考察を超えた大胆感想!映画「グリーンマイル」は罪と罰の教科書【ネタバレ】

グリーンマイル ポスター

こんにちは、エンタメブリッジライターしおりです。

刑事裁判のニュースを観るたび、いつも自分に問っていることがあります。

最も残酷なのは死ぬことか?、それとも罪を背負い生きながらえることか?

あなたはどちらだと思いますか?

そんな心の深淵に迫る重い問いを投げかけるのが今回ご紹介する映画「グリーンマイル」

自分がどこからきて、どこへいくのか・・・わからないんだ。

これはある登場人物のセリフです。

生きるとは?死ぬとは?罪とは?罰とは?償いとは?

普段の生活で目をそらしていたとしても、それはいつ突然巻き込まれるかわからない大嵐のようなもの。

今日本はコロナウィルスという誰も免疫を持たぬ感染症に冒され、緊急事態宣言も発出されてニューヨークやイタリアのような壊滅的影響が出るのか瀬戸際です。

しかし、私たちは瀬戸際に立たなければいけません。

瀬戸際に立ってしか見えない景色もある。

見なければいけない景色とは「その大嵐の中心には何があるのか?」ということだと思います。

グリーンマイルは決して明るい映画ではありません。

むしろ、非常に暗く重い映画です。

命の危険が全ての人の身に迫っているからこそ、こういう映画もより現実とシンクロして観られるのではないでしょうか。

1.「グリーンマイル」の作品紹介

公開日:1999年12月10日 (アメリカ)
監督:フランク・ダラボン
原作者:スティーヴン・キング
原作:The Green Mile
出演者:トム・ハンクス、マイケル・クラーク・ダンカン、デヴィッド・モース、バリー・ペッパー、ジェフリー・デマン、ダグ・ハッチソン、ジェームズ・クロムウェル、サム・ロックウェル、ほか。
受賞歴:アカデミー賞にて音響・脚本・作品賞受賞、助演男優賞ノミネート(マイケル・クラーク・ダンカン)。

こちらがグリーンマイルの予告編。

主演トム・ハンクスがシャコシャコと掃除をしているのは死刑執行用の電気椅子。

30秒頃「新しい看守が入ったよ」というセリフ…グリーンマイルに欠かせないその名看守とは!?

2.「グリーンマイル」のあらすじ

グリーンマイル 画像 映画
画像出典:https://www.imdb.com/

はじめにグリーンマイルのあらすじをご紹介します。

グリーンマイルは3時間の長編映画。

できればトイレにもいかず、冷蔵庫に飲み物も取りにいかずに、途切れない「イッキ見」をしましょう。

作品後半に向かってどんどん深化していくのと同時に、あなたも内面も深化していっていただきたいです。

「グリーンマイル」のあらすじ(ネタバレなし)

アメリカのとある高齢者施設。

入居者の老人ポールは、食堂でいつも残り者のトーストをもらい、散歩に出かけるのが日課。

ホールで利用者が全員集まってテレビで「Heven~♪I’m in heven~♪」と歌が流れる白黒映画を観ていました。

なぜか突然ポールは涙をこぼし、席を外します。

同じ入居者の女性の友人に「大丈夫?」と声をかけられながら、ポールは静まったカフェテリアで約60年も守ってきた秘密を話しを始めました。

それは、トム・ハンクス演じる若き日のポールが1930年代のアメリカ、大恐慌時代にアラバマ州刑務所の死刑囚棟で看守主任として働いていた時の話。

「グリーンマイル」=牢屋から死刑執行場までの40mほどの道(マイル)。

もともと死刑囚棟の別名を「最期の通路=last mile」呼ぶ慣習があったそうですが、この刑務所は床があせた緑であることから「green mile」と呼ばれていたのです。

ポールは老婆に、自分は1935年にある事件をきっかけに看守を辞職した話を始めます。

長い人生を生きてきたが、1番覚えているのは1935年だ。

生涯で最悪の尿路感染症を患った年で、そして…ジョン・コーフィと殺された2人の女の子の年。

ジョン・コーフィなる人物は?そして、殺された2人の女の子の事件とは?

