こんつわ、エンタメブリッジライターしおりです。
今回は映画「ブラック・スワン」について紹介、主にフロイト心理学からの考察、感想を書いていこうと思います。
私がこの映画を知ったのは、公開間もない2011年の「王様のブランチ」だったと思います。
なにせこの映画のキャッチコピーは
1人の少女が悪役を演じているうちに、役にのめり込みすぎて狂気の世界に崩壊していくサイコホラー。
ビビリの私は、ホラーとかめちゃくちゃ苦手なため、チャンネルをかえた(もしくはその場を去った)記憶があります。
リングとか絶対無理ッスね。
なので、「ブラック・スワン」は記憶から消えたまま年月だけが去っていきました。
それから8年ほど経ちまして、Huluでふと目に留まった「ブラック・スワン」。
なぜかこの、白・黒の対比的な絵が非常に美しいと思い(たぶんシャネルの化粧品売り場に寄り道したせい)、観ることにしました。
なんだ、なんのことはない、これは「ホラー」ではありません。
いや、ホラーなのかもしれないけど、ていうかホラーだけど、私はむしろ、主人公は狂気どころかきわめて正気で、黒鳥を演じることでしか達成できなかった少女のサクセスストーリーだ!と感動したのですよ。
その成し遂げた達成とは「人格の統合」です。
・・・ちんぷんかんぷんでしょうか(笑)
逆に私は、主人公が「ブラック・スワン」を踊らずに、一見狂気と思える期間を経験しないまま過ごしていたほうが、人生は危険なものになっていたと思いましたね。
さてこれ以上言うとネタバレしますので、本文へうつりますが。
「ブラック・スワン」に秘められた神秘的な魅力、おそらく誰も語っていないであろう主人公の心の動きを、結末まで心理学の視点に重点を置いてたっぷり解説していきましょう。
とにかく私は、ただのホラー映画で終わってほしくないのです!!←必死w
目次
1.「ブラック・スワン」の作品紹介
監督: ダーレン・アロノフスキー(Darren Aronofsky)
出演者:ナタリー・ポートマン(Natalie Portman)、ヴァンサン・カッセル(Vincent Cassel)、ミラ・クニス(Mila Kunis)、ウィノナ・ライダー(Winona Ryder)
受賞歴:アカデミー賞にて、主演女優賞(ナタリー・ポートマン)。第67回ヴェネツィア国際映画祭にて、新人賞(ミラ・クニス)。
ゴールデングローブ賞では作品賞(ドラマ部門)、主演女優賞(ドラマ部門)、助演女優賞、監督賞にノミネート。
2.「ブラック・スワン」のあらすじ
画像出典:https://www.happyon.jp/
この映画は「ファースト・インプレッション」が大事です!
それは「1回観たら結末を知ってしまう」という理由もありますが、私としては
1回目観たとき、あなたがこの映画をどう感じたか?
ということが、観る人自身の無意識をあぶりだす心理テストのように感じましたね。
ということでまだ観ていない方は、1発勝負の覚悟で臨んでください(笑)
「ブラック・スワン」のあらすじ(ネタバレなし)
まず初めに、この映画には、名前を覚えていていただきたい3人のバレエダンサーがいます。
- ニナ(主人公)→ナタリー・ポートマン
- リリー(ライバル)→ミラ・クニス
- ベス(引退した元主役)→ウィノナ・ライダー
この3人の名前を覚えておけばストーリーが格段に追いやすくなりますので、まだ観ていない人はぜひ。
そして、この3人が所属するニューヨークのバレエ団の「白鳥の湖」公演が間近に迫ります。
振付師は、客が寄っつかなくなったバレエ公演を革新させるため、キャスティングを一新します。
この主役の座争いが、各ダンサーがしのぎを削る原因、ひいてはニナが幻覚を見る原因に繋がります。
ここでバレエ「白鳥の湖」について少し解説しますね(知らなくても映画の中でちょいちょい解説してくれるのでご安心を!)。
「白鳥の湖」は、悪魔の魔法によって白鳥の姿に変えられてしまった娘と王子が愛で結ばれる物語で、「くるみ割り人形」「眠れる森の美女」と並んでバレエ3大名作の1つ。
物語の途中で、悪魔の手先である黒鳥が現れ、王子を誘惑します。
黒鳥=エロス、誘惑、狡猾、インチキ、悪、堕落、不正・・・といったあらゆる罪深さの象徴です。←ここポイント!
