に終わりが見えると怖くなったよう)。
終盤は狂乱して、文字通りヘルタースケルターしていく賑やかなりりこ劇場が繰り広げられます。
でも、私に言わせればりりこはまともです。
なぜなら「あたしはヤバい」という自覚があるから。
それに比べたら「美に執着心がない」とポジティブに評される、18歳の新人モデルこずえのほうがもっとヤバイと思いますね。
こずえにとっては食べ吐きすることも日常の自然なひとコマで、ここまでいくともうアンドロイドですわ。
そんなりりこが後半に向けて狂乱していく原因をまとめるとこんな感じ。
- 整形の副作用のアザで醜くなる危機感。
- 新人モデルの追い上げ。
- 御曹司(窪塚洋介)と付き合っていたが、御曹司にはいいなずけがおりフラれる。
- 冴えないマネージャー(寺島しのぶ)の平凡な幸せが恨めしい。
- 検事が闇医者を摘発しようとし、りりこの整形前写真を持っている。
この映画の中で唯一まともな発言をするのは、りりこ行きつけの闇整形外科を検挙しようとする検事です。
皆さんもこの映画を観るときは、検事の言葉をよく聞いてください!(監督としては若輩な蜷川実花さんなので、検事の言葉がストーリーの意味を追う助けになりますので…)
そして、「自分と共に他人も終わりにしてやりたい」と復讐心に煮えたぎるりりこは、マネージャーに3つの命令を下します。
- マネージャーの彼氏をりりこに寝取らせる。
- 御曹司のいいなずけ女性の顔に硫酸をかける。
- 新人モデルこずえの顔をカッターで切り裂く。
はい、もはや犯罪です。
さすがのマネージャーもこれらの指示にはお手上げで、りりこの傍若無人な振る舞いに業を煮やし、りりこの整形前写真をマスコミにリーク。
この頃のりりこは狂乱状態で「醜い=忘れられる=死」の恐怖もMAX、鎮静剤や安定剤が手放せず、テレビ収録中も幻覚を見るほどぶっ壊れ、号泣と激昂の間を行き来し、意識もたびたび混濁します。
りりこの破滅は自業自得とも思うけど、「わかるよ、わかるよ」となんだか共鳴してしまうのがまた、プチタイガーリリィ経験をしている女子だからこそ…。
整形暴露はスポーツ紙各紙が一面に取り上げましたがむしろりりこはこれに皮肉な喜びを感じます。
「注目される」
という最後の悪あがきで記者会見も開き、「見せたいものを見せてあげる」スピリットで自分の目をナイフで刺しました。
そしてりりこは「死んだ」とされ、復刻版写真集が販売されて、いっとき話題をさらいますが消費物の宿命でまたすぐに忘れられていきます。
そして死んだと思われていたりりこはどこにいたかというと、ラスト、アングラなショークラブの地下室で眼帯をした女王姿で座っており、
フッ。
と不敵な笑みを浮かべるところでこの映画は終わります。
「結局何なの?」という謎のラストもあとで考察しましょう!
3.ヘルタースケルターの見どころ
画像出典:https://www.netflix.com/
いやー今回も迷った迷った、見どころのピックアップ!
今回もドラフトでは2万字を超えそうだったので(笑)、「いかんいかん」と自制しつつ、女性の生きる価値観や社会の課題、美醜の意識にスポットを当てることにしました。
それでは早速見ていきましょう!
沢尻エリカも経験?女として生まれることの業
本作の根源的なテーマに、りりこが「女」であることがあります。
りりこが男だったら、この映画は成立しなかったでしょう。
先日、女性学やジェンダー研究のパイオニア、上野千鶴子さんが東大の入学式で
あなたたちは選抜試験が公正なものであることを疑っておられないと思います。・・・
と、前年の医大の男女差別問題などを風刺した祝辞を述べられたことが話題となりました。
女というものはジェンダー・イコーリティーの発展とともに「仕事に就きやすい」「子供がいても仕事を続けられる」と、親世代とは比較にならないほどQOLを選択できる恩恵を授かっています。
しかし同時に、これがまた新たな「女であることの業」を生み出しています。
50歳 バリバリのキャリアウーマン 独身
そんな女性がいたら、あなたはその人を人生の「勝ち組」と思いますか?
