心に残る至極の戦争映画!アメリカンスナイパーのあらすじ・見所

1.アメリカンスナイパーの作品紹介

監督 クリントイーストウッド
出演者 ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー、カイル・ガルナー、ルーク・グライムス、マックス・チャールズ、ジェイク・マクド―マン、エリック・クローズ、サム・ジェーガーなど
受賞歴 第62回ゴールデン・リール賞・映画音響部門、第87回アカデミー賞・音響編集賞
脚本 ジェイソン・ホール
公開年数 2015年2月21日
ジャンル 戦争ドキュメンタリー

2.アメリカンスナイパーのあらすじ


(画像出典:http://nakagaw.hateblo.jp/entry/2015/03/31/204612)

この章では、アメリカンスナイパーのあらすじについて解説していきます。

アメリカンスナイパーのあらすじ(ネタバレなし)


イラク戦争に出征した、アメリカ海軍特殊部隊ネイビーシールズの隊員クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)。

スナイパーである彼は、「誰一人残さない」というネイビーシールズのモットーに従うようにして仲間たちを徹底的に援護する。

人並み外れた狙撃の精度からレジェンドと称されるが、その一方で反乱軍に賞金を懸けられてしまう。

故郷に残した家族を思いながら、スコープをのぞき、引き金を引き、敵の命を奪っていくクリス。

4回にわたってイラクに送られた彼は、心に深い傷を負ってしまう。
(出典元:https://ja.wikipedia.org/)

アメリカンスナイパーのあらすじ(ネタバレあり)

テキサスの田舎町で生まれ育った主人公のクリス・カイルは、アメリカの典型的な好青年であることを自認していました。

この国を愛し、家族を愛し、そして友人を愛することによって今の自分には何も足りないものがない恵まれた人生を送っていることを誰よりも満足に感じていました。

アメリカの伝統を重んじる中西部の厳格な父親に育てられたカイルは、ロデオを楽しみ、テキサスの雄大な大自然の中で狩猟を通して命の大切さというものを体現していきます。

何か漠然とした不満足な達成感を抱えていたカイルは、その心の穴を埋めるために海軍への志願を果たします

30歳という年齢にもかかわらず、見事、米軍における精鋭中の精鋭部隊であるシールズに派遣されることが決定したカイルは、その特殊な狙撃技術に磨きをかけるべく訓練に没頭します。


(画像出典:https://tanshin201205.at.webry.info/201503/article_1.html)

私生活においてもタヤという恋人と共に仲睦まじく暮らしますが、ある日、アメリカ同時多発テロという未曾有のテロ事件が勃発します。

その日は、カイルとタヤの結婚式が行われている日でした。

アメリカのただならぬ先行きに不安を感じる中、遂にカイルの身にもテロ行為の本拠地と見られているイラクに向けて派遣の要請が下ります。

自らの使命感に燃え任務を着実に遂行するカイルの業務遂行能力は、やがて神がかりの成果となって激賞されるようになります。

幼いころの訓練と自分を育んだアイデンティティの延長が、このような才能として現れることに戸惑いを見せるカイルでありましたが、敵を殲滅することだけが国を救う唯一の方法だと達観し、スナイパーとしての任務を果たしていきます。

敵の本丸であるアルカイーダとの攻防は熾烈を極め、なかなか思うような成果に繋がらないこともありましたが、抜群の狙撃手として名を馳せているカイルは相手狙撃兵との息も詰まる心理戦を制しながら徐々に相手を追い込んでいきます。