この白鳥と黒鳥を1人のダンサーが演じることは別段珍しいことではないようで、現在はほとんどのバレエ団が1人2役を採用しているそうですよ。
結末は、困難を乗り越え王子と白鳥が結ばれるハッピーエンドが王道だそうですが、現在はバレエ団によって様々な脚本を採用しているそうです。
この映画では
- 白鳥は1度王子と結ばれるが、王子が黒鳥に誘惑されて黒鳥を愛してしまう。
- 絶望した白鳥は自殺して、苦悩から解放される道を選ぶ。
という悲劇を採用しています。
この悲劇を採用していることもまた、映画「ブラック・スワン」と「幻覚」を引き立てる大きな要素!
主人公は、母子家庭で育ち、元バレリーナの母の期待を背負って、いつもいつも「完璧」な演技を目指してバレエに打ち込むニナ。
ニナは暗い性格で、いつも何かにおびえたようなビクビクした顔をして生きてます。
「あーた、ホントにバレエが好きなのか?」と心の中で私は何度も尋ねましたね…。
そして、黒鳥とは縁もゆかりもなさそうなニナを、振付師は白鳥&黒鳥の1人2役の主役に大抜擢します。
そこから始まるのです。あのおぞましい幻覚たちが・・・
(↑ホラーっぽい!?)
「ブラック・スワン」のあらすじ(ネタバレあり)
画像出典:https://www.happyon.jp/
まず、現実との整合性があるのは最初の30分くらいです。
あとは現実と幻覚の切り替えパッパッパッとものすごいスピードで繰り広げられ、観ているこちらも
「今のは幻覚?現実?どっち!」
とハラハラしながら追っかけていくのがスリリングで面白いところです。
さて、1人2役の主役に大抜擢されたニナ。しかし、
「お前には性的な魅力が足らん!黒鳥の踊りがなってねぇ!」
と実際に言われたわけではないけど、「不感症の踊り」と言われるくらいには振付師にビシバシやられます。
なにせ「完璧」がポリシーのニナですから、黒鳥も振り付けは完璧なんです。
でも、黒鳥に必要なのは振り付けを超えた「裡(うち)から湧き出る表現力」。
フィギュアスケートに例えると、ニナは技術点はあるのですが、「身のこなしや感性、知性、音楽にマッチした調和のある動き」などが評価される構成点がどえらい低いわけです。
あの、浅田真央選手や羽生結弦選手がバンバン点数稼いでいるやつですね。
バレエもセリフのない演劇ですから、そういう非言語的な表現力が超重要なわけですよ!
そんなとき、天性で小悪魔的セクシーさを持つ、リリーという新人ダンサーが入団してきて、ニナは脅かされます。
でも正直、ナタリー・ポートマンの整いすぎた無個性的な美人顔と比べ、リリー(ミラ・クニス)の黒い大きな目ヂカラは、突き刺すような妖しさがあり独特に美しい・・・ハァ。
また、振付師はキャスティング一新のとき、これまで主役を演じていたベスを引退させたのですが、ベスは「私から役を奪った」とニナを恨みます。
ということで、ニナは主役が決まって以来、以下4つのことに悩みます。
- 元バレリーナの母からの支配。
- 主役を演じるプレッシャー。
- ライバルリリーに主役を取られる不安。
- 役を奪われたベスからの怨恨。
そして、幻覚や強迫観念(爪が気になってはがすなど)など病的な体験が始まります。
・・・でもですね。
私は、ニナが幻覚を見始めたのは、これらの「ネガティブなプレッシャーからではない」と思うんですよね。
このことは後でしつこいほど解説します。
そして、必死で黒鳥らしさを取り入れようとして、オナニーやリリーとドラッグなど、ちょこっとずつワルな行為を試してみるニナ。
これらは新しい自分を発見・理解するポジティブな側面がある反面、コインの表裏のように直後に必ず破滅的な幻覚に襲われます。
公演の前日には、ついに自分の体内から悪のシンボル黒鳥の黒い羽根が出てきます。
トゲか?!
