音楽で人を幸せにしながら、家庭を築きたいだけなのに、どうしても両立できない。
Q:これは映画の登場人物の誰かのセリフですが、一体誰のセリフでしょうか?
申し遅れましたが、エンタメブリッジライターしおりです。
今回はレディー・ガガが主演したことで話題沸騰した映画「アリー/スター誕生(A Star Is Born)」をご紹介・解説したいと思います。
実は、3日ほど前に1度レビューを書き上げたのですが、「何かチガウ…」と思って大幅改稿に踏み切りました。
客観的に見ると「アリー/スター誕生」は、あのレディー・ガガが女優初主演、「アメリカン・スナイパー」や「運び屋」で有名なブラッドリー・クーパーが監督・編集・主演すべて手掛けたことが1番の注目ポイントです。
しかし、「アリー/スター誕生」やガガにまつわる色んな動画、資料を読みあさっているうち、私が本当に伝えたい映画の魅力は、世界の歌姫・ファッションアイコンとしてのレディー・ガガ―――ではなくて「人間レディー・ガガ」、そしてそんな人間ガガとこの映画とが密接にリンクしていることではないか?と考え直したんです。
ガガは2017年線維筋痛症を公表し、活動休止を発表しました。
そのガガが、なぜ痛みを押してまでこの映画の主演を務めたのか…?
そこに、この作品の大きな魅力が隠されているのではないか?と探らずにはいられませんでした。
初めに言っておくと、私はガガのファンというわけではないのです(笑)
このレビューを書くまでガガについて知っていたことは、「Bad Romance」などいくつかのヒット曲と、あの奇抜なファッションと(個人的には徹子の部屋の黒柳徹子を模した服が1番好きw)、ネイティブが「Oh my God!」の代わりに「Oh my Lady Gaga!」っていうぐらいかな。
「レディー・ガガがスッピンで主演した」というツカミの視点だけでこの映画を観ることは絶対にNGです。
一通り「アリー/スター誕生」について調べた今の私は、30歳を超えた、特にここ数年のガガにについては「こんな人だったんだ!」と斬新で興味をそそる発見で溢れていました。
「アリー/スター誕生」のキーワードは一言でいうと、inspire(インスパイア)。
「アリー/スター誕生」は複雑な映画で、Romance/ロマンス、creativity/創造、fame/名声、が絡み合ってドラマを生みます。
しかし、この映画を満足して見終えるためには、ガガ含め、この映画の背後で何が起きていたのか?を知ることが欠かせません。
このレビューがその助けになればいいなと思いつつ、冒頭のクエスチョンともからめながら早速考察していきましょう!
目次
1.「アリー/スター誕生」の作品紹介
監督: ブラッドリー・クーパー(Bradley Cooper)
原作者:ウィリアム・A・ウェルマン(William A. Wellman)
原作: スタア誕生
出演者:ブラッドリー・クーパー(Bradley Cooper)、レディー・ガガ(Lady Gaga)、アンドリュー・ダイス・クレイ(Andrew Dice Clay)、デイヴ・シャペル(Dave Chappelle)、サム・エリオット(Sam Elliott)。
受賞歴:アカデミー賞にて歌曲賞受賞、ゴールデン・グローブ賞にて歌曲賞受賞。
2.「アリー/スター誕生」のあらすじ
画像出典:https://www.amazon.co.jp/
「スター誕生」と聞くと、冴えない一般人がスター街道を駆け上るシンデレラストーリーを想像するかもしれませんね(例えば、ちょっと古いけど一昔前のスーザン・ボイルみたいな?!)。
1937年の原作から4度目のリメイクとなった今作は、込み入ったドラマが交錯します。
私のオススメの観方は、予告編だけ見て、あとは何のレビューも見ずに映画にぶっこむことです。↓このネタバレなしさえ読まずに(笑)
「アリー/スター誕生」のあらすじ(ネタバレなし)
父と2人暮らしで、ウェイトレスをやっていたアリー(レディー・ガガ)は歌うことが大好きで、毎週金曜日にゲイのショークラブに女だけど「特別枠」で歌っていました(LGBTに近しいガガらしさが出ている点に注目あれw)
ちなみにアリーは年齢不詳ですが、おそらく20代半ば~後半くらいで「今からプロ歌手を目指すには遅い、そろそろ落ち着けよ」的なことを周囲に言われる年頃と思います。
一方で、すでにカントリー・ロック界のレジェンドの地位にあるジャック(ブラッドリー・クーパー)は、アルコールとドラッグに依存しつつも、毎日コンサートをする多忙な日々でした。
ジャックは、最初は「飲んべえ」くらいの印象で、「ロックスターだし、こんなものかな?」と思いますが、それは皮肉にもアリーと出会ってから悪化するんです…。
ジャックはある日のライブ終了後、自宅までの道中で文字通り「酒が切れた!酒をくれ!」の状態になり、吸い込まれるようにアリーがショーをしていたゲイクラブに立ち寄りました。
これが2人の最初の出会いで、アリーのフランス語のショー(ガガは上皇后の美智子さまと同じ、リアル聖心女子学院出身でフランス語が堪能なのだ)に感動したジャック。
ジャックに見出されたアリーは、ジャックのコンサートにゲスト出演しながら連れまわされるうち、ついに独立した歌手の道へ!
