あらすじ考察「ドラえもんのび太の新恐竜」映画は泣ければいいのか!?辛口感想

ドラえもんのび太の新恐竜 ポスター

エンタメブリッジライターしおりです。

春休みの風物詩といえば毎年子供たちを沸かせてきたドラえもん映画シリーズ。

2020年の今年は1970年ドラえもん連載スタートから50周年という記念すべき年であり、今作「ドラえもん のび太の新恐竜」は1980年1作目の「のび太の恐竜」PRは半年以上も前からたくさんの仕掛けがなされていました。

一昨年記録的ヒットを飛ばした「ドラえもん のび太の宝島大冒険」を手掛けた今井一暁×川村元気の黄金コンビが返り咲き、2019年の約半年前からコロコロコミックで新恐竜の漫画連載が先立って始まりました。

極めつけは声優にキムタクを起用、主題歌もMr.Childrenという超豪華CMがいよいよ現実的にテレビで流れ始めた2020年1月…コロナウィルスが本土に上陸し、3月に予定されていた公開は突如延期され四つん這いに突っ伏したのはうちの子供です(6歳)。

春先に新たな公開日が夏休み中の8月7日とされ、「そのころにはコロナも落ち着いてるわよね」なんて思っていた矢先、感染第2波が再び猛威を振るい始め、試練の中大嵐に煽られつつ封切られたのです!

結果的に鑑賞する側としてはよかったです。

なぜって、私の行った都内某TOHOシネマズは「こんなに空いてるのは初めてだぞ!」というガラガラっぷりで、ガラガラの飛行機の海外旅行のごとく足を延ばせ自由きままにストーリーに浸れるという気楽さと集中力。

座席も1つ飛ばしに「ソーシャルディスタンスを取りましょう」のラミネートがきっちり置かれていて、正直、今までこのTOHOシネマズの中ではエグゼクティブシート並みの待遇でした(ブランケット配布中止はエアコンが効きすぎて寒かったけどな)。

いんだかわりんだか人生は良し悪しが混在するものである、と始まった「ドラえもん のび太の新恐竜」。

予告編のオンパレードの後も「コロナウィルス感染症対策のためにTOHOシネマズが取り組んでいること」がきっちり流れ、客にも消毒・マスク着用などの注意喚起が促されいったんテンションが落とされながらも始まった新恐竜の出来栄えとは!?

ちなみに、我が子は鑑賞中、何度も泣いていました(女です)。

1.映画「ドラえもん のび太の新恐竜」の作品紹介

公開日:2020年8月7日 (日本)
監督:今井一暁
脚本:川村元気
原作者:藤子.F.不二雄
出演者:水田わさび、大原めぐみ、かかずゆみ、木村昴、関智一、木村拓哉、渡辺直美、神木隆之介。
主題歌: Birthday(Mr.Children)

こちらが「ドラえもんのび太の新恐竜」の予告編。

1分5秒に流れるテロップ「絶滅へのカウントダウン」の真の意味とは!?

のび太たち5人の仲間がいったい何を目撃するのでしょうか!

2.映画「ドラえもん のび太の新恐竜」のあらすじ

ドラえもんのび太の新恐竜 画像1
画像出典:https://doraeiga.com/2020/trailer/

まず初めに「ドラえもん のび太の新恐竜」のあらすじをご紹介します。

今を遡ること約30年…昭和の小学生をやっていた私の生活にも、しっかりドラえもんは沁みついていました。

映画館のない田舎だったので、映画はテレビの再放送か漫画で味わって堪能していましたが、2006年「ドラえもん のび太の恐竜」は小学生の淡く繊細なハートに入り込んで、ピー助帰還の名シーンでは思わず涙がホロリとこぼれました。

今作は50年の集大成の要素がふんだんに盛り込まれた作品です。

映画「ドラえもん のび太の新恐竜」のあらすじ(ネタバレなし)

言うまでもないですが「ダメなやつ」のあらゆるレッテルを引き受けて、最強の助っ人ドラえもんと共に生き延びるのび太。

恐竜博2020を訪れたいつものメンバー4人(のび太、しずかちゃん、スネ夫、ジャイアン)は博物館の化石探しコーナーの一角で、貝などの化石をシャベルで彫ってわくわく楽しんでいました。