と一瞬と思いましたが、皮膚もCGで黒鳥のようになっていきます。
公演当日は幻覚もクライマックスで、ステージと控室でパッパッパッパッと激しい現実と幻覚が入り乱れます。
ホラー1年生の私には「おいおいどこまでが幻覚だ!?」の連続ですわ…。
ここから先は、観る人は「謎」として残したままでもいいですし、それぞれ意味を考えるのもいいかもですね。
ここでは事実のみを書きますが、よく意味がわからないと思いますので、見どころ4番目の私の解釈をじっくり読んでいただければと思います。
ニナはリリーが王子役とイチャイチャしているところを見て動揺し、王子役に「Fuck!」と言わしめるほどの大失敗をします。
控室に戻ると、黒鳥の着替えをしたリリーがいて「アンタで踊れるの?」と挑発。
そのうちリリーはニナの顔になり、白鳥は黒鳥を刺し殺します(これもすべて幻覚)。
すったもんだの末、黒鳥を見事に踊り切ったニナは、振付師に自分からキスをして「成長したな!」みたいな賞賛を得ました。
しかし、さっき黒鳥に刺したはずの破片が、なぜかリアルに自分(白鳥)に刺さっています。
すべての演目が終わると、すでに腹部が血まみれになっており、周囲が大慌てになる中ニナは
完璧だった・・・
と1人恍惚とした表情を浮かべて終わります。
この最後に放った「完璧」という言葉の真意もガンガン考察していきますよー!
3.「ブラック・スワン」の見どころ
画像出典:https://www.happyon.jp/
今回、見どころで何をピックアップするかかなり迷いましたね~。
心理学、超常現象、ドッペルゲンガー(自己幻視)、脳科学、親子や周囲との関係・社会性・・・
「ブラック・スワン」は切り込んでいきたい要素が本当にたくさんあって、ドラフトだとゆうに2万字は超えそうでした(笑)
そんなに書くわけにもいきませんので、今回は「幻覚」と「人格統合」に焦点を絞って、私なりの視点で考察していきます。
心理学用語を多用しますが、それは私が大学時代にとっていた心理学の講義と、「虐待児童の支援アドバイザー」の資格を取得した時に学んだ知識を総動員しております。
精神科医ほどの知識はありませんが、ちょこっと心理学をかじった者として、考察についてはあくまで私の主観ということをふまえてお読みいただけたら嬉しいです。
そもそも「幻覚=悪いもの」か?
突然ですが、皆さんは幻覚を見たことがありますか?
私は霊感もヤマ勘もございませんが、言われてみれば1つある気がします。
中学生の時、授業中にひどい片頭痛が起きて、授業中に視界のある1点が白い光となり、数学の先生の顔が見えなくなったんです。
その白い光は2時間ほど続きましたが、頭痛が治れば消えました。
もう1つ思い出すのは、80歳を超えた叔母が寝たきり生活になったときのことですが、
仏さまが見えるー!
とドアのほうを向いてよく言ってたな~と思い出します。
「もうすぐお迎えか!?」なんて不謹慎なことを思っていたものですが(恥
そもそも、幻覚ってどこからどこまでのことを言うのでしょう?
一般的に「幻覚=怖い、見えたら病気」なんてイメージがありますけど、片頭痛が原因で私が見た光、叔母の認知症?死の予兆?として見た仏さまは、むしろ「自然現象」として受け流されました。
霊感がある人、ドラッグ経験者もそうだと思いますが、幻覚って意外と身近にあるんですよね。
人は、世界を目で見ているのではなく、脳で見ています。
脳科学のデータでは、全盲の人も動物や光景のような複雑な幻覚を、特に高齢者は約15%の割合で見るそうです。
また、古代から宗教儀礼や精神生活を支えてきたシャーマンや霊媒師、預言者の存在は、幻覚なしには語れません。
あのマザー・テレサも、まだ修道院の中で働いていたとき、汽車に乗る移動中に
全てを捨て、最も貧しい人の間で働くように。
と神の啓示を聞き、修道院を出てカルカッタの「死を待つ人の家」の活動を始めました。
彼らの幻覚や幻聴が「異常」とされることはありません。
というかむしろ、「すげー、やっぱ凡人とは違うな!」くらいに尊敬や畏敬の眼差しを送ってしまいませんか?