恋愛関係に発展していく2人に待ち受けていた、キャリア&ロマンス、双方の衝撃の結末とは!?
「アリー/スター誕生」のあらすじ(ネタバレあり)
画像出典:https://www.amazon.co.jp/
「アリー/スター誕生」の面白さは、一直線の「スタ誕物語」じゃなくて、2つのストーリーが同時進行していくところです。
1つは、スター街道を昇り詰めていくアリーの話。
もう1つは、スター街道から転落していくジャックの話(むしろ、こっちがメインかもしれない)。
先に結論を言いますが、いや、ホントはもったいぶって言いたくないけど…ラスト、ジャックは自殺します。
先ほども言いましたが、この2人は恋愛関係になり途中で結婚して夫婦にもなるので、アリーにとってこのスターダム人生が幸せだったのか不幸だったのか?
・・・って辺りが大変意味深く微妙で、未だに私もわかりません。
さて、話を戻しますが、ゲイクラブのショーでジャックに見出されたアリーは、
俺のコンサートに出ないか?
的なノリでジャックに誘われ、もちろん素人のアリーは怖気づいて「どうしよう、どうしよう」と丸1日モジモジしますが、いざ、勇気を振り絞ってステージに立つとその才能は大爆発。
ガガの生パフォーマンスを知らない私は、心の中であの「Oh my Lady Gaga!!」を人生初、叫んでいたほど、ガガ色を消しながらも発揮されるその圧巻の歌唱力に圧倒されっぱなしでしたね…。
その後ジャックとユニットのようにコンサートを回っているうち2人は恋に落ち結婚、アリーは業界大手インタースコープ社の目に留まり、ソロ契約、とんとん拍子でスター誕生の道を駆け上ります。
そして、ジャックと2人3脚だったキャリアの日々に終わりを告げ、アリーは「ソロコンサート→CDデビュー→音楽番組(MUSIC FAIRみたいなやつ)に出演」と着々とキャリアを積み上げ、とうとうグラミー賞受賞を達成!