「負け組」と思いますか?
男性の場合は、若さと性的魅力を失っても「富」と「地位」がそれを補填し、あまつさえ「彼女たくさんいそう」とまで言われるかもしれません。
しかし女性ときたらどうでしょうか?
仕事はできるけど、なんか、寂しい女
これが現実です。
女性は自由を会得してキャリアを持てるようになった半面、「女としての幸せ=男性に愛されて結婚する」という尺度で測られることが今も背後霊のようについて回り、このダブルスタンダードに常に板挟みとなっています。
あの、大手企業の管理職にありながら立ちんぼをして売春し、客に殺されてしまった1997年東電OL事件の女性もこのダブルスタンダードに苦しんだ1人でしょう。
原作では、りりこは意外にも御曹司と結婚して芸能界を引退する気満々だったんです。
女というのは因果なもので、どんなにキャリアを手に入れても「誰かに愛されている」という条件をクリアしていないと、自分の存在証明の半分が欠けます。
りりこはモデルであるがゆえ、美醜1つで「キャリア+愛」のダブルスタンダード両方を失う可能性があり、そのダメージは一般人とは比較にならないでしょうね。
女であるがゆえの二重の評価基準は、りりこだけでなく、今現に女性が苦んでいる課題とも言えます。
ブスというだけで死ねるのが女
画像出典:https://www.netflix.com/
さて、男性諸君。
両耳をかっぽじってよく聞いてください。
ブスというだけで死ねるのが女です。
男性と言えば、ペ○スのサイズや包○手術が整形産業として成り立っていますが(これは高須クリニックの院長が男性を整形の顧客ターゲットにするために仕掛けたんです)それを気にしすぎて食事も喉を通らず死に至る・・・なんてマヌケな死を遂げた人は聞いたことがないですね。
りりこはもう「醜形恐怖」という病気です。
醜形恐怖とは、外見や容姿に極度にとらわれ、醜くないのに醜いと思い込み、常に他人と自分の美醜を見比べてしまう疾患。
しかし、先ほども述べた通り、女性というのは「ただ愛される」ということが他者からの承認欲求に大きな比重を占めます。
そしてその他者からの承認欲求「愛されたい」を、わかりやすい「美醜」にすり替えがちなのです。
私も若かりし頃は「痩せたらモテる」と短絡的に考えていていました。
この美醜を突き詰めれば、食べることを拒否し死ぬことさえできてしまいます。
りりこの美はかりそめの姿でしかなく、根源的に欠乏・渇望しているのは「他者からの承認欲求」です。
これが原作者岡崎京子が作品で投げかけ続けたテーマです。
女性の思春期は誰でも容姿が気になり、他人とも比べ、顔、身長、体重、胸の大きさ、天パ、O脚、ホクロの位置…といった細部までこだわり抜いた匠の審美眼(?)において、どこかにコンプレックスを持つのが自然です。
その持って生まれた容姿を、恋愛という「初めて親以外の他人から承認される体験」を経て、友人関係でもまれながらだんだんと受容していくのが20歳前後。
しかし、りりこは高度消費社会にあってこの作業の目的が「売れる」となり歯車も狂い、承認欲求は外見にすり替えられました。
私のファション誌の編集者をやっている知り合いは
モデルは細いっていうより、薄い。
とその細さを語っていました。
そういうメディアに洗脳され「細くなければ愛されない」と現実離れした観念に、未だに苦しんでいるのが女なのです。
世界のどんな少数民族にも美意識というものはありますが、美の定義は映画の中で検事が言っていて、
美は深くて複雑であらゆるものを豊かに含んでいる。
この言葉は的を得ているでしょう。
私は小さい子供がいるので、せっせこ保育園にお迎えに行くのですが、そこで出会う100人もの母親たちを見て「美人だな~」と思う人は1人いるかいないかです(笑)
それよりも、明るく挨拶をしている機嫌のいい人は、場の空気をパッと変えるものすごい威力を持っていますね。
こういう人を本当に美しい人というのでしょう。
私はこの映画をもう1度観て、本当の美人とは「自分を愛せる人」なのだとつくづく思わされました。
それは、整形をするにせよ、しないにせよ、ね。
りりこの成長とは何だったのか?