私にも神の啓示降りてこないかな~と思いますけど、今のとこ何の音沙汰もありません(涙
19世紀になり、幻覚(hallucination)とは「外的現実がまったくないのに生まれる知覚」と定義されました(それまではただ「亡霊」と呼ばれていたそうです)。
「ブラック・スワン」の二ナの幻覚がシャーマンたちと決定的に違うのは、明らかに心因性だということです。
シャーマンたちは、儀式の中だけに幻覚を誘発するある程度のコントロールも可能です。
しかし、ニナの場合はまさに幻覚が「予測不能に襲いかかる」ので、喜ばしいどころか、おどろおどろしい恐怖でしかありません。
では、ニナという人物が自己を破壊するほどの幻覚を見たのはなぜなのでしょうか?
その前に、まず主役に抜擢される前のニナの心がどういう状態だったのか、心理学的見地で可視化するところから始めていきましょう!
二ナの心の中を可視化してみよう!
画像出典:https://www.happyon.jp/
私のニナのファーストインプレッションとは、ズバリ「去勢された女」でした。
成人女性なら多かれ少なかれ持っているであろう「エロス」ってものがびっくりするほどないんですよね。
自宅の部屋もピンクの壁に大量のぬいぐるみがちょこんとお座りしていて、小1か小2の童女のような部屋・・・めっちゃ違和感。
私は一体全体二ナの精神構造がどうなっているのか?図解してみたくなりました。
ここでは精神分析創業者フロイトの提唱した、「自我/超自我/イド」という3つ言葉を使って説明します。
二ナの心を見る前に、まず健全に機能している人のパターンを見てみましょう。
【人間の心の3つの精神機能】
このように人の心には、「自我」「超自我」「イド(エス)」の3つの機能があると考えられています。
それぞれに役割があり、簡単に説明すると
- イド→人間が本能的に持つ欲求、衝動的な欲求
例)「腹減った、シュークリーム食いたい」「ムカつく上司をぶっ殺してやりたい」 - 超自我→社会的規範やモラル、親のしつけ
例)「会社が9時定時だから起きなければいけない」「セックスは結婚まで待つべきだ」 - 自我→現実との窓口、対立関係にあるイドと超自我が暴走しないように統制
例)「シュークリーム食いたいけど、節約したいから今日はやめよう」「眠くて寝てたいけど、定時は9時だから起きるとするか」
主役に抜擢される前のニナの心は、察するにこんな感じです。
【二ナの心の中(幻覚前)】
まず、肥大化している「超自我」はやたら娘の人生を支配したがる母。
それに圧迫されているイドは縮こまっています。
この時点で、ニナはすでに背中ににひっかき傷を作る自傷行為をしているので「自分らしいありのままの姿」で生きてはいません。
ただ、ニナがイドが縮こませたままにしているのは、ニナ自身の選択でもあると思うんですよ。
私が思うに、彼女はこの状態が心地いいんです。
なぜなら、イドが縮こまっている限り、白鳥のような清廉潔白な生き方ができて、少なくとも母からの存在の承認と価値を与えられていたからです。
このように「病気が何かの役に立っていること」を専門用語で「疾病利得(しっぺいりとく)」と言うのですが、心因性の疾患から抜け出せない人が、ニナのような「病気の状態で得られるメリット」を手放せられない気持ちが働くことは、珍しいことではありません。
しかし、ニナは窮地に陥ります。なぜなら、主役に抜擢されたからです。
「母という超自我」に圧迫されている限り、彼女の望む完璧な踊り――本能的なイドが全面に出る黒鳥を踊ることはできません。
1人2役に抜擢されたことは、彼女の人生の大転換期だったことでしょう。
白鳥と黒鳥を演じることは、ニナが「イド」と「超自我」をバランシングするいい訓練だったと思いますね!
では次の項、なぜ主役に抜擢された後、彼女があれほどまでに活発な幻覚を見るようになったのか考えていきましょう!