歌手としてこれから全世界へ羽ばたくわ!といったところで一転、夫ジャックが自殺し、最後にアリーが追悼公演で涙しながら歌う神妙な場面で映画は終わっていきます。
にしても私は、なんでジャックはラスト自殺してしまったのかわからないんですよね…。
「たぶんこうだろう」と思うことは、まずアリーの成功は想像以上にジャックにとって嬉しいものではなかったということです。
You jealous, fuck!(嫉妬してるのね。)
とアリーに言われているので、アリーに追いつき追い抜かれていく焦燥感はハンパなかったのでしょう(それには男のプライドもあったはず!)。
また、ジャックは幼少期から片耳が難聴で、ドクターストップがあったのに爆音の生音にこだわり、ストレスも相まって耳鳴りがどんどん悪化し、ミュージシャン生命が断たれるかもしれぬ危機感をひっそりと抱えてます。
実際にツーーという耳鳴りがBGMで流れるんですが、このシーンを観てると、あの小室哲哉さんが不倫疑惑で引退会見をしたとき「今もずっと耳鳴りがしている」と言っていたのを彷彿とします・・なんか、あの力なげなところがソックリで(汗。
こんな感じ。 画像出典:http://news.livedoor.com/
さらに、ジャックのマネージャーをしていた兄は、勝手に父親の墓を処分したことがジャックにバレて喧嘩・退職・決別。
これらが直接的に自殺に起因するとかいう以前に、大前提にあるのが、ジャックは心に深い闇を抱えた人だったんです。
ジャックはアリゾナの農場で父63歳、母18歳でハプニングの妊娠で生まれた子で、母はそのときのお産で亡くなり、父親もまた酒乱でした。
腹違いの兄は家を出て、1日中父親と2人きりだったジャックは、蓄音機に頭を突っ込みすぎていたせい(と本人は語るけど本当の原因は不明)で片耳がほぼ聞こえなくなりました。
13歳になったジャックは、早くも天井のファンで首を吊って1度自殺を試みるものの落下して失敗…しかし、息子が自殺未遂した事実さえも父は気づかないほどの飲んだくれ…。
これはヒドイ!って傍目には思いますが、ジャックはそんな父を不気味なほど崇拝しています(その理由も見どころでちょっと触れてます)。
ほどなくして父も死に、先住民ナバホの農場をフラフラしていた青年ジャック。
これらすべての孤独に追い詰められ、酒量もドラッグも右肩上がりに増量、文字通り支離滅裂になるのが映画後半のジャックです。
皆さんも「酒の失敗」は多かれ少なかれあるかもしれませんが(ちなみに私の友人はケンタッキーのカーネル像を抱き上げて運んだらしいけど記憶にないらしい…)、「ありえん!」という大失態をジャックはやってしまいます。
アリーがグラミー賞を授賞してスピーチをするという人生に1度あるかないかの超!晴れ舞台で、酩酊状態でノコノコとステージに上がってきて、なんとその場で失禁してしまったのです…(見どころ3番目の写真参照)。
この、ある意味クライマックスを迎えた後は、急に静かな世界へ場面転換します。
個人的には、ここから深化していく人間模様が面白いと感じますね。
リハビリ施設に入り、依存症ミーティングに出ながら3カ月間の治療を受けたジャック。
ようやく「酒とドラッグのフィルターのとれた状態」で自分を見ます。
それは傷口を開けるような痛みを伴うことなのだと思い知らされるシーンで、ジャックはアリーに授賞式のことを、
あんな失態をしてしまって…
さめざめと悔いて、泣いて謝ります。
私はこの地味だけど正直な男泣きシーンがこの映画の中で最も心打たれました。ジャックーーっっ!!と。
このあたりから2人の関係はより親密になるのですが、1度の失態を許せないのが世間ってもの。←このうわっつらな世間のことも後で掘り下げます。
アリー所属のインタースコープ社は、更生するジャックに「だから何?」レベルで何の興味も示さず、まさに目を見て
この3か月間お前の尻拭いに大変だった。
お前はアリーの人生を狂わせた。アリーと別れてくれ。
と言い、これがトドメとなって、アリーが公演を行っている間にジャックは自殺してしまいました。
狂わせたって・・・って感じですよね?!だから複雑なんです、この映画は。
最後はジャックがリハビリ施設で書いた愛の歌を、アリーがジャックの追悼公演で泣きながら熱唱します。
観る側が泣くならこのシーンですが、
(愛ってなんなんだろ…?)
そんなシンプルで深い問いがぐるぐると頭の中を回っていた私。
私はこの映画を3回観ましたが、実のところ最初の2回は「ラスト、半分泣いてたけど半分冷めていた」というのが正直な感想w
3度目の正直で泣いたのは、あるテクを使ったからです(笑)←へ、どういう意味?って感じですかね!?
この映画には隠された学びが多いことには変わりませんが、ラスト「泣ける/泣けないの理由」もある視点がポイントになるので、それもまた見どころで解説しましょう!
