こんにちは、エンタメブリッジライターしおりです。
今回私がご紹介するのは、進化し続けるインド映画の屈指の作品「マダム・イン・ニューヨーク」。
2018年54歳の若さで急死したインド大女優、シュリデヴィさんの結婚・出産による15年間もの休業を経た復帰作としても話題を呼びました。
「マダム・イン・ニューヨーク」は一言で言えば女性を明るくエンパワーする映画!
そんでもって「主婦あるある映画」です(笑)
私も夫婦間で問題が起きると気づけば「マダム・イン・ニューヨーク」を観ています。
そして必ずラストは涙でグズグズになっているという…w
落ち込み度が大きければ大きいほど、励ましも大きい映画です。
というとものすごく女性向けの映画に見えますが、その背後には「女の自立」というテーマ以前に達成されるべき「男の自立」という隠れテーマも潜んでいるように思います。
ということで男性にもぜひ観ていただきたい渾身の一作です!
それではレビュー本編に行ってみましょう。
1.「マダム・イン・ニューヨーク」の作品紹介
監督:ガウリ・シンデー(Gauri Shinde)
脚本:ガウリ・シンデー(Gauri Shinde)
出演者:シュリデヴィ(Sridevi)、アディル・フセイン(Adil Hussain)アミターブ・バッチャン(Amitabh Bachchan)、メーディ・ネブー(Mehdi Nebbou)、ほか。
制作国:インド
こちらが「マダム・イン・ニューヨーク」の予告編。
43秒頃に流れる「菓子作りが…」とか何とか言う旦那のセリフを聞いてくださいよ!
グーパンチで殴ってやろうかと思いますね。ペッ!て感じでw
2.「マダム・イン・ニューヨーク」のあらすじ
画像出典:https://www.youtube.com/
続いて「マダム・イン・ニューヨーク」のあらすじをご紹介します。
私がインド映画を観るのは1995年の「ムトゥ・踊るマハラジャ」以来で、正直歌って踊るインドらしい古風な映画なのかな~と思っていました。
その期待はいい意味で裏切られ、「マダム・イン・ニューヨーク」はハリウッドと引けを取らないほど進化したインド映画ですね。
ヒンディー語と英語の配分も、半分半分くらいでとっつきやすいです!
「マダム・イン・ニューヨーク」のあらすじ(ネタバレなし)
インドの中流家庭(個人的には上流だと思うw)の主婦シャシ。
夫はホワイトカラーのビジネスマン、娘サパナは思春期真っ盛りでどう見ても優秀なインターナショナル私立高に通っており、息子サガルは無邪気な小学生。
それに夫の母と暮らす5人家族。
サリーを身にまとうシャシの1日は、家族の朝ごはんの支度から。
「チャイ!」との夫の一声により、いそいそとチャイを出すシャシはまさに昭和の良妻賢母ですね。
シャシは夫や娘からあることでバカにされていました。――それは英語が話せないこと。
ジャアズ。
とJAZZ(ジャズ)のことを言っただけで夫娘は「聞いた?」「ジャァズだって!」と大爆笑。
そんなシャシの特技は、ラドゥという丸くて甘いインドの伝統的なお菓子を作ること。
シャシの作るラドゥはご近所でも評判で、日中はご近所にラドゥを配ってお小遣いを稼いでいました。
しかしシャシと夫の夫婦仲は冷めきっています。
夫はシャシに対して「釣った魚に餌をやらない」てな態度で愛情表現は一切しません。
あるとき娘の三者面談で夫の代わりに参加したシャシですが、このことで娘を怒りで大爆発させます。
先生の英語がわからず、学校で出会うお母さんたちの英語もわからず、「私に恥かかせて!」と帰りのリキシャでブチ切れらた娘…。
『英語が話せない、そのことで家族関係に亀裂が入ってる…。私なんかいなくてもいいんじゃないかしら?』
実際に口に出しはしませんが、シャシはそんな風に思い始めました。
そんなある日、ニューヨークに住むシャシの姉から突然の電話がかかってきます。
娘が結婚することになったの!
1か月後、NYにいるシャシの姪っ子が結婚式を挙げることになったのです!