幻覚を自ら必要とするワケ
画像出典:https://www.imdb.com/
ニナは大人になるためのプロセスを、非常に個性的な方法で乗り越えたのだと思います。
大多数の人は、思春期~青年期でじっくりと時間をかけて緻密に行う作業ですよね。
しかし、ニナの場合は違っていて、主役抜擢から公演までの非常に短いスパンでやり遂げねばなりませんでした(ちなみにニナは最後まで年齢不詳で、なんとなく観ていると20代後半~30歳ぐらいの設定かと思います)。
その間リリーや振付師に煽られてやった黒鳥的行為は、
- オナニー
- 振付師への恋、疑似セックス
- リリーとのクラブ体験
- リリーとのレズプレイ
- 酒、ドラッグ
これらをベビー・ステップのように1つ1つ体験すると、ニナは自分の中にある女性性、官能、エクスタシー、母の知らない世界でハメを外すことの心地よさを知っていきます。
これらはアイデンティティ形成に欠かせない「自己理解の作業」ですが、反面その直後に決まって破壊的な幻覚が始まります。
オナニーをしたときには、隣に母親が座っている幻覚まで見ました…最悪ですね。
幻覚を見始めてからの二ナの心は、察するにこのように変化したのではないかと思います。
【二ナの心の中(幻覚後)】
なぜニナは黒鳥の世界を垣間見るたび、あれほどの幻覚を見るようになったのでしょうか?
フロイトの言葉を引用します。
・If his lips are silent, he chatters with his fingertips.
(口をかたく閉じれば、今度は指先がしゃべり出す。)
「指先=幻覚」と考えればわかりやすいでしょうか?
これは、どんなに感情や欲求を制御しようとしても、それが消えるということはなく、体のどこかが主張するという意味です。
例えば私の友人に、高校卒業後の進路を決めるとき、自分はデザインの学校に行きたかったのだけど親に就職の道を勧められ、「顔面麻痺」になり、水も食べ物も口のはしっこからどぅわーーーって出てくるようになったとかなんとか面白おかしく話してくれた人がいます(笑)←笑えない!
どうしてもデザインの道に進みたい(でもお金も絡む話だしこれ以上強く言えない)!・・・彼はその気持ちを顔面麻痺によって抑え込み、親に対して沈黙を守り続けることができたんですね。
私は、ニナが幻覚を見る理由とは「黒鳥になりたい気持ち(イド)が出てこないように、元へ元へと押し込めようとする激しいエネルギーと、その表面化」と解釈しています。
幻覚がなかったらすんなり黒鳥になれてしまうわけですよ。
でもそれはニナの無意識内で「ダメだ!」と設定されているので、幻覚がニナの黒鳥性が出てこないよう一生懸命ストッパーとして働き、一役買っているわけです。
つまり、ニナの中には「黒鳥になってはいけない何らかの理由」があるということです。
それはおそらく「新しい自分=母と違う自分」になることの恐怖でしょうね・・・。
新しい自分になれば、「これまで生きてきた価値観、白鳥のままの安全な生活」を手放さなければなりません。
そうなると当然母の承認はなくなるでしょうし、自分自身が無価値になってしまう恐れもあるわけで(実際にはそんなことないんですけどニナは知りません)、それ以前にまずその世界は「未知」です。
とはいえ、本気で黒鳥になりたくなかったらストッパーの幻覚が出てくる必要もないわけで、本心ではニナは黒鳥になりたくてしかたないんです。
だからいつもリリーを目で追っているし、嫉妬もするし、向こうはライバルとも思ってないのに勝手にライバル視しているわけです。
ニナはただただ自分の黒鳥気質・黒鳥願望を見ないようにしているだけなのです。
でも、見ないようにしてもあるものはあります。
だから黒鳥として生きていきたい願望は幻覚に置き換えられ、幻覚が代弁して主張しているんですね。
先に結論を言いますが、最終的にニナはこの黒鳥気質を見事に内在化させ、折り合いをつけて人格統合することに成功します。
ではニナは、どんなプロセスをたどって自分の黒鳥性を見つめ、取り入れ、対極にある白鳥性と調和させたのか!?
映画のクライマックスと紐づけながら次の項で分析していきましょう!