3.「アリー/スター誕生」の見どころ
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今回は、見どころを4つピックアップしてみました。
ガガの演技は至極ナチュラルで何の違和感もなく、そこらへんの若手俳優・女優よかよっぽど自然で「なんなんだこの人?」というほどの彼女のマルチな才能に閉口モノです。
しかし!
この映画を心から楽しむにはそんな表面的部分ではなく、もっともっとディープな部分にあるんですよ。
誰にでもあるメンタルブロック
皆さんは、「こんなことをやってみたいけど、どうせ自分にはできない」と思っていることはありますか?
「メンタルブロック」という言葉があります。
最近ビジネスなどでも使用される用語ですが、コトバンクによると「メンタルブロック」の意味とは
- 人間が何か行動等を起こす場合に、出来ない、ダメだ、無理だと否定的に考えてしまう思い込みによる意識の壁、あるいは抑止・制止する思考のこと。
メンタルブロックの怖いところは「行動しなくなる」⇒「何もしなくなる」と、自分で自分を支配して退屈で怠惰な人生結果を招くことです。
ウェイトレス時代のアリーはずっと、このメンタルブロックにハマってるんですよ。
私は美人じゃないから歌手として成功しない。
自分は女だから、男の権力者がいる音楽業界では生き残れない。
これらはアリー本人の言葉ですが、アリーは父から「神が授けた歌声があっても、売れるとは限らない」と教育を受けてきたので、「歌手なんかなれるはずがない」とそもそも先入観で思い込んでいます。
私はとあるアメリカのビジネスマンに、
Only putting pressure is you.
(プレッシャーをかけることができるのは、自分だけだ。)
と言われたことがありますが、メンタルブロックは、一見他人が仕掛けてくる外的要因に見せかけた、自分の心にある化けモンですわ。
人は誰も安全安心を手放すことが怖く、失敗でもない1つの経験を「失敗体験」と認識してしまうことも恐れます。
まあ私も1つの勇気ある行動には、成功も失敗もないと最近ようやく思えるようになりましたが(時間かかったな…)、人っていうのは「ほら言わんこっちゃない」と自分からも他人からも言われたくないんですよね。
だから心にメンタルブロックを作っている方がある意味、楽です。
その退屈な人生にいくらでも言い訳できますからね。
私がメンタルブロックの話で1つ強烈に思い出すのは、障害者の権利運動家たちとの会話です。
彼らは1980年代から「施設から地域へ」とスローガンを掲げて、「自立生活運動」として障害者が地域で人権が守られて生活できるように、行政とも市民とも命懸けで闘ってきました(今首都圏の各駅にエレベーターが着いているのは彼らの運動の賜物なのですよ)。
私がある女性の重度障害者リーダーに言われたことは
「障害者だから、結婚とか恋愛とか、本当はしたいのにできない」って制限をかけることは、健常者にも他人事じゃないのよ。
例えばね、「自分は高卒だから…」って考えてしまう健常者とかいるでしょ?
自分に制限をかけるのは、健常者も同じなのよ。
この話を聞いたとき、ハッとする思いでしたね。
皆さんも、自分にかけているメンタルブロックに思い当たることはありませんか?
アリーが歌手として成功したのは、ステージ上でジャックに「いいからやってみろよ」と言われ、そのまんま、やってみたからです。
この「ただやってみる」ってすごく大事なんですよね。
「ただやってみる」ことは、結果がどうあろうと必ず次の何かに繋がるものです。
「やっても後悔」と「やらなくても後悔」、どっちを選択しても後悔するんだったら、あなたはどっちの後悔を選択しますか?ってことなんです!
この映画を読み解くカギ「Shallow」
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この映画の主題歌で、ガガ自身も作詞作曲に携わり、アカデミー歌曲賞を受賞した「Shallow」。
直訳すれば「浅い」です。
Shallowはアリーとジャックのオリジナルデュエット曲で、映画の中でも3回は歌われる重要な歌です。
ではなぜ「Shallow(浅い、浅瀬、うわべ)」がこの映画を読み解くカギなのか?