ポールが散歩に出かける理由、そして白黒映画にたまらず席を立った理由とは?

「グリーンマイル」のあらすじ(ネタバレあり)

グリーンマイル 画像 死刑
画像出典:https://www.imdb.com/

ここから長い長いアラバマ死刑囚棟の回想録が始まります。

1935年のある日、ポールが勤務する死刑囚棟に運ばれてきたのは、双子の女児レイプ殺人により死刑判決を受けた、黒人の大男「ジョン・コーフィ」。

当時のアラバマの死刑制度は、日本と違い、執行日は当事者にも数日前に知らされます。

執行は電気椅子で行われ、囚人が死にゆく様子を遺族らが座って見ることのできるさながら公開処刑でした。

ジョン・コーフィは大男の風貌に似合わず、なぜかいつも怯えているような顔。

暗闇が怖いと言い、言葉も穏やかで「頭が弱い」と感じさせる繊細で純粋な人柄です。

グリーンマイルの筋となるテーマは、先ほどの謎めいた囚人「ジョン・コーフィの死刑に執行にポールが耐えられるか?」。

裁判で有罪、死刑判決が下されたからこそ運ばれてきたジョン・コーフィには、不思議な力が備わっていました。

その力とは、病気を治す力、人の痛みを自分の痛みとして共感・体験する力、人の考えていることがわかる力など、つまりは神がかった力です。

初めてポールがそれを見たのは、ポールが尿路感染症をコーフィに一瞬で治されたときです。

排尿のたびに激痛を感じのたうち回っていたポール。

「ボス、ちょっと来て」と檻の中からポールを呼んだコーフィが、ポールの股間を掴んだ瞬間、電気が稲妻のようにピカーーーッと光ったのです。

たちどころにポールの病気を治したコーフィは、軽く咳こんで「ふぁぁぁぁ」とハエのような灰のような邪気を口から吐き出したのでした。

何が起きたのかわからない目が点のポール——これがコーフィの持つ畏れるべき力だったのです。

この死刑囚棟には3人の同僚とパーシーという若者看守がいました。

パーシーは州知事の叔父のコネで入った生意気な看守。

例えば死刑囚を連れてくる際「死人が来たぞー!」と平気で叫び、イラついて死刑囚を殴って平気で骨折するというポールが手を焼くスタッフでした。

パーシーはこの死刑囚棟のアイドル的な芸達者なネズミ、「ミスター・ジングルス」を踏みつぶして殺します。

しかしコーフィの手にかかれば瀕死のネズミさえも生き返らせて、再び口から「ふぁぁぁぁぁ」と邪気のような粒子を吐き出すのでした。

パーシーが死刑囚棟にいたい理由は「死刑執行をしてみたい」という興味本位だけ。

そして、ネズミを飼い主ほどにかわいがっていたデルという囚人の執行指揮を任されることになります。

つまりこれは「執行を1度経験させてやるから明日には転属願を出せ」との指示ということ。

パーシーは忠実に死刑執行を行うかと思いきや、わざと電流が上手く流れないように細工します(通常、電極と死刑囚の頭頂部の間に『水に浸したスポンジ』を乗せるのですが、パーシーは濡らさないスポンジを置いたのです)。

死刑囚デルは焼け焦げた大火事のようになりなかなか息絶えず、異臭を放って見ていた者たちもパニックでドアに逃げていきました。

「スポンジをわざと濡らさなかった」と気づいたポールは、

これがお前のやったことだ!よく見ておけ!