「式の準備は退屈だからシャシに任せとけ」と例の夫の男尊女卑発言により、1人1か月も前乗りすることになったシャシ。
シャシは英語が話せない鬱積と緊張を抱えてドキドキハラハラしながら、初めて1人でNYに出かけたのです。
これから1か月、シャシにはどんなNY生活が巻き起こるのでしょうか!?
「マダム・イン・ニューヨーク」のあらすじ(ネタバレあり)
画像出典:https://www.youtube.com/
四苦八苦でVISAを取得、ドルに両替、手荷物検査を終えたシャシは機内へ。
機内でシャシの隣に座ったのはオープニングクレジットで「70歳を祝して」と流れるボリウッド界の大俳優アミターブ・バッチャン。
フライト・アテンダントを呼ぶボタンを押し方、ヘッドセットの使い方、モニターに流れる英語⇒ヒンディー語の通訳までやってくれました。
18時間のフライトで着いたNY…入国審査では「滞在の目的は?」と審査官に質問されますが、練習した英語が出てこず、式日程の紙を見せて乗り切ったシャシ。
空港で迎えに来てくれた姉家族と合流しますが、シャシの姉は10年前夫を亡くしたシングルマザーです。
結婚するのはミーラという姪っ子で、その下にラーダという大学生の妹がいる3人家族でした。
しかしこの新婦ミーラ、ほとんどこの映画に出てきませんw
代わりに頻発して出てくるのが妹の大学生ラーダのほうで、このラーダこそが映画のキーパーソン、シャシの救世主となるんです!
翌日、シャシはラーダに連れられて2人でマンハッタンに繰り出しました。
そこでひと悶着発生。
ラーダと別れて1人カフェに行ってみたシャシは、いかんせん英語がわからないので店員をブチ切れさせます!(おそらくマンハッタン1機嫌の悪いでオバハン店員に当たったw)
店員「アメリカーノ?カプチーノ?ラテ?」
シャシ「ネスコフィ…」
店員「Yes, we have ナイス・コーヒー(怒)!!」
と店員の怒りの押し問答が続き、シャシは慣れないドルの小銭をぶちまけて、他の客にぶつかってお皿はガッシャーンと割り…しまいにゃ泣きながら外のベンチまで走っていきました。
すると先ほどカフェで居合わせたフランス人男性がシャシに近づき、「君が注文したコーヒー。あの女性、優しくない」とカタコト英語でコーヒーを運んできてくれたのでした。
このフランス人は姪ラーダに続いて、この先のシャシの人生を大きく変える第2の人物となります。
この日シャシは、あるバスの広告を目にしました。
それは「4週間で英語が話せる!」という英会話学校の広告。
『もうこれ以上英語が話せないのは辛い!英語を学びたい!』と心に強く誓ったシャシは、ラドゥを売って稼いでいたヘソクリをはたいて英会話学校に通おうと決意!(我ながら素晴らしい投資だと思う)
英会話学校にカタコトで電話すると、なんと開校日は電話したその日でした。
姉は仕事で日中不在なので、シャシは人に聞きまくって地下鉄を乗り継いでスッとんで行き、どうにか教室に到着します。
ここからシャシの秘密の英会話教室通いが始まりました。
教室には個性豊かな6人の生徒がおり、メキシコ人、パキスタン2人、中国人(か韓国)、アフリカ人、そして昨日コーヒーを手渡してくれたフランス人ローランがいたのです!
ローランの職業はホテルのコックだそうで、自分は英語がきれいじゃないので通おうと思ったとのこと。
他の皆もベビーシッター、美容師、タクシードライバーと職業も様々です。
ついでに先生Davidもゲイという個性の光るキャラw
自己紹介でシャシの順番になると、シャシはカタコト英語で「I also cooking…small business…」と自己紹介をすると、David先生は
このクラスには起業家が多いね!