今回の「ダメなやつ」のレッテルは「現代にも恐竜がいるかもしれないと信じて主張する」&「逆上がりができない」に絞られます。

前作「ドラえもん のび太の月面探査記」では「月にはうさぎが住んでいる!」と主張したのび太ですが、それが「現代にも恐竜が生きている!」と変化したいつなんどきもロマンを忘れないのび太(新恐竜は、のび太の部屋に月面探査記のルカの帽子が飾ってあったよね!?)。

おなじみの展開で、そんな絵空事を信じるのび太に、ジャイアンとスネ夫は「やーい目ん玉でピーナッツ食わせてやんぞ!」と詰め寄って脅される、ドラマは展開していきます。

のび太がびえ~んと泣いて走って逃げたとき、つまづいたのは石の玉のような、う●このようなごつごつした茶色の塊。

もしかして、恐竜の卵の化石!?

期待に胸膨らませ持ち帰り、「タイムふろしき」をかぶせて中から出てきたものとは、恐竜で双子のミュー(メス・ピンク)とキュー(黄緑・オス)でした。

この2匹の種類が、ドラえもんの四次元図鑑を駆使しても出て来ない新種の恐竜(つまり新恐竜/ノビサウルスと命名)だったのです!

ここからのび太と2匹の恐竜をめぐる、時空や生物種を超越した友情と冒険の物語が始まります。

このイントロはクラシック的な音楽と共にものすごく荘厳な雰囲気を醸していました。これぞ50周年!

映画「ドラえもん のび太の新恐竜」のあらすじ(ネタバレあり)

ドラえもんのび太の新恐竜 画像2
画像出典:https://doraeiga.com/2020/trailer/

個人的には今回の映画は、黄緑のオス恐竜「キュー」が主人公の映画だと思います。

なぜって、のび太のように恐竜界の「ダメなやつ」を一手に引き受けるキャラ設定だから。

メスのミューはしずかちゃんを生き写したのような恐竜で、恐竜に通知表があるなら5や4がまんべんなく並んだ、飛行も上手く、頭もスマートでご飯も選り好みせず食べるかわいい恐竜。

それと比べてキューはのび太の生き写しのようなダメ恐竜で、ご飯はマグロの刺身しか食わねぇし、尻尾はミューの3分の1ほどしかなく、羽があるくせにどんなに練習しても飛べない、つまり弱者でハンディキャップを背負っているのです。

この「ダメなやつ」を共通点にのび太とキューは並々ならぬシンパシーと心通わせる関係へ育まれていきました。

途中ストーリーの流れで「キュー、まったく新種の恐竜説!」って思わせぶりになるんですけど、観終われば結局純度100%のダメ恐竜ってことでした。

さて、家で孵化したキューとミューですが、すぐにのび太の背ほどにデカく成長し、例によってのび太のママに「最近ドタドタうるさいけど犬や猫でも拾ってきたんじゃないでしょうね!」と怒鳴られて、ドラえもんの「飼育用ジオラマセット」で恐竜のサイズを小さくして飼育していました。

今回のドラえもんの秘密道具の中で「飼育用ジオラマセット」は最もキモになる道具です。

ジャイアンやスネ夫、しずかちゃんにこの恐竜の存在を自慢して1度はぎゃふんと言わせたのび太ですが、

もう家では育てられないから、タイムマシンで仲間のところに返しに行こう。

と2006年ピー助を彷彿とさせる展開となり、寂しさにひとしきり泣いた後、4人は決起してキューとミューが生息していたであろう白亜紀後期を目指してタイムマシンに乗りました。