最終プロセス「黒鳥を内在化させた人格の統合」
画像出典:https://www.happyon.jp/
主役に抜擢されてからというもの、二ナに課された課題とは、詰まるところこうでした。
「自分にある黒鳥の存在を認め、それをどう『既にある白鳥性』と調和させるか?」
もう役柄を超えて人生の課題ですね。
これ、ニナにとっては遅かれ早かれ人生いつかは乗り越えなければいけない課題で、だからこそ私は「1人2役の主役に抜擢されなかった方が、この問題をどんどん先延ばしにしてしまう意味で危険だった」と思ったわけです。
映画の後半は、まさにその激しい葛藤のさなかにいるので、
「自分の黒鳥性を見つけて楽しむ」
↓
「幻覚を引き起こして押し戻す」
を自浄作用のように繰り返し繰り返し起こします。
最後のほうは幻覚がバンバン出てくるのですが、それは彼女の内なる葛藤の表れで、
自分の黒鳥気質を出して、調和のとれた1個体としての人格統合を成し遂げたい!
そんな願望がどんどん強烈になっている証拠ですから、私は思わず
「がんばれー!!」
って何度もエールを送っていましたね(笑)
公演初日も、ニナは幻覚のひどさのあまり母に強制的に休まされていたのですが、
私はもう12才じゃない!
ママは群舞の1人だった!私は主役よ!
と荒々しい言葉を母親に投げつけ、凛として公演へ向かいます。
しかしまだ幻覚は終わらず、公演中にニナの顔をした2人の白鳥と黒鳥が、文字通り直接対決で殺し合います。
このバトルは、ニナ自身が白鳥気質と黒鳥気質を和解・融合させバランスをとる最終課題に挑んだのだと解釈しましたね。
黒鳥:「My Turn!(私の番よ!)」
白鳥:「My Turn!(私の番よ!)」
と両者一歩も引きませんでしたが、結局白鳥がガラスで黒鳥を突き刺して殺しました。
我に返った白鳥ニナは、死んだ黒鳥を見て激しく後悔・・・。
きっと、生まれながらに白鳥の性質だった・・・
・・・と思っていた自分にも、罪深い黒鳥の性質や衝動が内在していたことに気づき、そのことに衝撃を受けながらも、ようやく見て認めることができたのだと思います。
この後ニナはトランスしたかのように悪魔の形相になり、黒鳥の演目を見事に演じます。
しかしその後おかしなことが起こり、さっき黒鳥に刺したはずのガラスが、なぜか白鳥(自分)のお腹に刺さっているんですよね。
うーん、これはどういう意味だ・・・?と色々と思いめぐらしました。
そのあとクライマックスに向かって泣きながら踊る白鳥ニナを見ると、ニナはこんな気持ちなんじゃないかな?ということが頭をよぎりました。
黒鳥を殺してきてごめんなさい・・・それは自分を殺すことと同じだった・・・
これまで自分の中にあった「罪深い黒鳥的性質」を殺して生きてきたことは、白鳥、いや、もはや自分自身を殺すことと同義だった…ということに気づいたのでしょう。
だから結局白鳥も、同等に罪深いんです。
血に染まりながら涙して踊る姿は、まるで二ナのこれまでの人生の総精算で、黒鳥をという半身を切り殺して生きてきた懺悔と後悔のようです。
「あたしは、罰を受けて当然だ」、と。
この時点では、もはやそこまで高度な感情を感じているように思えましたね~。
なぜなら思考の主体がママ中心から、すでに自分中心に移っているからです。
階段を駆け上り、客席の母親の顔がアップに映る。――その後、マットに飛び降りるスローモーションの投身自殺シーンはまるで、死から再生へ移り行く儀式のよう・・・
ここで私は、白鳥・黒鳥の2つのパーソナリティーがようやく紡ぎ合い、ついにパーフェクトに和解・融合することを成し遂げたのだ!と思い、心の中で「あっぱれ!」と拍手喝采するとともに、これまでのニナの痛々しいまでのがんばりに思わず涙が出ました。
それがラストのセリフ、
I feel it…Perfect…(感じたわ…「完璧」を…)
の真意でしょう!そこにもはや「去勢された女」の姿はありませんでした。
彼女は見事、大人になるための通過儀礼を突破したのです。
「ブラック・スワン」は、人格破滅どころか「人格統合の話だった」というのが、少しでもお分かりいただけたでしょうか?!