とパーシーの首を掴み、地獄絵図のように焼け焦げて亡くなっていくデルを直視させます。

そんなときウィリアム・ホアトンという新たな厄介者の死刑囚がやってきました。

このウィリアム・ホアトンが、実は双子の女児をレイプした真犯人。

なぜそのことがわかったかというと、ホアトンがコーフィの腕を面白がって掴んだ時に、コーフィはホアトンの記憶が鮮明に伝わってきたのです。

コーフィは冤罪で死刑判決を受けていたのでした。

なぜコーフィが現行犯逮捕されたかというと、被害者女児を抱いていたところ発見されたからなのです。

もちろんコーフィは女児を治そうとして抱いていたのですが、発見者の警察や親は黒人への差別意識もありそうは解釈しません。

「こんなことに…でも遅かった…」と泣き叫んでいたコーフィはそのまま逮捕、たいした弁護もされず有罪となったのです。

コーフィの記憶は、同じく手を掴まれたポールにも伝わりました。

ポールは「無実の人を殺す」という「罪責感VS職務全う」の板挟みに日夜苦しみます。

ポールは仲間たちとあることを策略、ポールの上司の末期の脳腫瘍を患った奥さんをコーフィを連れ出して治そうと考えます。

受刑者を外に連れ出すなど常軌を逸した行動であること、そもそもコーフィは信頼に足る人間なのか、と案じつつも、深夜にコーフィを連れ出して上司の自宅へ向かったポールたち。

コーフィが痩せ衰えた奥さんにキスをすると、再び電気がバチバチと光り、激震が起き、奥さんはみるみる血色がよくなって治ったのです!

奥さんはゆっくりと起き上がり、コーフィにこう語りかけます。

暗闇をさまよってた…私も同じ。

そして出会ったの。

暗闇でお互いを見出した。

まるでコーフィが何者かを知っていたような口ぶり、コーフィは徹底的に暗闇にいる人と繋がる能力が与えられているのですね。

ところがコーフィはいつものように「ふぁぁぁぁ」と邪気を口から出さず、飲み込んでいたのです。

咳込み、よろよろになったコーフィは監房に戻ると問題児看守パーシーに向かってその粒子を吐いたのです。

まるで精神病者のように反応が止まったパーシー…パーシーはのろのろと歩くと、この棟の問題児死刑囚ホアトンを銃で撃ち殺し、そのまま精神病棟へ入院になりました。

いよいよコーフィの処刑が2日後に迫ってきました。

この無実の罪の男を逃がすべきではないかと葛藤するポールは、監房でコーフィに静かに聞きます。

最後の審判の日、神の前に立った時、神に俺にお尋ねになる。

「なぜ俺はお前を殺したのだ?奇跡を行う”私の使い”を」

俺はどう答えればいい?”職務だったから”と?