新種なのになぜ白亜紀後期と類推したかというと、タイム風呂敷の時間から逆算して計算したんですね。

ところがそのタイムマシンの旅でトラブル発生。

6600万年前目指してタイムマシンをぶっ飛ばしたとき、のび太がタイムマシンのボタンに誤って当たってしまい、着いたのは1億年前のジュラ紀だったのです…。

5人はジュラ紀に来たとは気づかず、キューとミューだけが一面コケの世界と、見覚えもない大きなサイズの恐竜たちにわななく様子。

そこでスネ夫が「ここはジュラ紀だよ!」と持ち前の恐竜知識から気づき、一同6600万年前の白亜紀後期にもう1度タイムマシンで逆戻りしたのでした。

「このジュラ紀のくだりいらなくね…?」と思いながら鑑賞していたのですが、あとでこのくだりが必要なわけがわかります。

のび太は、このジュラ紀の世界にいたとき、ポケットに入れていた「飼育用ジオラマセット」をうっかり川に落としていたのでした。

一同、白亜紀後期に戻ってきて、ドラえもんの道具「足跡スタンプ」と「たまご探検隊」を使って、キューとミューと同種の恐竜の足跡を辿ります。

そこで、機械室のようなシーンに一瞬切り替わりいかにも悪役の低い声が!

ちゃんとチェックしてますよ。

キムタクの声っす。月面探査記ならディアボロって感じの声。

けど、ずっとドラえもん映画を観ているカンのいい大人ならここで「これ、悪役じゃなくてタイムパトロールだな」とわかってしまいますね。

事実、タイムパトロールなんですけど、個人的にはタイムパトロールの声優役の渡辺直美の第一声「新恐竜」の滑舌が悪くて「言えてないやんけー!」とツッコんでおりました(エンドロールまで渡辺直美とは知らなかったけど…)。

白亜紀後期に到着したのび太たち、キューとミューは「ここが我が家」と言わんばかりにいきいきと息を吹き返し、ミューは空を飛び始めます。

どんどん足跡を辿って行くのですが、断崖絶壁にたどり着きそこから前に進めなくなってしまいました。

そこへ、赤いプテラノドンみたいな謎の巨大な恐竜が1頭襲ってきて(これは結局恐竜なのか、ロボットなのか、消化不良に終わりました)、タケコプターでのび太とキューは飛びましたが、海に転落してしまいます。

転落して気を失ったのび太とキューを背中に乗せ、安全な島まで運んだのが、あの40年前の映画に登場したピー助だったのでした。

そのころジャイアンとスネ夫は「ともチョコ」という、チョコレートを半分に分けあえば友達になれるというドラえもんの道具で、ティラノサウルスとトリケラトプスを手名付け、何か自分たちを見張っている猿の形をした悪役の存在に気づき(これがタイムパトロール)、後を追います。

崖の中にあったのは、キューとミューと同種の恐竜がホルマリン漬けにされたような不気味な事務所(?)でした。

中には2人の人間がいて、この会話に耳をそばだてたスネ夫とジャイアンは、彼らがドラえもんたちを監視していると気づきます。

では、一体何のために?

同じころ、ドラえもんは重要な史実に気づいて愕然とします。

6600万年前…それは、恐竜が絶滅した隕石が衝突した時代であり、5人はまさにその瞬間に立ち会ってしまったのでした。

個人的にこの設定はとても面白いと思いました。

なぜなら、私は今まで恐竜の滅亡について「隕石が落ちたらしいよ」と一行で済ませてきたことを、映像としてリアルに恐竜たちが原子爆弾を投下されるように(というか自分がその火をスクリーンで浴びるように)熱風で焼けてしまう怖さを、初めて体験として深く考えたからです。

チリに付近に落ちた隕石は、火の玉のような破片となって振ってきて、津波のような熱風として海側からじわじわと押し寄せてくるのですが、到達するまで残り時間はあと3~4時間。