ムスタファと名のるその男は、元オリンピックの選手で長距離を得意としているまさにエース級のスナイパーでした。

ムスタファとの死闘が繰り返される中、カイルの周辺にも次々に不幸が押し寄せます。

親友ビグルスの負傷を皮切りに、同僚のマーク・リー、そして弟のコルトンまでもが戦火による重傷を負ってしまいます。

自分が活躍するそばで次々と仲間が戦争の犠牲者と化していく現状に苛まれたカイルは、確かであった心の支えを徐々に失っていきます。

戦地を行き来する待遇にシフトしたカイルは、敵を殺していく所作と平穏な日常との乖離から心のバランスを保てない状態に陥ってしまいます。

やがてタヤとのコミュニケーションに支障をきたすようになり、益々カイルの不安は高まりを見せていきます。

4度目の派兵を命じられたカイルは、敵のエーススナイパーを追い込むところまで進軍します。

ぎりぎりの攻防を制したカイルは、終にムスタファの息の根を止めることに成功しました。

真の安定と心の安らぎを求めて帰国したカイルに待っていたのは、言われない仕打ちばかりでした。

殺人機械として過ごした期間は、カイルに普通の人間としての趣を剝奪する所業を負わせたのです。

それでも少しづつ現実の世界に引き戻されつつあったカイルでしたが、突然の悲劇がその身に襲い掛かります。

退役軍人の社会復帰プログラムの途中で不幸な死を遂げてしまうのです。

3.アメリカンスナイパーの見どころ&総評

戦争映画に見る感動の名場面は、普段私たちが知り得ないような一般生活を離れたところに潜む、命そのものをぶつけ合う攻防が一番の核であると感じます

この映画は、2013年に一旦スティーブン・スピルバーグがメガホンをとるとの発表がなされましたが、なぜかその後、重鎮俳優兼監督であるクリント・イーストウッドに制作変更が発表されています。

スピルバーグ監督と言えば、しばらく前に撮った『プライベート・ライアン』という戦争映画がありましたが、この映画を撮ることでダブルネームと批評されるのを嫌った可能性も考えられそうです。


(画像出典:https://slate.com/culture/2016/09/the-best-movies-coming-to-netflix-hbo-amazon-and-hulu-in-september.html)

戦争映画の醍醐味は、非日常がどのように現代の嗜好と重なっていくのかを量る大きな指標と考えられます。

戦争を絶対悪と捉えて外に追い出すやり方は、物事を刹那的に進ませる改悪論と断じられても仕方ありません。

この映画の凄まじいところは、実際の人物、それも世の中を震撼させた同時多発テロ事件での関連死と定義される一つの物語を描いている点にあります。

クリス・カイルという実在のスナイパーを取り上げることで、イラクで起こっていた戦争という名を借りた殺人が、任務という名目に変えられて横行した紛れもない事実を私たち視聴者も体現することが出来るという見逃せない事実があります。

この劇中で登場する数々のシーンは、殺すことをミッションとする米兵の心の葛藤を善悪の判断を超えたところに据え置かせる、国家正義という名の偽善を消化しきれない人間力の編纂を見る思いがします。

子供と母親であろう女性が懐に何かを隠し持って現れるシーンは、一瞬の判断が取り返しのつかない出来事に直結する現場の戦士たちの緊張感がビリビリと伝わってくるシーンになっています。

『160人以上を一人で倒した凄腕スナイパー』という史実は、映画の謳い文句としてコピー化されていますが、一人でも二人でも、殺めた命に重みの違いはありません。

この映画のレビューを見ていくと、善悪をはっきりと標榜しない点を評価としてあげるコメントが数多く寄せられていますが、プロパガンダを意識しないリベラルなイーストウッド監督だからこその演出と言えそうです。

戦争が齎すことの意味を伝えることがこの映画を作った一番のモチベーションとなっていることを述べていたイーストウッド監督は、『硫黄島プロジェクト』などで見せた戦争で人間が無残にも壊れゆく姿を日米双方の視点から赤裸々に描き出している優れた監督さんの一人だと感じます。

勝った負けたという視点ではなく、人が争うことで起こる事象そのものにフォーカスすることで、人間の膿という存在に気づくことができます。

喜怒哀楽に伴う憎しみや苦しみは、人間が避け得ることのできない営みの一つであることをこの映画の底辺に添わせることで、避けようもない事実に直面したときにどのように振る舞うことが正解であるのかを未来に生きる人達に向かって問いただしているような感覚さえ覚えます。

主者であるブラッドリー・クーパーは、この役柄に入り込むために体重を大幅に増量し撮影にのぞみました。


(画像出典:http://iam-publicidad.org)

実在のクリス・カイルへとなりきるための措置であったことは言うまでもありませんが、クーパー自身の妥協を許さないプロフェッショナルな一面は、アメリカという国がおおよそエンターテイメントにおいても戦争が齎す責任の一端を果たしゆくことを宣言する強力なメッセージにもなっています