自分でビジネスをしている人をこう言うんだ。
「Entrepreneur(アントゥレプレヌアー)」
と黒板に書きました
シャシは自分が「Entrepreneur(起業家)」と呼ばれたことを嬉しく思い、自信も感じ、英会話学校が気に入って意欲的に英語の勉強を始めます。
家でも姪ラーダにだけ英会話学校に通っていることを打ち明け、ラーダから英語のDVDを借りて自宅でも必死で勉強、新聞も『New York Times』を読むようになります。
ラーダは教室について行って、シャシのクラスメートであり友人であるみんなとも顔見知りになりました。
英会話学校で出会った生徒6人には、かけがえのない友情が芽生えていきます。
ほとんどの人が移民や出稼ぎでアメリカに来たものの、英語が話せないことを理由に差別的扱いも受けていて、「見返してやりたい」「母国語を全米に広めたい」などと野心を持っていたのです。
そんな中フランス人のローランは、一生懸命英語学習に励むマダムのシャシに惚れ込み、恋に落ちます。
欧米スタイルのせいか恋に積極的なローランは、シャシを地下鉄の駅まで送ったり、カフェにも誘ったりもします。
シャシは、英会話学校やローランとの関わりの中で「1人の人間扱いされている」ということをとても心地よく感じます。
それでも英会話学校が終わったある日、インドにいる娘サプナからブチ切れた国際電話がかかってきました。
サプナ「スクラップブックはどこよ!」
シャシ「はぁ…クローゼットよ。大丈夫、誰も読んでないから」
サプナ「読めないでしょ!英語なんだから!」
・・・また英語を話せないことをバカにされ、落胆と怒りが渦巻くシャシ。
忘我の状態でローランと歩きながら、2人は英語を忘れ、お互いの母国語ヒンディー語&フランス語で会話をして歩きました。
シャシ「<いくら子供でも親を侮辱していいの?敬意がなさすぎるわ。私はまるでゴミ箱>」
ローラン「<何を言ってるかわからないけど、気の毒に…>」
シャシ「<これが親子?愛情をかけて苦労して育ててもこれよ。見下されるだけ>」
(カフェに座り込んで)
シャシ「I’ll have a cafe latte and double cheese vegetable sandwich and glass of water ice water…(カフェラテとダブルチーズバーガー、氷入りの水…)」
なんとシャシは無意識にカフェのオーダーがペラペラと完璧にできていたのです!
ローランがそのことを指摘すると、シャシはとびっきりの笑顔に!
ローランは最初カフェで出会った日、シャシが英語を話せず店員にブチ切れられて逃げた様子を知っていますからね。
着々と英語力を身に着けているシャシは自尊心を取り戻していきました。
翌日、英語のクラスの課題は「TALK(自分のことを話す)」。
ローランは「皆の前で話すのは苦手だ…」と言うと、「じゃあ、このクラスで好きなところは何?」との先生の質問にこう言います。
このクラスで好きなのは、シャシ。
とても美しい。
瞳はミルクの雲に落としたコーヒーの雫。
↑言われてぇw(私の心の声)
シャシはいたたまれなくなり教室から出て逃げていきました。
パキスタン人の生徒はローランに対して、「インドの女性だ!フランス女じゃない!敬意を払え!」と怒られ、謝ろうとシャシを追いかけていきました。
シャシはまたヒンディー語でローランにこう呟きます。
<あんな言葉久しぶりで、驚いただけよ>
2人の恋は不倫に発展するのか…あくまでシャシは英語の勉強を熱心にする人ですが、そういう言葉を投げかけられて決して嫌ではない様子。
もやもやした気持ちで帰宅すると、「サプラーイズ!」とインドから夫、娘、息子が予定より早く渡米してきていました。
「さあ、明日からみんな観光しよう!」と家族で過ごすプランをたてられ、サーーと顔に青筋が出て焦るシャシ。
その理由は英会話学校に行けなくなるからです。
そこで助け舟を出したのもまた姪ラーダでした。
シャシ家族の観光について行って、「叔母さん、脚が疲れたならここで待っていたら?私たちは次の場所に行ってくるわ」と英会話学校の時間に合わせて、シャシを解放してくれたのです。
相変わらず街で「jazz」の看板を見ると「ジャァズ」とバカにして爆笑する思春期の娘。
しかし、この後2つ事件が発生します…。
1つ目は、英会話学校も残すところ1週間で、先生は最終日のために「5分間英語スピーチ」の課題を出したこと。
合格すると「英語で意思の疎通ができると証明する修了証書」がもらえるのですが、この日が結婚式の日とかぶっていたのです!