それはアリーとジャックの恋愛関係をそのまま投影しているからっていうことと、「Shallow(浅い)/Deep(深い)」の話は私たちの生き方そのものと関連があるからです。
今回は後者の「私たちの生き方との関連」に重点を置いて書きますね。
まずShallowのサビの歌詞だけ紹介しますと
I’m off the deep end, watch as I dive in, I’ll never meet the ground
飛びこんでいく私を見て 絶対に私は妥協しないCrash through the surface, where they can’t hurt us
浅瀬にいたけど もう深みに入り込んだWe’re far from the shallow now
傷つける人も消えて もう浅瀬にはいない
「アリー/スター誕生」のキャストたちは、ガガを筆頭に、公開後のインタビューでとにかく「Who I am(自分は何者か)」を連発します。
そして、「アリー/スター誕生」がつまるところ最も伝えたかったメッセージとは、
「Who I am」に正直であれ。
だと私は断言しますね。
だから、映画の中でShallowとDeepは「浅い/深い」ではなく、「Shallow=うわっつらなこと」「Deep=自分に正直であること」を意味するんです。
「Who I am(私という人間)」というのは、レディー・ガガ自身が子供時代から人生を賭けて追求してきた課題であり、一朝一夕に実現することのないこの深い命題は、彼女にとって今もなお模索途上にあると言えるでしょう。
そんなときにガガにポンとこの「アリー/スター誕生」の仕事が舞い込んできたんですよ。
それはまるで「Shallow(うわっつら)のほうがよっぽど常識的で、実用的でパワーを持つ世間」に対して一石を投じたようです。
映画の中のShallowのシンボルは、夢を閉ざしてなんとなく生きていたウェイトレス時代のアリーや、アリーのイメージアップにしか興味がない商業的なインタースコープの人がそうです。
でも、私たちの現実生活も似たり寄ったりで、メディア、スマホ、ゴシップ、メンツ、建前、長い物には巻かれよ、和を以て貴しとなす・・・どれもShallowと言えばShallowで、Shallowってホントに身近にあるんですよ。
「アリー/スター誕生」の究極のメッセージとは、Shallowを突き詰めた先に何があるの?という問いかけなんです。
ただ浅瀬にぷかぷかと流れているだけで、それで人生を生きたことになるのか?と。
ガガはアメリカのトーク番組で「Shallowと社会を結び付けた話」をしていて
I think we live in the pretty “shallow” time, and I think we long for the depth,we long for the honesty.
(私たちってとっても『うわっつら』な時代を生きていると思うわ。
だけど本当は私たちは、もっと深くて、正直であることを望んでいると思うのよね。)
これは「アリー/スター誕生」製作陣一同からの警告ですよ、皆さん。
ガガは、人は本心では自分に正直でありたいと願い、本心ではもっと意味のある行動をとりたいのだと見抜いているんです。
もっと言えば、ガガをスーパースターにしたのはそうありたいと望む世界中の人たちなのです。
テーマソング「Shallow」は、単なる恋愛の枠を超えて「自分が何者かを掘り下げて知ることは、満ち足りた人生を送るのに欠かせない要素だ」と教えてくれます。
それはある意味危険を伴いますし、社会は正直に生きる人をそう簡単には受容しません(ガガを取り巻く環境を見れば、わざわざ説明するまでもありませんね…)。
でも1つ、私がここで皆さんに頭に入れておいていただきたいのは、それは「羨望という名の脅威」でもあるということです。
Shallowに生きている人は、正直を貫く人を「なんだ、あんな奴!」と言いつつも、自分にはそんな生き方ができないことを嫉妬と羨望でもって恐れている面もあるでしょう。
正直な深みへ突き進むことは、リスクや宿業のようなものがついて回り、さらにそれを引き受けることは相応の勇気が必要です。
それでもなお、この映画でキャスト一丸となって訴えているのは「リスクや世間体に屈することなく、『Who I am』に正直に生きろ」という、あらゆる価値の縄目に縛られて悩む人への激励だと感じます。
主題歌Shallowは、和訳の外面的な意味からもっともーっと掘り下げて、Deepに聴いていただきたいと思います!