「隕石が落ちるのを防ごうよ!」とぺこぱの「時を戻そう」のごとく言うのび太に、「だめだよのび太くん、ぼくたちは歴史を変えてはいけないんだ」と諭すドラえもん。

つまりタイムパトロールの2人は未来から恐竜時代を狙ってくる者たちを監視するため、そして新恐竜がなぜ生き残ったか研究を進めるためにドラえもんたちを見ていたのです。

キューとミューも皆殺しになってしまうかもしれない…ここに歴史という公の事実の中でに、のび太とキュー2人の個人的な交流が生き始めるのです。

のび太はキューを自宅で飼育していたときから、キューに強いていたことがありました。

それは飛ぶ練習です。

ジオラマの中に滑り台を置き、助走をつけて飛ぶ練習をさせ、白亜紀にきても魔女の宅急便のキキが飛ぶ能力が落ちたときに坂を走り落ちるがごとく、「キュー!がんばれ!みんなそんな飛び方をしない!いけ!がんばるんだ!」とスポ根のび太として練習をさせました。

飼い主の愛を感じるシーンですね。

そしてドラえもんはもう1つの重要な事実に気づきます。

キューとミューと同種の群れが生きていた海上にぽつりと浮かぶ島とは、1億年前のジュラ紀でのび太が川に落とした「飼育用ジオラマセット」だったのでした。

飼育用ジオラマセットはサイズ調節機能や天候調節機能も付いており、要するにその島にいて天気さえ変えてしまえばキュートとミュー含むそこらへんの恐竜は生き延びられると考えたのです。

そこでドラえもんが出した秘密道具「空間移動クレヨン」。

地面に赤い丸を描けば、白い丸を描いた場所へ移動できるという、どこでもドアと通り抜けフープを合わせたような道具です。

急いで熱風が来るまでに陸地に大きな赤いクレヨンで丸を引き、ジオラマで出来た島に白いクレヨンで丸を引いて、移動させようと考えた5人。

そこに赤いプテラノドンがまたやってきて、のび太は連れ去られてしまい、トンボが飛行船のロープに片手ですがりつく転落寸前になり、「おいおい今度はのび太が人柱になるのか!」と思うワンシーン。

『キューキュー』と心配そうに陸で鳴くキュー。

のび太と特訓した飛ぶ練習の思い出を走馬灯のように思い出していました。

全員、隕石の熱風で死ぬのか!?でミスチルの、主題歌「Birthday」。

個人的には「俺はただ、もう1度あの人に会いたいんだ!」と「天気の子」の帆高の声が聴こえてました(川村元気は『天気の子』のプロデューサーでもある)。

キューはのび太を助けるために初めて飛んだのです。

そして海に転落寸前ののび太を乗せ、ジオラマの島に巨大な白い丸の線を引くことに成功。

火の洪水が襲い来る中、ドラえもんたちと限られた一部の恐竜たちはジオラマの島に退避し、地球が暗灰色の世界となった後も独自の進化を続け、キュートミューの種はいずれ翼のある鳥類へと進化していったというラスト。

タイムマシンでいざ白亜紀を去るとき、キューが追いかけてきました。

だめだキュー!さよならを言ったら、別れが辛くなる!という別れがやってきて、このとき、男にフラれたようにさめざめと湿り気のある温かな銀座の女みたいな涙を流していたのは隣に座っていた娘、6歳。

のび太は翌日早起きをして、学校の鉄棒に一目散に行き、生まれて初めて逆上がりができたのです。

3.映画「ドラえもん のび太の新恐竜」の見どころ

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画像出典:https://doraeiga.com/2020/trailer/

続いて「ドラえもん のび太の新恐竜」の見どころをご紹介します。

子供の視点だと「感動のツボははずさない」という映画になっていると思いますが、今回はあえて大人の視点からちょっと視野を広げて個人的な感想を述べていきたいと思います。

主観ですので辛辣になるところもございますが、ただ私が夢も見られない大人になったというだけかもしれませんのでご容赦くださいませ。

映画は泣ければいいのか新恐竜よ

別れの哀しみと、奮い立つ勇気と、胸を打つ励ましにハンカチですするように何度も泣き、チケットもぎ場にあるサーモグラフィーの検温画像に「36.2」「35.8」といった通行人の体温表示を興味深そうに眺めて、120点の映画体験を手に入れた我が娘。