この授業の後ローランとエレベーターで2人きりになったシャシは、降りる階のボタンを押し忘れて30階以上もある屋上まで行ってしまい、このとき最強のロマンスが発生したのです。
屋上でNYを一望する絶景を眺め、.シャシが「わぁ~!」と感激して風によろけてしまうと、ローランが抱きかかえて笑顔でシャシを髪をスローモーションで撫でました。
不倫まであと1歩というところで我に返ったシャシは逃走!
自分には夫も子供もいる。妻であり母である。ーーNYで1人生活して、そのことを忘れそうになったことに焦ったのです。
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2つ目の事件は、シャシが英会話学校に抜け出した時間に、小学生の息子サガルがケガをしてしまいました。
「シャシはどこだ?」と探し回る家族ですが、待ち合わせ場所にいないシャシ。
「脚が疲れている」と言って観光を拒否した嘘がバレます。
学校が終わって待ち合わせ場所に帰ったシャシは、家族が誰もいないことにテンパって急いで帰宅。
息子がケガをしたのだと知らされ、激しく自分を反省しました。
幸いケガは擦り傷程度だったのですが、行方をくらましていたシャシに立腹する夫。
シャシも、家族より英会話を優先して、なんて身勝手な自分なのだろうと罪責感を感じて泣きます。
夜な夜なポーチで「もう学校は辞める」とラーダに話したシャシ。
ラーダは「あと3~4日ほどよ。自分で決めたことなんだからやり通して」と励ましますが、「英会話以前に、自分で決めたことは母親業だ」とシャシは一蹴、もう家事に集中すると決意。
翌日、ラーダは英会話学校に赴き、シャシが辞めることをDavid先生に伝えました。
「あともうちょっとだよ!スピーチの試験は?」と残念がる先生。
ラーダはそこでローランに出会い、お互いの携帯番号を交換しました。
ラーダは秘策を練って、結婚式の準備で庭をいそいそと動き回るシャシにスマホを手渡すと、ローランがスピーカーで教室のレッスンの音声が聞こえるようにしてくれたのです。
スマホを耳に当て、密かに英語の勉強を続けることができたシャシ。
結婚式も、実際の式は午後からなので、午前に「美容院に行く」と口実をつけて1時間学校に参加して試験を受ける予定でいました(これもラーダの助け舟)。
結婚式当日は、シャシは得意料理ラドゥをゲストに配るギフト用として大量に作ります。
ところがハプニング発生、大皿に盛ったラドゥを庭の会場に運ぶ途中、息子サガルが「ワッ!」と驚かしてすべて庭に落ちてぐしゃぐしゃになってしまいました。
「大丈夫よ、近所のインドのお菓子屋さんで買いましょう…」と励ますシャシの姉ですが、シャシは「ラドゥくらい作れなくてどうするの…」とラドゥを1から作り直すと言います。
そのころ英会話学校では、みんながスピーチをして試験を行っていました。
シャシの姿が現れないことを心配するみんな。
ラーダは、この生徒6人と先生を結婚式に招待、生徒たちは皆午後の結婚式にフォーマルな服を着て会場に現れたのです!
予期せぬサプライズに大喜びのシャシ。
ヒンズー式の結婚式が始まり、会食になると、新郎新婦の親がスピーチを始めます。
英語だったので、シャシの夫はそっとシャシに耳打ちで同時通訳しますが、『わかっとるわい』的表情のシャシ。
突然ラーダが機転をきかせて立ち上がって一言、
じゃあ、シャシ叔母さんからも一言スピーチをしてもらいましょう!
えっ…と照れて驚くシャシの代わりに立ち上がったのはなぜか夫でした。
「失礼、妻は英語が得意ではないので…」と言いかけたところで、「May I ?」と夫を止め、自ら立ち上がって話し始めたシャシ。
英語の先生や生徒たちも興奮して見守ります。
この映画で最も印象に残る感動的な場面、シャシの英語スピーチの一部を抜粋しますね。
ミーラ、ケヴィン、この結婚は素晴らしいです。
それは最も特別な友情です。
なぜなら対等な者同士の友情だから。
ときどき夫婦でも、お互いの気持ちがわからなくなるものよ。
だから助け合う方法も見失う。
それは結婚の終わりかしら?