これに対するコーフィの答えは意外なものでした。

コーフィは逃走することも希望せず、死刑を逃れることも希望せず、むしろ自ら進んで死刑を望むのです。

こう答えなさい。

『私は親切な行いをしたのだ』と。

あんたは苦しんでる。

俺はこれ以上生きていたくないんだ。

俺は疲れた。

愛を利用して、醜いことをし合う人間たちにも疲れた。

いつも頭の中に破片が刺さっているようだ。

コーフィが死刑に処される前に望んだことは、白黒映画を観ることでした。

その映画が冒頭の老いたポールがいたたまれなくなったミュージカル映画「トップ・ハット(1939年)」だったのです。

そしてコーフィは、ポール指揮のもと、被害者家族に「2度殺せ!」と罵られながら本当に処刑されて行きました。

最期に言い残した言葉は、

生まれてごめんなさい。

——ここで回想は終わり。

ポールの実年齢は108歳であることが明かされます。

ポールはコーフィの死刑後、刑務官を退職して少年更生施設へ転属しました。

ポールとネズミはコーフィに握られたことで、コーフィの持っていた天与の賜物の一部与えられていたのでした。

それは「死なない」ということです。

ポールが毎日パンを持って散歩に出かけるのは、小屋の中に60年ほども生きながらえる老ネズミ「ミスター・ジングルス」がいるからだったのです。

ポールはこのように生きながらえることを自分への「罰」であり「贖い」と考えます。

愛妻を看取り、子供たちも看取り、親しい友人の死ばかり見つめることになったポール…。

死を待ち望みつつ死ぬことができない自らと向き合いながら、最後、こうつぶやくのです。

人は皆、自分のグリーンマイルを歩いてる。

3.「グリーンマイル」の見どころ

グリーンマイル 画像 死刑
画像出典:https://www.imdb.com/

「人は皆、自分のグリーンマイルを歩いてる」

この名言を聞いたとき「生きていくということは、その借りを返していくということ」という永六輔さんの詩を思い出しました。

グリーンマイルの見どころを5つご紹介します。

キャスト俳優が背負う聖書の役柄

グリーンマイルは「無実の人を殺した罪悪感」という解釈が日本ではポピュラーかもしれません。

ところが、グリーンマイルにはもっともっと深い意味を含んでいます。

まず、欧米の人から観れば一目瞭然でキャストはそれぞれ『聖書に記述されている役』を背負っています。

  • ジョン・コーフィ:イエス・キリスト
  • 看守ポール:ローマ百人隊長
  • 看守パーシー、囚人ホアトン:サタンに心奪われた罪びと(これは個人的解釈です)
  • グリーンマイル:イエスが処刑されるゴルゴダの丘
  • 弁護士:ユダヤの知識人

John・Coffeyのイニシャル「J.C」はJesus・ChristのイニシャルJ.Cと同じ。

コーフィがなぜ1930年代アメリカで黒人で頭が弱い孤独な者と設定されたかは、原作者スティーブン・キングによって「最も力なき者」ということが強調されたかったのではないでしょうか。

イエス・キリストも2000年前、豪華な城の王子ではなく、時の暴君ヘロデ王の『産まれた男児は全員殺す』という勅令から逃れるべく、ヨセフとマリア夫妻が疎開途中だったベツレヘムの馬小屋の飼い葉おけで、無力な赤ん坊の姿を選択して生まれました。

この選択は神でありながら、「人の痛みを自ら経験して最後に十字架にかかるため」だと言われています。

ジョン・コーフィが病人の病気を一瞬で治したり、死んだものを生き返らせる神秘的能力はイエス・キリストが起こした奇跡とほぼ全く同じです。

ポール演じる「ローマ百人隊長」は、日本ではさらに聞きなれない言葉ですね。

少し歴史の話をすると、イエスが生きていた時代エルサレムはローマ帝国の統治下にあり、百人隊長とは50~100人もの兵士を束ねていたローマ軍人の長です。

この時代ローマ人は、イエスに従うユダヤ人を迫害してきた黒歴史もありますが、ある1人の百人隊長だけはイエスを信頼していた記述が新約聖書で繰り返し強調されています。

百人隊長は軍のリーダーですから、精神的リーダーであるイエスの気持ちがわかったのでしょう。

アメリカ南部の保守的な「レッドネック」と呼ばれた差別の根強かったアラバマ州で、「白人」「看守リーダー」という権力を持ったポールはローマ百人隊長になぞらえられるのです。