見どころを更に挙げていくと、先にあげた母親と子供と思われる親子が路上に進出して米軍の戦車目掛けて走り寄るシーンは、カイルの極限まで集中したサーチ能力によって爆弾を懐から出した瞬間を捉え、狙撃することに成功しました。

しかし、別のシーンでは道路から出てきた大人の兵士がロケット・ランチャーを携えて米軍に打ち込む直前で射殺してしまったことで、その死体に興味を持ち走り寄ってきてしまった子供がそのロケット・ランチャーを構え直して米軍に向け始めます。

全く予期せぬ事態に遭遇したカイルは、年端もいかない子供を打つべきか、それとも打たないでおくかの究極的な選択を迫られることになりますが、ほんの寸でのところでその子供がロケット・ランチャーを放り投げて打つのを止めてしまい、打たなくて済んだことに胸をなでおろします。

その場面に遭遇したカイルの心情は、幼い子供を殺すことの本能的拒絶感に苛まれる生々しい苦悩がシーンの瞬間瞬間の表情から読み取ることができます。

自らも幼い子供を持つ親となっている身上であっても作戦の命令に背く行為は何としても避けなければならないことです。

こういったシーンは劇中に幾つか登場しますが、その場における動物的な勘や経験が唯の民間人であるかそれともなりすましのゲリラであるのかを判断する材料になっていきます。

ある有名な映画監督が、これが適切なコメントだ(こんな遠くから敵を打ち抜くような卑怯なやり方は臆病者のやることだ)と言って物議を醸しだしたことがありましたが、人を一人でも多く殺すのが英雄だとする風潮に一石を投じる自由主義国家ならではの騒動であるような気がします。

戦争における任務遂行は、公の殺人であれ何であれ人を殺めるという行為には変わりがありません。

クリス・カイルの精神は、この作戦そのものよりも、寧ろそれらを自分の範疇で解釈する心のぶつかり合いにどう折り合いをつけるかにかかってきていました。

理屈では消化しきれない心の葛藤は、その後に彼ら(戦争傷病人と呼ばれる人々)を苦しめるPTSDとなって社会問題化していきます。

戦争によって被る悲劇は過去、現在、未来に渡って人々を苦しめていくのです。

共演したカイルの奥さん役であるタヤを演じたシエナ・ミラーは、この映画は完全な家族映画ですというような趣旨の発言をしていました。

派手なドンパチだけが戦争映画としてのレッテルとして定義されることを安易に求めるべきではないことを戒めているような発言にも聞こえますが、愛する家族という観点からも守るべき絶対的な存在を抱えていたカイルの苦悩を測るべきとの発言だと感じます。

いつのどの時代でも、戦争という魔物に巻き込まれ辛酸をなめ尽くすのは弱い子供や女性であるという事実から目をそらすべきではないことをこの映画は教えてくれています。


(画像出典:https://blogs.yahoo.co.jp/takezou_miyamoto_niten/37314450.html)

原作であるネタ元の回顧録『ネイビーシールズ最強の狙撃手』からでは家族の存在がありませんでしたが、本作に至っては家族と子供の存在をしっかりと含ませ映画の中に家族性をハッキリと浸透させる展開としています。

愛する者をリアルに想像させるドラマチックな物語である方が、命の逡巡という場面をより具体的に想起させることに繋がると感じた監督の強い要望でした。

この映画全体を通して総評するコメントの中に、戦争に対して反対であるかそうでないのかの基準が乏しく、何を言いたいのかが解らないといった論説も散見されています。

繰り返しになりますが、戦争自体を良い悪いの判断だけでは推し量ることができないことはここまで人類が歩んできた歴史を振り返れば理解ができそうです。

数々の戦争を経験してきたイーストウッド監督であれば、移ろいゆく人間の魂と永遠に付き合うことを覚悟する力が人間に備わっていることを充分に理解したからこそ、この回顧録的なドキュメンタリー映画を自らの思想を載せて公開した本意を感じることができます。

ラストシーンで星条旗を持って道路中に溢れる人たちの波は、愛国心のために身を捧げた英雄を愛おしむ感動のシーンになっています。

結果的にこの映画は、戦争映画史上最高の観客動員数を達成するに至ります。

クリス・カイルという人物がどのようにして人生を駆け抜けていったのか、その誰よりも真剣な生き方に思いを馳せ、この映画を嗜んではと感じます。

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