いいえ、自分で自分を助けるときよ。
自分を助ける最良の人は自分。
そうすれば、対等の気持ちがあとから戻ってくる。
友情も戻ってくる。
家族をもうけて、息子や娘を。
この広い世界に家族の小さな世界を。
とてもいいものよ。
家族は決してあなたを決めつけない。
家族だけよ、あなたの弱みを笑わないのは。
渋い顔をしてスピーチを聞き続けた夫、英語が話せないからと母を笑いものにしてきた後悔に泣く娘サプナ。
スピーチが終わると英会話学校の先生が拍手喝采し、
シャシ、「return back」ではなく「return」。
いくつか冠詞も抜けたけど、試験には合格!
シャシは修了証書をもらえることになり、生徒たちやラーダは拍手喝采。
その後ローランとシャシの会話風景を見て、薄々何か感じ取ったシャシの夫。
「まだ俺を愛しているか?」との質問に、シャシは「愛していなかったらラドゥを2個あげないわ」と夫への愛情を再び確認します。
シャシの戻るべき場所はこの家庭。
ローランにはヒンディー語で、
<ありがとう、自分を愛することを教えてくれて。
自信を与えてくれてありがとう。>
と伝え、インドに帰国していきました。
3.「マダム・イン・ニューヨーク」の見どころ
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次に「マダム・イン・ニューヨーク」の見どころをご紹介します。
『欧米化が進む日本』と言われますが、家庭に関しては同じアジアだけあり、日本とインドの習慣や保守的な関係性にはあまり変わりがないんだなと感じました。
やはりこの点はジェンダーに焦点を当てて考えるべきだと思いましたので、そのことについて書きますね。
2018年死亡したシュリデヴィ
主演を務めたシュリデヴィは4歳から子役として活躍する「男性俳優がいなくてもヒットを飛ばせる」というインド映画業界きっての大女優。
しかし2018年2月、甥の結婚式出席のためドバイを訪れていたところ、ホテルの浴槽で溺死しているのが発見されます。
当初心不全との報道がなされましたが、警察からの発表は、
シュリデヴィさんはホテルの部屋の浴槽で意識を失い、水死した。
ということ。
「マダム・イン・ニューヨーク」はシュリデヴィさん2児出産後の15年ぶりの復帰作でした。
54歳の若さで突然この世を去った国民的大女優のシュリデヴィさん。
死亡ニュースはたちまちインドを駆け巡り、ムンバイの自宅で行われた葬儀では数百人のファンが集まったと言います。
「マダム・イン・ニューヨーク」公開たった6年後のこと出来事です。
シュリデヴィさんは公開後アメリカのトークショーで、子供が生まれてからも自分は、
仕事のときは仕事に100%、家庭のときは家庭に100%。
と両者を分けてそこに100%のパワーを注ぎ込んでいるとおっしゃっています。
グローバル作品としては遺作となった「マダム・イン・ニューヨーク」、ぜひ皆さんもシュリデヴィさんの最期の演技を堪能してみてください。
専業主婦は肩身が狭い
「マダム・イン・ニューヨーク」は現代主婦あるあるの金字塔映画といっても過言ではない!
私は産後3年間生まれて初めて「専業主婦」というものを経験しました。
このとき最も感じたことは「専業主婦は肩身が狭い!こんなに隅に追いやられたものなのか!」ということでした。
今の日本はもはや「働く女性」と「働かない女性」の立場が逆転していて、いつの間にか専業主婦のほうがマイノリティに追いやられ、ものすごく差別的立場に置かれていることを実感しましたね。
赤ちゃんを連れて児童館なんか行くでしょう?
するとまず初対面の人からはこう言われますね。
育休中ですか?
「…いえ、働いてません」というと、皆一様に「(えっ、今時?)」という驚きと好奇の視線を向けてきます。
同じように私が初対面の女性に、「育休中ですか?」と聞いてみると、眉間にしわを寄せて申し訳なさそ~うに「いえ…」と返答してくるのは決まって専業主婦でした。
国会中継などを見ていても「共働き家庭のために…」「働く女性のために…」などは耳にタコができるほど聞く言葉でしたが、働いていない主婦への施策やニュースは何か1つでもあったっけ…?てな感じです。
本作は、若干37歳のガウリ・シンデー女性監督によって制作された映画ですが、オープニングで、「FOR MY MOTHER」とデカデカと出るのは、彼女自身がシャシのように漬物を売って細々と主婦をやっていた母を「教養がない」とバカにしていたからでした。
「主婦なんだから教養もないだろう」
「働いていないから子育ても楽だろう」
「旦那の金で暮らせるなんていいよな」
いやいや、主婦なんてこの世で唯一お金が絡まない愛情だけによってする仕事で、家を守り、子供が生まれれば「人間を育てる」という大変な作業を任せられる崇高な仕事なんだからね!