日本人にはわかりにくい?黒人ジョン・コーフィを殺す罪

グリーンマイル 画像 あらすじ
画像出典:https://www.imdb.com/

看守ポールが殺したのは、結局「人ではなく神」なのです。

「無実の人」ほど生易しいものではありません。

だからグリーンマイルは非常に重く苦しいし、ポールはそれゆえに最上級の罰を受けねばならないと定められたのです。

日本に例えたら、日本一パワーのあるご神体(例えば富士山など)を「上司の命令で、仕事だから」と爆発させてしまったようなものでしょうか。

良識ある人ならそのあと長い時間罪の意識にさいなまれますよね。

イエス・キリスト処刑を望んだのは当時の知識人や地位の高いユダヤ人でしたが、実際にイエスを十字架に釘で打ち付けたのはローマ軍人です。

ポールが背負う役柄のローマ百人隊長は、実際にイエスが磔刑にされるとき、手は下さなかったにせよその刑場にいました。

そしてイエスが無力な死刑囚として断末魔の叫びをあげて息絶えるところを見届けます。

・・・本当にこの人は、神の子だった。

と言ったのはイエスの弟子やユダヤの民衆ではなく、ときの支配国の軍人であるこのローマ百人隊長だったのです。

この言葉こそ、コーフィを電気椅子で処刑したポールが思った言葉ではないでしょうか。

とはいえ、その後新約聖書には百人隊長が罰を受けるなどといった記述はなく、ポールの罰と償いの話は壮大なフィクションへ切り替わります。

キリスト教に罰の信仰ではなく、むしろ過ちは1度認めて悔い改めればよい許しの信仰。

その許しの権限はあくまで三位一体の「父・子・聖霊」のうち「父なる神」にあります。

人となって2000年前に現れたその子イエスは、アダムとエバの失楽園以来「断絶した神と人間の関係のとりなし役」となり、全世界を変えます。

もしポールが本当にそんなイエスのような者を殺したと本気で感じたとしたら、計り知れぬ罪悪感にさいなまれるでしょうし、ポール自ら罰を受けることを望む心が生まれても不思議ではありません。

ポールはコーフィから「不思議な力」を受け取って生きながらえていますが、案外と罰が自分に宿ることを望んだ結果が108歳の長寿ではないでしょうか。

そして「償いが終わった」と自分ではっきりと思えるまでは、ポールは死ぬことができないのではないか・・・とさえ感じます。

「自分は許されるに値する」と思える日が、ポールが死ぬ日なのかもしれません。

名言「人は皆グリーンマイルを歩く」を現代に置き換える

人は皆「グリーンマイル」を歩く。

罪、罰、償い、生、死・・・あらゆる根深い問題を一挙に提示する「グリーンマイル」。

私たちは100%死に定められた生き物です。

この記事を書いている現在、世界は100年ぶりのパンデミックと言われる感染症、新型コロナウィルスの脅威にさらされ、他人事だと思っていた誰もが自国にウィルスがやってきて嫌でも「個人の死」を考えざるを得ない状況です。

なぜこんなことが起きたのか?これからどうなるのか?ジョン・コーフィも言うように、それは誰にもわかりません。

昨今の状況下で、私の友人のニューヨークのICUで働いている友人は毎日心を痛めて泣いています。

日本でも感染拡大が3月末頃より深刻化してきましたが、このころから私はコロナウィルスに関してどこか他人事のように行動する人に正直苛立ちを感じます。

最後のしわ寄せは彼女のような医療従事者に行く、いい大人ならそんなことわかっているだろうに、なぜ危険を伴う行動に出続けるのか?

緊急事態宣言が出されても、ニューヨークやイタリアの日本人がどれほど訴えてもなお、日本人は満員電車に乗ります。

それは収入のためなのか?人材が足りないからなのか?理由は人それぞれでしょう。

ただ、少なくとも一般サラリーマンである私の夫は「みんなやってるから」という同調的な理由が1番大きくて出社を続けているのではないのか?と傍で見ていて感じます(テレワークできる環境なのにやらないから・・・とか)。⇒注:この記事を書いた3日後に夫の会社でコロナ陽性者が出て、そのフロアの社員全員が自宅待機となったが『やっぱりな』としか思えなかった。

政府も政府で「同情するなら金をくれ」と叫びたくなるような情けない補償しか打ち出せず、日本にだけ神風が吹くとでも思っているのか・・・私にも意味不明なことがたくさん起きています。

そんなとき心がざわざわ落ち着かない中、散歩をしていたらこんな言葉がふと頭に浮かびました。

どんなに苦しくても、私は生きていかなければいけないのだ。

宮崎駿氏の「風立ちぬ」のキャッチコピー、「生きねば。」は風を意識して作られたコピーだそうですが、それは決して高原に吹くような爽やかな風をイメージされたのではないんですよ。

宮崎駿氏が311後、布団から起き上がると、福島原発の放射能を含んだであろう風が窓辺を吹いていたそう。

「生きねば。」とはそんなイメージの風なのです。――どんな苦境と危険に立たされても生きなければいけないと思わせる風。

背中にいつも重苦しいものを背負っているような緊急事態宣言の昨今でも、命ある限り私たちは生きるのです。

「グリーンマイル」に学ぶ償いとは?