2人の「共依存」に気づくべし!
↑噂の大失態 画像出典:https://www.amazon.co.jp/
私がこの映画の2人のロマンスに「半分は冷めていた」という感想を持った理由とは・・・この2人の関係があまりにも「共依存」だからです(笑)
ここが映画の評価の分かれ目で、「アリー/スター誕生」は「どこか納得いかない恋愛劇」と映る人は多いようですね。
ピュアすぎるアリーに、弱っちぃジャック・・・と。
個人的にはこの2人の「共依存」という関係性がわかれば、すんなり入ってくるストーリーだと思います。
共依存とは、「お互いに甘えて依存し合っている状態」のことで、つとに恋愛における共依存とは
- 暴力やアルコールなどの問題を抱える相手に対し、一見被害に遭っているように見える方も実は相手に甘えている依存状態のこと。
傍目にはアリーは、酔いつぶれるジャックを献身的に介抱し、ピュアな愛を実践している妻に見えるかもしれません(そこだけに集中すると泣けますw)。
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でも、朝芝生で発見されるほど酔いつぶれ(証拠写真↑↑)、パートナーのアリーの成功を喜べず、行く先々でヘベレケになってキャリアに泥を塗り、あげくグラミー賞授賞式で失禁するような男を
「It’s OK.」「Fine.」(大丈夫よ)
とマザー・テレサのように許し愛し続けるアリーは「なんか違くね…?」って思うんですよね。
ていうか私なら、そんな愚行を繰り返す男は「Back off!(失せな!)」の一言で終わりですわ。
アリーを見ていると「DVを受けながらもその状態から逃げられない女性」というのはこういう心理なのではないか?とだんだん気づいてきました。
暴力を受けたり、ギャンブルやアルコール依存を抱えたりするパートナーを「イヤだ、怖い」と思いつつそこに留まり続ける女性は
そんな人と付き合うのやめなよ。
と周りが言っても抜け出すことが難しいと言われます。
アリーも父親に何度も言われますが、都度、ジャックをかばって傍を離れません。
その理由は「私がいないとあなたはだめなのね」と相手に対して思うことで、バネのような跳ね返りでもって自分の価値を確認しているからなのです。
共依存において「かまっている側」(←アリーのこと)が、実害を受けているのになかなか抜け出せられないのは、「自分の価値を貶める人と、その貶められた価値を埋める人が同一人物だから」(←ジャックのこと)なんですよ。
アリーはジャックに見初められて歌手になっているので、きっとその恩義も共依存に拍車をかけたでしょうね…。
「アル中ジャックのかまってちゃん」←なんかそんな童話ができそうwな依存心はわかりやすいですが、アリーの依存心は少しわかりづらいです。
でも、アリーは行く先々で醜態をさらすジャックを母親のようにかばったあげく、
あなたために欧州ツアーはキャンセルするわ。
とまで言うので「これは・・・愛?」とだんだん興ざめしてきた私…。
ちなみにジャックは子供時代父親に苦しめられつつも、父を崇拝してきたのは、これと同じロジックです。
価値を貶める父と、その貶められた価値を補う父が同じ人物だったからからこそ、父を崇拝し続け、墓を廃棄した兄を恨むんですよ。
「愛とはお互いを自由にすること」とはよく言ったものだな…と思った私で、アリーとジャックの愛情劇はどこか子供じみた反面教師のようにも見えます。
ただし、先ほども言いましたがそこさえ目をそらすテクを駆使すれば、このロマンス劇は泣けるんです(笑)
スター誕生は実話?1937年版「スタア誕生」との違い
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ところで、「アリー/スター誕生」は実話なのか?という憶測が飛び交っていますが、本作は実話ではなくフィクションです。