私が専業主婦を3年やって1番感じたことは、それまでやったどんな職業よりも大変だったということです(抑圧的差別も含む)。。。
学生の時、大雪の中見知らぬ山地に車で降ろされ、『住宅展示場はコチラ』とかいう看板を8時間持たされて凍死しかけたバイトよりきつかったな…。
私たちの親世代は職業を持つ女性のほうが差別的に扱われていましたが、働く女性が増えた今、結局昔と同じように数の論理で専業主婦が非差別的立場に追いやられているのです。
働こうが働くまいが、マイノリティが価値を貶められる側になるのは一緒。
誰かが言ってたな、「子育ても1つのキャリア」って。
家を守ることの崇高さ
私は専業主婦のことを「家守(いえもり)」と勝手に造語を作って古風に呼んでいた時期があります。
家守…「家を守る」というはたらきは実に奥が深く、衣食住の土台がない家は、建築に例えれば最初の「基礎」が工事ができていないことと同じだと考えます。
「基礎」がガタガタだとその上にはどんな立派な建物も立ちませんよね。
女性が家守を一辺倒に押し付けられるのもまた問題ですが、誰かが家を守らなければいけないのです。
男が料理をしたらアート。
女が料理をしたら義務。
シャシは同じコックの料理人ローランにそう伝える場面がありますが、この言葉はジェンダー差を実によく表した言葉。
確かに女性はQOLを選択して働きやすい環境が整いつつありますが、でも家を守る「homemaker/主婦・主夫」がいなければいいというのではなく、丁寧に家を守る人は必ず必要です。
掃除、洗濯、料理…これらを丁寧に丁寧に行うことで、家という場所は本当に人を守ることができる聖なる落ち着きの「気」、胎内のように守られる地場へと変貌します。
「掃除とは人気を無くすことなのだ。穢れを払うとはそういうことだ」とある作家さんがおっしゃっていましたが、その通りで、家事は何万年も昔から人間が行ってきたもので、その1つ1つの地味な作業にはとても大切な意味が込められているんです。
究極、家事は祈りです。
うちの夫は「俺は血を吐いてでも一生働かなきゃいけないんだ!」とたまにブチ切れて言っていますが、男性は「一生働く」というプレッシャーが女性と比較にならないほど重く両肩のしかかっているのも事実でしょう。
女性であれ男性であれ得意な方がやればいいんですよ。
女が働いて、男が家を守ってもいい。交代で守れるなら交代でやってもいい。
そのためには女性が一家を養えるほどの給料と出世街道を保証してもらわんとな、とこの問題は社会・政治的なところまで波及する問題でもあります。
まず男が自立しろ!「ウーマン・リブ」を経て
画像出典:https://www.youtube.com/
「ぼくはウーマン・リブ」というのは女性の自立ではなく、男性の自立を促す運動だというふうにとらえちゃうんです。
結局女が自立するということとは、男も自立しなきゃいけないわけで、それはむしろ男にとって非常に難しいことなんじゃないかと思う気がするんですけどね。
と語るのは詩人の谷川俊太郎さん。
「ウーマン・リブ」というのは1960~70年代に世界的に起こった女性の自立運動。
「マダム・イン・ニューヨーク」というのは面白いですが、主人公はインドの主婦シャシですが、私はある意味で、「男性であるシャシの夫の映画」でもあると思うんですね。
シャシの夫は徹頭徹尾、シャシにいい顔をしません。
「チャイ!」と言ってシャシがいそいそとチャイを運んでもしかめっ面。
シャシがラスト英語で驚愕のスピーチをしてもしかめっ面。
この家庭の問題の本質は、シャシの英語力うんぬんに関係ありません。
そもそも夫とシャシの夫婦関係が良好じゃない。
仮に夫が、シャシをからかう娘を「こらっ!」と諭したり、シャシに敬意を払って愛情や感謝を伝えることができれば、シャシはわざわざ高い金払って英語を勉強する必要もなかったでしょう。
そのことはシャシがフランス人ローランに、
欲しいのは恋じゃない。
尊重されること。
と言う言葉が象徴していて、私もこの気持ちに激しく「うんうん」と同意します。
結婚した後「釣った魚に餌をやらない」ではお互いにダメなんですよ。
シャシの夫は子供のように、娘と一緒になってシャシをあざけり笑っていますからね。
シャシが力を身に着けたら夫はどうなる?