画像出典:https://www.netflix.com/
映画のラストは、りりこが目をナイフで刺し、アングラなショークラブの地下室で眼帯をしたまま「ふっ」と笑うシ謎めいたシーンで終わります。
このラストはどういう意味?
と思う方も多いでしょう…そして私はこのように考えました。
りりこは記者会見で自ら目を刺し(原作ではくりぬいている)、「眼帯女王様」という異形なフリークス(見世物)に喜びを見出して主体的にショーをやっているのです。
私はこのシーンを見たとき、薄暗いクラブにポールダンスと、2016年に急逝したAV女優の紅音ほたるさんを思い出しました…。
彼女はAVとしては異例の企画から単体(との合いの子)にのし上がったキカタン女優でしたが、年齢的なものもあったのか引退し、その後HIVの啓蒙活動を行いつつ、ポールダンサーをやっていました。
AV業界の使い捨てっぷりはわざわざここで言うまでもないですが、紅音ほたるの最期のツイートは「籠の中の鳥」でした(本当はポールダンスなんてやりたくなかったともとれるような…)。
画像出典:https://twitter.com/akanehotaru1025
私は、りりこは紅音ほたるとは逆で、「自らの意志で籠に入った」と思うのです。
ラストの意味は「他者の欲望の対象」だったりりこから、「自ら選択した見せ物」というアイデンティティを獲得したりりこの成長劇だと思います。
アルコール依存症の人は、本人が体を壊すような底をつく体験を自覚しないと、まわりがどんなに「飲まないで」と言っても酒を断つことは不可能と言われます。
りりこも同様に、芸能界で底をつく体験をしたからこそ、そこを抜け出てフリークスショーで生きる選択ができたのではないでしょうか?
異形だらけの籠に入ることで、「美醜と自分との癒着」をようやく切り離し、主体的な居場所ができたのだと思います。
そしてそこに集う客を楽しませることに、ようやく消費を超えた自己実現の場を見出したのではないか?と感じましたね。
韓国と日本の整形事情を混同すべからず
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ちょっと話はそれますが、お隣韓国は女性3人のうち1人が整形手術を受ける世界1の整形大国。
しかし、日本と混同してはいけないのは彼女らが整形をする理由で、これは日本と似て非なるところがあります。
私は整形に是も非もない立場ですが、
「韓国の人だって気軽に整形してるしー」
ということは言ってほしくないのです。
以前韓国の女友達に「なんで韓国の人は整形してきれいになりたいの?」と聞いたことがあるのですが、開口一番
あーははははははは!!
と大爆笑されました…。
ヌヌ?!と思ったところ、やはり、整形は韓国ではもはや「文化」ということ。
彼女が言った韓国の、特に若い女性が整形をする理由とは「自信が持てる」「彼氏ができる」とまあここまでは日本女性とそう変わりませんが、「ちょっと日本と違う?」と思ったのが、
「女性でもいい就職ができるということ」
そして
韓国では、男性の方が女性より大切にされる。
だから女の人は、男に人にかわいがってもらいたくて、手術する。
そう、韓国にはまだ男性中心の家父長制が色濃く残っているのです。
だから男性に求められる美に応えるよう、女性が美を追求する側面があります。
さらに私が驚いたのは、整形費用を「親が払う」というのも珍しいことでもないそうで、その友達の妹2人の手術費用も父親が払ったのだとか。
彼女は日本語はカタコトなのですが「不倫は文化だ」と言わんばかりに「整形は文化だ、文化だ」と連呼していましたね。
4.政治学で岡崎京子を学んだ私の視点
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私は学生時代、政治学の授業でなぜか岡崎京子の漫画「リバーズ・エッジ」を課題本として読まされました。
それはウン年前の話で、先ほども言いましたが「ヘルタースケルター」ももはや過去の話であり、90年代~2000年代初頭の話です。
岡崎京子は1996年不慮の事故で事実上作家生命を断たれましたが、それまで一貫して描き続けたのは、物が溢れ、かえって物にコントロールされ始めた若者の「生きている実感がない」という所在のなさと虚無の感情です。
りりこというのは、戦後復興を成し遂げた日本の資本主義の「過剰消費」のシンボル。
そんな大量生産と大量消費によって幸福を得られないことを知り、消耗してしまった末路を生きているのが今の私たちではないでしょうか?