ただし、ジャックにはモデルとなった人がおり、日本では知る人ぞ知るアメリカのバンド、パール・ジャム(Pearl Jam)のメインボーカル、エディ・ヴェダーです(ジャックと風貌がそっくり)。
画像出典:https://www.youtube.com/
エヴィ・ヴェダーの生い立ちやバンドの経歴を少し調べましたが、必ずしもフィクションとは言えない気がしました。
まず、ヴェダーは1歳で両親が離婚、その後すぐに母親が再婚したため、継父と兄弟6人でカリフォルニア州で暮らします(ジャックはアリゾナ州)。
しかし、10代後半に再度両親が離婚し、ヴェダーだけ転校をしないでいいように継父と2人暮らしをします。
実はヴェダーは継父が実の親でないことを知らされずに育ち、このころ初めて知ったのだとか。
このときのことをヴェダーは
僕がまだ15、16歳だったとき、自分は1人ぼっちだと感じていた。僕は音楽以外はすべて孤独だった。
と語られています。
音楽活動を始めたヴェダーの波乱万丈はその後も続き、パール・ジャムの前身となったバンドで、ボーカルメンバーをヘロインの過剰摂取で亡くしているほか、ドラム担当もうつ病発症により脱退しています(ちなみにそのドラム担当の名前はジャック)。
その後パール・ジャムがグラミー賞を受賞し成功を収めてからも、ヴェダーに名声と重圧は重くのしかかったそう。
今作を製作するにあたりブラッドリー・クーパーはヴェダーの元を訪れ、9000個もの質問をしたそうですが、ここに書いたこと以外にも類似点はたくさんあって、「アリー/スター誕生」のジャックはエディ・ヴェダーを取り巻く環境をミックスさせたのかも?!と思いましたね。
そういう意味では実話です。
ちなみに原作1937年版「スタア誕生」はYoutubeでフル視聴できますので観てみましたが、いやいや、もう原作と思えないほど2018年版と色んな所が違っていて、私はむしろ1937年版のほうが気に入ったかも(笑)
禁酒法が解けて間もない1937年のスタア誕生は、ダコタの農場育ちの娘が主人公で、
ハリウッドに行きたい!きっと女優になれるはずだわ!
と目をキラキラさせてメンタルブロックのかけらもなく、ひときわキャラの際立つ彼女のおばあさんの支援を受けて意気揚々とハリウッドに突撃。
原作では映画畑の話で、女優としての成功を夢見る彼女はウェイトレスをしていたところ、ダンディ俳優に見出されスター街道を駆け上ります。
ダンディ俳優はジャックほどヘベレケにはならず、
スコッチ、ダブルで。
みたいな感じですが、酔うと昭和の頑固オヤジみたく粗暴になり、やはりこちらも着々とキャリアアップする妻に焦燥感を感じていきます。
そして、妻がアカデミー賞を受賞し、スピーチをしているところに酔ったダンディ俳優が乱入し(これはテッパンらしい…)、代わりに大声でスピーチをし始めて、そのままリハビリ施設に連行されます。
まあ、失禁に比べたら平和ですわね…。
施設から出た男は、バーでジンジャエールを飲んでいたところをバカにされ、再び
スコッチ、瓶ごと。
となり、バカにしてきた男と殴り合いの喧嘩となり、今度は法廷に連行されます。
ここで妻がけなげに「私がしっかり保護観察しますわ」とフォローし(ちなみにこの2人は適度な距離感があり共依存ぽくない)、「妻の保護観察の元・釈放」という再度男のプライドをズタボロにする見出しの記事を書かれ、帰宅した2人はキャリアを棄てハリウッドを去る決意をします。
その晩、ダンディ俳優は海で入水自殺をしてしまいました。
でも、ここからがアリーとは違います。やはり、女は強し!
主人公女優がハリウッドを去ろうとしていたところに、あのばあさんが田舎からやってきて
Tragedy is a test of courage.
(悲劇は勇気のテストよ。)No matter where you may run, you can never run away from yourself.