おそらくシャシがパワーを持つことは、この夫にとって脅威なのではないでしょうか?
なぜなら優位な立場でいられない、威張ることができない、自分のほうが弱いと認めざるを得ない…。
だから夫はいつもシャシのパワーを抜き取ることに必死なんです。
これぞ谷川俊太郎さんの言う、「男のほうこそ女性の劣等性に依存している」という1つの甘えの現象ではないかと思うんですよね。
お菓子作りは天下一品でもシャシが蔑視される理由
画像出典:https://www.youtube.com/
夫がシャシを蔑むのは、シャシという「女性」の存在が脅威だからでしょう。
シャシの夫は毎日経済力と教養の誇示に必死ですが、最も認めたくないのは己の「弱さ」ではないでしょうか?
女は非常に強い生き物です。
力では男に負けるものの、代わりに性的魅力、忍耐、許容力、時には狡猾さで男たちを手玉に取り、圧倒してきた歴史があります。
太古の昔から「母性」はもっとも強力な支配にもなっていました。
男性がそれに対抗するにはどうすればよいか?
考えられた要素は暴力か、あるいは経済力しかありません。
「経済システム」は男が女に対抗するために編み出した「力の移行システム」だ。
だから男たちはなかなか「経済力」を女に渡したがらないでしょ?
とある作家さんがおっしゃっていましたが「なるほどな」と思わされる一言です。
男が根源的に抱える女性性や母性への恐怖、それに対抗するための暴力による支配、そして支配関係を確立するために必要なのが「女性蔑視」や「女性嫌悪」です。
シャシの夫も、主に金、パワー、教養の3要素で、シャシに対して強迫的に「自分は取るに足る存在だ」ということを確認しているようです。
一歩引いた女から見ればこれは「面倒くさい甘ったれのボクちゃん」にすぎないのですが、残念ながら本人がそれに気づくのって難しいんです…。
日本とインドに共通する男女の不平等
インドという国は私も2度訪れたことがありますが、日本よりも保守的な面は現実にたくさんあります。
しかし「男たるもの強くなければいけない」という価値観は日印に共通するものでしょう。
日本人も、「男なんだから泣くんじゃない!」と育てられた人は多いでしょうから、男性は女性よりも感情や弱さは見せたがりませんし、ゆえに自分の弱さとは向き合い辛く、もっと言えば自分の弱さは憎しみの対象にだってなるでしょう。
それが反動となって他罰的に女性を攻撃するシーンは、家庭内でも職場でもよくあることです。
反対に女というのは「力」では圧倒的に男に劣りますが、実に柔軟にその事実を受け容れ、別の形で己の弱さや無力さを乗り越えようとする強さがあります。
シャシの夫が恐れていたのは、そんな女性たちやシャシの「逆説的な強さ」ではないでしょうか?
シャシの夫は、シャシを「弱くて無力な存在」と価値を貶め続ける必要があったので実際にそのようにし、自分の強さを錯覚して威張り続けます。
ところがラスト大逆転、弱者のシャシから「許し」を与えられるのです。
「許し」とは本来、「強い者が弱い者に与えるもの」「上の者が下の者に与えるもの」でしょう。
シャシが結婚式で素晴らしい英語のスピーチを終え、ローランと親しげに話した後、夫に、
愛してなかったらラドゥを2個あげないわ。
それにあなたが選んだこのサリー、いいチョイスよ。
と言った瞬間、夫は自分がシャシよりもずっと脆弱で無力な存在なことを突きつけられたのではないでしょうか。
「許す、まるごと愛す」と言った瞬間、シャシと夫の間には見えない「強者と弱者の立場の逆転」が起こっているのです。
シャシの賢い選択とは、ローランとの不倫に走ることなく家庭へ戻ったということ。
シャシもまた「こんな俺」という根深い存在価値のなさを持つ夫の弱さに気づいたのかもしれません。
そこをカバーしてすべてを愛そうとするのがシャシの強い覚悟であり、深いところで相手と繋がりたい、絆を深めたいとする本物の愛への最初のステップなのです。
つまり、シャシの夫婦はラストが始まりです。
4.「マダム・イン・ニューヨーク」をオススメしたい人
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「マダム・イン・ニューヨーク」は以下のような人にオススメします。
インドらしい明るく陽気な歌&踊りのシーンもしょっちゅう出てきますし、平和な映画なので子連れで観ることもOK!