この映画はもはや、そんな「ポスト・ヘルタースケルター」の時代に飛び越えてしまった私たちが、これからをどう生きていくか?という問いを投げかけてきます。
このことを3つの視点から見ていきたいと思います。
「消費」のポスト・ヘルタースケルター
日本は超高齢化社会となり、ついに70歳以上の人口が2割を超えました。
消費という観点では、現実として落ち込むことは目に見えています。
そして消費に消耗した我々には「ミニマリズム」という、最小限にしか物を持たない、物に執着しない新たな風潮がやってきていると思います。
要するに「足るを知る」です。いや、知らざるを得ないのです。
なぜなら消費することも、消費のために働くのも疲れるからです。
正直私も、アメトークの家電芸人の最初のころはおもしろいと思っていたのですが、3年、4年と続いていくうちにだんだんつまらなくなりました。
新製品は確かに便利で、生活を楽にします。
でも、生活から「めんどくさい」が消えることの疲労感のほうがよっぽど疲れることを、私自身も知りました。
料理1つとっても、1つ1つ丁寧にやるほうがよっぽど面白くて深みがあることに気づいたのです。
作家の田口ランディさんは私に
人は生きているだけで祈っているのかも。
とおっしゃってくださいましたが、そういう祈りが日々の生活から消えるあのぐったりした感触は、これ以上の便利さを追求する疲労の比ではありません。
そうでなければ「世界で1番貧しい国の大統領のスピーチ」があそこまでYoutubeで大人気となり、日本の大学に次々と招かれ、うちの近所の耳鼻科に絵本が置かれるほどの人気にはならなかったでしょう。
知らない方のために書きますが、これはウルグアイのムヒカ前大統領がリオ会議で各国首脳に向けて行ったスピーチです。
貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことです。(中略)
人類は、消費社会にコントロールされてしまっています。
過剰消費システムが世界を壊しているのにも関わらず、多くの人が豪華な物やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。
私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。 幸せになるためにこの地球にやってきたのです。
消費というのはしてはいけないものではありません。
ただ、目を向けるべきはその動機と目的なのです。
「メディア」のポスト・ヘルタースケルター
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あのホリエモンでさえ
5年前は、今のような歩きスマホの時代が来るなんて想像しなかった。
と言っています。
ヘルタースケルターでは、りりこは芸能人だからこそ、その存在自体が消費と換金の対象となりました。
しかしこれも時代は変わりました。
1人1台スマホを持ち、ほとんどの人がSNSというメディアを持つ今、いつの間にか一般人も「消費される人間」の1人に仕組まれてしまったことを忘れてはいけません。
民放各社が一般人の投稿したSNS動画をトップニュースに取り上げることがそれを象徴していますね。
ヘルタースケルターの舞台の渋谷のスクランブル交差点なんか歩いていたら、みんなスマホいじってて、誰が何を撮ってるか、自分がどこに映りこんでいるかわかったもんじゃないですよ。
監視カメラやドライブレコーダーも然り、です。
そこで何かあれば、私たちもネタにされ、拡散され、ひとしきり炎上して爆笑された後は飽きられて棄てられ、あとは各々がその傷を背負って生きるという被消費物の宿命をたどります。
私はこの状況を「1億総監視カメラ時代」と勝手に名付けていますが、りりこに起きた現象はもはや私たちには他人ごとではないのです。
「美」のポスト・ヘルタースケルター
美に対するポスト・ヘルタースケルター、こちらは希望が持てそうです(笑)
今年に入りイギリスのモデル兼司会者のジャミーラ・ジャミルさんが、
こんなものを信じないで!