月に1~2度映画館に足を運んでいた私も、コロナのことで映画館に行くのは昨冬のアナ雪2ぶりでした。

正直、今回の映画体験は去年の月面探査記、そしておととしの宝島大冒険よりもずいぶん乏しかったように思います。

大人になった証拠なんでしょうか?それもあるかもしれないけど、大人になっただけでは割り切れないこともあります。

「『泣ける』が映画の最大の褒め言葉になった」ということには巨匠・高畑勲監督も生前非常に警鐘を鳴らしていたことでした。

「ドラえもん のび太の新恐竜」の映画鑑賞後の体感は、私は「君の名は」「天気の子」と全く同じでした。

それを言葉にするならこうなります。

ラストに向かって泣くように作ってあるよね…?とドライブしていくよね?という感じに、そこはかとない映画産業の衰退というか、日本全体の芸術力の乏しさのような淋しい感じを覚えるようなやるせない気持ち。

「泣ければいいのか映画は?」とその時点で冷めてしまって、なんだかしっくりこんなぁと思ったのでした。

例えば昨冬公開された「アナと雪の女王2」って先住民や水のスピリチュアル性、世界を構成する4元素(火・水・風・地)など複雑さをはらみ、泣いても笑っても『なんか、考える』という人間の成長要素に欠かせない大事なきっかけをしっかり与えてくれるんですね。

子供って大人よりそういう感覚って鋭敏だから、単語自体知らずとも、なんとなくでも伝われってればいいと思うんです。

アナと雪の女王1はその点もっともっと緻密に作者の潜在能力を十分生かした作品に仕上がってると感じましたよ。

どうして私たちはそんなに泣きたいんだろう?と逆に考えた1日で、終わってからもモヤモヤ。

このことをもう少し掘り下げたいと思います。

なぜあなたは泣ける映画を期待するのか!?

「観る者を泣かせる」ということでしかヒットを飛ばせないという意図があるとしたら、そりゃ作者は泣かせにかかるでしょう。

どうして私達は映画に「泣く」をそんなに期待するのでしょうか?

1つには普段泣いていないから「映画を利用して泣ける」というのがあるでしょうね。

では、なぜ普段泣かないのでしょうか?日常に泣きがないんですよね。

子供は別として、いつの間にか「泣き」は葬式とか卒業式とかせいぜい失恋の人工的なドラマの中にしかないものになってしまって、実生活に「泣くほど打ってくる」という体験が失われてしまっている気がします。

現実生活では反対に、「泣かない」ということは褒め言葉です。

泣くという行為は、感情の沸点を超えると起きるものです(嬉しさ、悲しさ、淋しさ、感動でもなんでも)。

映画館に行くとその沸点を下げる許可が出せて、普段の生活では相当上げてるんだろうけどさ、それってちょっともったいなくないですか?

日常が感情を麻痺させているという意味で、ドラマ性がないという意味で、です。

そろそろ「すごい映画=泣ける」というものから帰ってこないと、作る方も楽しくないんじゃないかな…。

のび太が前面に出る単線的なあらすじをどう見る?

今作は50周年という節目のせいか、首尾一貫してのび太にフューチャーされる映画です。

2年前の、今作と同じ今井一暁×川村元気タッグの宝島大冒険は5人の仲間たちがそれぞれに活躍する群像劇として成立していて、この鑑賞後の質って今作とだいぶ違った記憶があります。

今回はあくまでのび太、もっと言うならキューの話。

先ほどの泣きの話に通じるのですが、今回の泣きポイントってすごくわかりやすくって、「ダメのび太」が、「もうちょっとマシな人生歩みたい」=「逆上がりができたい」という願望達成に向かって進んでいきます。

それがキューに投影されて「ダメ恐竜」が、「もうちょっとマシな恐竜生歩みたい」=「飛べるようになりたい」とむしろのび太と双子のようになるんですね。

そして1番ラストシーンでのび太も逆上がりを達成して終わるんです。

つまり、のび太が、キューと出会って、白亜紀を旅して、マシな人生になるというストーリーが基本的なあらすじ構造。

小説であれ映画であれ、それが大人向けであれ子供向けであれ、私たちはその主人公の願望達成におけるプロセスを見ながら意識変容を共に起こすのを「面白い」と思うわけですが、主人公の願望って結末で必ずしも達成されなくっていいんですよ。