私はとにかく落ち込んだ時や気分が上がらない時、よくソファーで毛布かぶって観ていましたw
落ち込んでいる既婚女性、冷めきった家庭の主婦
落ち込んでいる女性や主婦にはオススメです。
第1義的にこの映画は女性をエンパワーする映画。
シャシのラストのスピーチは、
パートナーと上手くいかなくなったときは「自分で自分を助けるとき」
という感動的発言によって締めくくられます。
シャシの英会話スクールへの情熱と自主勉強は胸を打つものがあり、「自分にも何かができるかもしれない、小さなことから自分が今いる環境や世界を変えられるかもしれない!」と大きな励ましと勇気を与えられます。
落ち込み度が大きければ大きいほど、ぜひ観ていただきたいと思います。
名言もいっぱい!コミュニケーションやスピーチが苦手な人
コミュニケーションやスピーチが苦手な人にはオススメです。
この映画には1点不思議で興味深いことがあります。
シャシとローランはお互い母語のヒンディー語、フランス語を話しているのに「なんとなく会話が成立している」というシーンがあるんですよね。
他にも、シャシがゲイの先生をバカにする生徒に対して、
人は皆違う。
あなたから見て変でも、彼から見たらあなたこそ変。
でも心の痛みは誰でも同じ。
とヒンディー語で言うシーンがあるのですが、言われたほうもその内容をなんとなく生徒は理解するんですよね。
人は自分がきちんと体験を視覚化して、情動が揺さぶられながら相手に伝えることができると、共通語なんてものを介さなくてもしっかりイメージが能動的に相手に伝わるんです。
逆に言うと、自分が情動が揺さぶられておらず、見たものを視覚化できずに「情緒のない表面的な情報」として言うだけでは、本質的な内容は相手に伝わってません(今のSNSがそんな感じです)。
ゴッホはゴッホ自体が情動を揺さぶられている、ゴッホ自身が動いている…だからゴッホがひまわりを描こうが椅子を描こうが私たちはなんか心をつかまれて感動するんですよ。
日本語の使い方が退化している今だからこそ、「マダム・イン・ニューヨーク」に隠されたコミュニケーションの秘儀を観ていただきたいと思います。
あなたの心が動いていれば、表現なんか少々ヘタでもいいんです。
「甘えてなんかいない!」と言い張る男性
女に甘えるなんてもってのほかだ、と自信をもって言い張る男性にはオススメです。
「女が劣等でいてくれればもうそれで都合がいい」と心の中で思っていたら、女性への甘えと依存の重症度はひどいですよ。
つまりそれがそれシャシの夫ですw
谷川俊太郎が言うように、女性という片方のジェンダーが自立するのであれば、当然もう片方のジェンダーも同時に自立しなければ両者の自立は成立しません。
例えば私の専業主婦時代の話ですが、核家族であっても、夫の「仕事なんだから仕方ないだろ」という言い訳は通用しても、私が「育児なんだから仕方ないでしょ」という言い訳は我が家では通用しなかったですね(悲)。
知ってますか?確かに金がなければ生きていけないけど、愛がなければ家庭なんてソッコー終了しますよw
結局家庭の笑顔を作るのは、女の笑顔。
男の笑顔では子供を巻き込むほどの大きな家庭の平和は築けません(シングルペアレントは除く)。
ローランはミスター・レディ・ファーストなフレンチ男性ですが、ではローランは女性より劣っていますか?いませんよね?
老婆心ではございますが、この映画で男性もぜひ一回り成長していただきたいと思います。
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