償いとは何でしょうか。

私は実際に殺人を犯し、無期刑となった方と交流をしています。

「花粉の季節になったけど体調は大丈夫?」

「物騒な事件が多いから気を付けてね」

「虐待事件のニュースが多いけど、どうして親が子にそんなことするのかな…」

この方は正直言って私の周囲にいる誰よりも私のことを心配し、実際にそれを言葉に出して言ってくれる方です。

その方の事件は30年以上も前のことで、ネットにさえ出てこない時代のもの。

こんな無力な老人を今外に出して、一体何の害があるのだろうか?と厳罰思想だった法学部出身の私でさえ感じずにはいられませんが、無期刑が確定している以上この方の「グリーンマイル」はポールのごとく寿命まで続きます。

この方の人生は1回の過ちにより「償い」となりました。

ただ私は、この方の「償い」はある意味まともだと思います。

なぜなら、私たちの大多数が法に触れぬ過ちを日々犯し続け、同じ数だけ目をつむり、傲慢で、自己中で、「償い」のときを持つことさえ知らないからです。

先ほどのコロナ問題も、他人のことを考えないのは政治だけでしょうか?

私は日本でコロナ感染者が出始めてから、自分の周囲で楽観的な人と悲観的な人の態度がパックリ2分されている状況に注目していました。

どちらが正しいとかではない、ただ、神経質で悲観的な人には「絶対に感染させてはいけない大切な人がいる」という共通点があると個人的には感じています(『親が透析を受けている』『妻が妊婦である』など)。

楽観的な人に会うたび、この人に心から大切な人はいないのだろうか?と感じずにはいられない昨今。

「自分はどうなってもいい」そんなことを思うのは自由ですが、どうもその楽観性の下に他者への思いやりの欠如を感じずにいられません。

世界的名著「罪と罰」記したドストエフスキーの言葉が迫ってきます。

「法律で罰を逃れても、罪を犯した苦しみからは逃れられない」ドストエフスキー

4.「グリーンマイル」をオススメしたい人

グリーンマイル 画像 死刑
画像出典:https://www.imdb.com/

最後に「グリーンマイル」をオススメしたいのは以下のような方です。

暗いけど、ちょっとユーモアがあって微笑ましい…そんな映画なので、心臓バクバクになりすぎず問題を捉えることができますよ。

死刑賛成派

死刑賛成派にはオススメです。

日本は多くの人が死刑賛成で、世界の風潮でも異例とも言われます。

冒頭の質問に対し、極刑が最も恐ろしい刑だと言われてはいるものの、生きることはときとして死よりも残酷だと思えることがあります。

「死刑になるためにやった」と犯行を起こす若者も多いですが、こういう人たちに死刑が犯罪抑止効果はプラスどころかマイナス。

刑罰がくだされていない私たちだって、ときには「死にたい」と嘆くことがありますよね。

ただ、これは私の身内がたまたまそういった事件に巻き込まれていないから言えること。

ただし、当事者でないからこそ客観性を持つ立場にいなければいけません。

裁判員制度が始まって10年…私たちはいつ「人を裁く立場」に置かれるかわかりません。

答えのなかなか出ない禅問答のような罪と罰の問いに少しヒントをくれるのが「グリーンマイル」です。

差別する心がある人

人に差別意識を持っている人にはオススメです。

「グリーンマイル」は被差別の最も底辺にいる者に、神の力が与えられたという設定です。

あなたがもし「自分と違う」ということを理由に差別意識を持つのであれば、ポールと同じようにその人に宿る神性を見逃し、後の祭りで罪の意識に自らが苦しむかもしれません。

とにもかくにも人間は生まれながら絶対的に不平等なのです。

財力、美醜、出身地、人種、ジェンダー、自分で選択できることなど何1つないし、生まれた時点ですでにヒエラルキーの中で「不平等」を背負う生き物。

この「不平等」を理由に差別意識の正当性を持つことこそ、犯罪の初めなのではないでしょうか。

貧しい人の中でも、最も貧しい人に仕えなさい。

マザー・テレサはなぜこの言葉を言ったのか?「グリーンマイル」を観終えた今なら、わかる気がします。

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