4.「ブラック・スワン」をオススメしたい人
画像出典:https://www.happyon.jp/
しかしまあ、「ブラック・スワン」を観ていると、大人になることはこうも痛みが伴うものか?って思いますね。
私の思春期だって確かにグチャグチャしてたし、1人の人間が自立するには、子も親もエネルギーのいることなのでしょう。
ちなみにこの映画、子供には100%見せないほうがいいです。
「クラシックバレエをやると気が変になってカラスになる」ぐらいの変なトラウマまで与えかねません(笑)!
ということで次のような方にオススメです。
心理学、人間の脳に興味がある人
心理学や、脳科学に興味がある人にはオススメです。
まず、ニナを1人の臨床患者として見立てれば、多くの学びがあると思います。
病名だって、強迫性障害とか解離性人格障害とかいくらでもつけることができます。
また、臨床を超えて「ドッペルゲンガー(自分の分身が見える現象)」といった人間の脳が作り出す不可思議な超常現象の学びにもなると思いますね。
私は勝手ながら、ニナの幻覚は
「大人になるために必要な痛みであり、健全だった」
と解釈していますが、皆さんはどう解釈するでしょうか?
心がギチギチと窮屈な人
画像出典:https://www.imdb.com/
心が窮屈な人にはオススメです。
なぜかというと、「ブラック・スワン」は現実に知覚できないものにフォーカスするからです。
だいたい人が疲れているときって人間関係のしがらみにアップアップなときですよ…。
私も会社勤めをしていた頃は、上司、同僚、後輩、お局、いろ~んな人間関係に疲れていて、しょちゅう愚痴ってたな~と思います(笑)
目に見えない世界に意識を向けると、心の可動域が広がる感じがするんですよね。
今ここにあることがすべてじゃないって。
漫画家の楳図かずおさんは、このように言っています。
その人の内面こそが、その人の現実である。
「ブラック・スワン」は二ナの内面ですけど、だからこそすごく非現実で怖いこともあるかもしれませんが、
「もう人間、なんでもありでええわい!」
くらいには思えてきますね。
日常生活の基準が、人間ベースになるとクタクタになりますから。
ときどき私たちは人の念から解き放たれ、「知覚できない世界」に思いを馳せることも有効なのかもしれません。
徹底的に1人になりたいとき
1人になりたいときってありますよね。
ちなみに私は育児中なので、産後以来「どうやって1人の時間を作るか?」というのが常にくっついてまわる課題です。
1人になって何かをする時、「ブラック・スワン」を観るのはオススメです。
なぜなら、「ブラック・スワン」はニナの目を通して自分を静観することだからです。
動的な瞑想とでも言いましょうか?
この映画って、ホントに100人いれば100通りに見方が違ってくると思うんですよ。
レビューを見てても、ある人は「怖い」、ある人は「ナタリーに心打たれる」、ある人は「バレエの魅力がない」、ある人は「ドッペルゲンガーだ!」、ある人は「少女が1人前の演技ができた」などと本当に感じ方が色々なんですね。
「感動して泣いた」とかそういう一辺倒な感想で終わる映画ではありません。
映画の中では、黒鳥が、白鳥ニナを映す鏡でした。
しかし、皆さんにとってはこの映画自体が鏡です。
自分はどんな人間なのか?という、人が生きている限りぶつかる永遠の命題を突きつけてきます。
「ブラック・スワン」はずばり自己を投影する映画です。
はじめまして、今日はいめてブラックスワンをみて「この映画は何を伝えたかったのか」とモヤモヤしていたところこちらにたどり着きました。
「大人になるために必要な痛みであり、健全だった」という解釈で色々納得できました。もう一度こちらの解釈をもとにみてみたいとおもいます。子供にみせると、「クラシックバレエをやると気が変になってカラスになるというトラウマが生まれる」という解釈もおもしろかったです、ほんとにそうだとおもいました(笑)
[…] 以前「ブラック・スワン」(ナタリー・ポートマン主演)のレビューで、ナタリー演じるニナの心の中をフロイトの提唱した「超自我/自我/イド」によって解説しました。 […]