と皮膚の色や体型を編集者により過度に加工された画像をインスタで投稿し、怒りを投げかけました。
画像出典:https://www.instagram.com/jameelajamilofficial/
その後これは「# I weigh(私の重み)」と一種の女性解放運動のようになり、今でもインスタ上で体重という数字ではなく、「大好きな友達がいる」「大切な家族がいる」といった自分の内面を称える世界中の女性の投稿が絶えません。
韓国でも少なからず反整形の運動が起こっているようで、「脱コルセット運動」という運動が起こりました。
これは美容系ユーチューバーのベ・リナ(Lina Bae)さんが始めたありのままの美を大切にするといった活動で、賛同した女性たちが「社会が求める美から脱する」と反旗を翻し、女性蔑視の風潮とも相まってどんどん拡大していったのです。
今、ベさんのフォロワーは15万人にもなっています。
同じ女性から言わせると、こういった活動は純粋に嬉しく思いますね。
発信する側が「痩せすぎ、美貌偏重の時代は終わった」と言ってくれることほど、一般人にとってありがたいことはありません。
5.ヘルタースケルターをオススメしたい人
画像出典:https://www.netflix.com/
さて!
長々と解説してまいりましたが、ヘルタースケルターという映画を見て、聞いて、考えて学んでいただきたい方は以下のような方です。
サゲマンにひっかかる自覚のある男性
女運がない、サゲマンにひっかかる自覚のある男性にはオススメです。
ヘルタースケルターはサゲマンだらけです(笑)
りりこもそうだと思いますし、マネージャーも、さとり世代のこずえも、社長も総じてクセがすごい。
この映画でサゲマンの行動パターンと思考回路を学んでいただき、
どうしたらああいう仕上がりになるのか?
なぜこんな悪女にひっかかるのか?
というサゲマンにひっかからない傾向と対策を練りましょう。
モラトリアムの自覚がある人
「人を信じることっていつか裏切られーっ!!」
とカラオケで歌っちゃうモラトリアムの自覚がある人にはオススメです。
この映画のラストに浜崎あゆみを起用したのは蜷川監督の強い希望だそうで、公開時のインタビューでは
浜崎あゆみは、素晴らしいオリジナリティと消費されなかった力強さの証明。
と語っておられましたが、私は浜崎あゆみこそ刹那な消費のシンボルと思います…。
なんていうかな、安室ちゃんや宇多田ヒカルとは違う、あえて普遍性を持たないモラトリアムを極めたプロのお人形さん的な。
ヘルタースケルターはモラトリアムをモラトリアムのまま映し出す空疎な映画なので、過剰なインパクトは期待しないでください。
「わかるわ…」と現状を認めることがまず大事なのです。
怪しい整形広告に心惹かれる女性
美しさは女性が永遠に求めるもの。
ヘルタースケルターは怪しい整形ツアーの広告にフラフラと心惹かれてしまう女性に「待った」をかける映画です。
Fashion is good for the spirit.(ファッションは魂にいい。)
という言葉がある通り、おしゃれは本来女性を元気にさせるものです。
そのタテマエの裏に「モテたい」「他の女よりもかわいく見られたい」と思う気持ちがあることもまた自然なことです。
男性だって
「ヘイ!いい中身してるね!」
なんてナンパしてきませんからね。
でも、美意識が過剰に暴走し始めたら危険信号で、実は私の友人にも「愛されたい」と泣きまくって整形の無限ループに入ってしまった子がいます。
「外見の表現方法」ってその人自身を映すものですよね。
レディー・ガガにとってファッションは表現で、ある老婆にとっては場を和ませる優しさで、あるデザイナーにとってはアートです。
自分にとって美とは何か?と定義できることが、大人になることなのかもしれません。
整形で変えられるものと、変えられないものがあること、この見極めはとっても重要です。
美に疲れず、憑かれず、楽しめるくらいの度量を持っていたいものです。
いずれにせよ、私たちはヘルタースケルター時代を乗り越えました。
このことについては、大きな自信を持っていいのではないか?と個人的には思います。
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