むしろ主人公の願望が最後に達成されなくても(新恐竜なら逆上がりができなくても)、または想像だにしない形で達成されても(アナ雪とかそうですね)十分意識変容は追随して起こり得るわけで、逆にそうした作品のほうがいつまでも心にしんしんと積もる残雪のように読書や鑑賞体験として残るものだと個人的には思います。

のび太がキューとの経験を通じてもなお、ラスト逆上がりができなかったとしたら?それでもいいやとニコリと笑えたら?もしくは悔しがったら?それは人間の心の複雑さを真実に投影し、私達に「鑑賞後感」を丸投げされて日常に少し変化を与えるでしょうね。

解釈を預けられたようなもんですから、後は自分で考えるしかないんです。

むしろ、のび太のリアリティを追求してもそういうものじゃないでしょうか?弱者、ハンディにスポットライトが当たってそこに寄せて人物像を描くなら、「頑張ってできる」に価値を置くのではなく「できなくてもまあ笑って生きられたらいいよね」としたほうが、映画として単線的にならず面白さが広がるんじゃないかな?

もともとこの映画は2020年3月に公開予定だったわけですから、本来東京五輪と重なりそのあたりも「やればできる!」とガッツと向上心を考慮して創られたのかもしれません。

しかし実際そうはならない真逆のコロナ生活が始まったわけで、私たちはハンディがあろうがなかろうが、強いやつも弱いやつも、金持ちも貧乏も、緊急事態宣言下の特に4~5月は等しく家にいなければいけませんでした。

メディアでは報道されませんが、この間日本の自殺率は実に2割も減ったのです。

毎日毎日カウンセラーや精神科医が汗して1割も減らせなかった自殺率が、STAY HOMEになっただけで2割も減ったのです。

「できる」ということに価値を置きすぎる社会は、「できない」という働きをする人を追い詰めます。

しかし、全員等しく「根性出してまでできなくってもいい」となると、案外人間とは気軽に内なるパワーが出てきて「生きてみるか」って気になるわけですよ。

「頑張るのが楽しいならいいよね。だけど達成することも、そのために頑張ることも楽しめないなら、そこまでしてやらなくていいよ」と子供には言ってやりたいと鑑賞後思いました。

4.映画「ドラえもん のび太の新恐竜」をオススメしたい人

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画像出典:https://doraeiga.com/2020/trailer/

最後に「ドラえもん のび太の新恐竜」をオススメしたいのは以下のような方です。

映画館に入るとき、ミニ冊子で昔の連載漫画が1人1人にプレゼントされるという太っ腹ぶり!

やっぱり昔のドラえもんは示唆に富んでええのう~。

コロナ禍でも安全?!子連れ家族

ステイホームで遠出もできない、という子連れ家族にはバツグンにオススメです。

まず、映画館が空いてる…。

コロナの影響自体で上映が自体が少ないし(私が行ったTOHOはほとんどの部屋が新恐竜だった)、先ほども言いましたがソーシャルディスタンスのとられた座席予約制で3密どころかNO密。

ポップコーンさえ並ばずに買えるという前代未聞の空きっぷりで、エコノミーでもビジネスクラス気分が味わえるといったラグジュアリーさでした。

映画は2~3時間あればできる娯楽ですし、旅行など遠出ができない分ぜひマスク着用のうえ足を運んでみてくださいね。

根性と気合いで生きたくない人

ドラえもんのび太の新恐竜 画像
画像出典:https://doraeiga.com/2020/trailer/

人生気合いと根性で生きてきたことのない人、生きていきたくない人には、「たまにはこんな頑張りも必要だよな」と鼓舞してくれてオススメです。

つまり、どんなにのび太みたいな「ダメなやつ」でも「まっすぐな向上心が維持できる」というタイプの人。

JOKER(ジョーカー)みたいな「ダメなやつ」でなおかつ「まっすぐな向上心の維持が難しい」というタイプの弱者には疲れます(ま、それは私のパーソナリティに近いw)。

ちょっくら頑張ってみるか、と重い腰をあげたい人にはピタリとハートが合致すると思います。

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