(どこへ逃げても、自分自身からは逃げられないわ。)
と賢人の知恵みたいな名言を残して孫にハリウッドに残ることを勧めます。
そして直後のレッドカーペットみたいなシーンでは、なぜかあのばあさんがしゃしゃり出てきて
これを聞いてる人には、ハリウッドを夢見ている人がいるわね。
ちょっとがっかりさせるかもしれないけど、私はここまで来るのに70年以上かかかったわ。がはは。
とウィットの効いたことをインタビュアーに話して映画が終わるのでした。
「アリー/スター誕生」は人の弱さに重きを置いて描かれている映画ですが、原作「スタア誕生」はむしろ、人間の潜在能力、しぶとさに重点が置かれている力強い作品だと感じましたね。
まだ第二次大戦も経験前なのに、現代人は弱くなったのかなぁと身につまされつつ…。
4.ドキュメンタリー「レディー・ガガ」を観た私の視点
画像出典:https://www.amazon.co.jp/
さて「この映画の裏で何が起きているのか?」という理解を深めるためには、特にここ数年のリアルレディー・ガガを知るのもまた不可欠かと思います。
私は、この映画で人生史上最高にガガに興味を持ち、Netflix限定で2017年から配信されているドキュメンタリー「レディー・ガガ:FIVE FOOT TWO」を観て、ダメ押しでガガファンの友人ともだべりました。
世界のスーパーセレブで、不安定さを抱えつつも、その両肩に何百億もの重圧がのしかかるガガというのは劇中のジャック?!と思うほど共通点を感じましたね…。
そのことについて少し解説しましょう!
ガガこそジャックなのではないか?
まずこのドキュメンタリーは、5枚目となるアルバム「Joanne」(ジョアンとはガガのミドルネームで、亡くなった叔母の名前)の製作過程と、2017年2月のスーパーボウルのハーフタイムショーまでの1年間に密着したものです。
「アリー/スター誕生」のクランクインが2017年4月なので、本当に直前までの話です。
ガガはこの映像の中でとにかくよく泣く。そして、体中が痛い。
ガガは2012年にお尻を重度に骨折し、その痛みが取れず、まだこのドキュメンタリーの撮影時点では「繊維筋痛症」と病名がわかっていないので、とにかく原因不明の「体が痙攣する痛み、突っ張る痛み、内臓を圧迫する腫れ、頭痛、顔面の激痛」といったあらゆる痛みと闘っていて、セラピストの同行が欠かせないんですよ。
そんな痛みや孤独に泣くところは、あの奇抜で強気なガガからは想像できない「普通の女の子」といった印象。
お尻の骨折で妊娠・出産ができないかもしれない不安にも泣いていますからね。
イベントの前なんて目が腫れてしまうから泣くことさえできなくて、本当にその姿は悲痛です。
そして、超多忙のガガは病院のベッドで何か所も注射をされながらも同時進行でメイクし、次の現場に向かいますが、ガガが医師に訴えていたここ5年の不調は
Paranoia, alcohol, drug, anxiety, fear, body pain…
(被害妄想、アルコール、ドラッグ、不安、恐れ、身体の痛み…)
と…これを男の声にしたらジャック!?と思ってしまいますよ。また冒頭の
「音楽で人を幸せにしながら、家庭を築きたいだけなのに、どうしても両立できない」という言葉は、ガガがこのNetflixのドキュメンタリーで号泣しながら発していた言葉でした。
キャリアで成功するたび、それと引き換えるように恋人を失ってしまうガガなのですが、「アリー/スター誕生」が決まったときも婚約者テイラーを失ったそうで、
毎晩寂しくてたまらない、みんな去っていって結局1人ぼっち。
1日中人に囲まれて話しかけられたあと、急に孤独になる。
こんなセリフも、ジャックが言いそうな言葉だと思いますね…。
ガガは2017年繊維筋痛症を公表し活動休止、おそらく「アリー/スター誕生」も激痛と向き合いつつの撮影だったのでは?と察します。
とはいえ、ガガファンの友人に言わせれば、ガガは奇抜であっても気丈ではないということ。
10代のころは男子学生にゴミ箱に投げ入れられるようなすさまじいいじめに遭い、イタリア系の肉感的な顔や身体にコンプレックスを抱え10年間も摂食障害に苦しんできたというガガ。
19歳でデビューした頃は20歳も年上の男性からレイプ被害に遭い、この事件は誰にも話せずPTSDを発症し、あらゆるセラピーを受けていたそうです。
あの奇抜な衣装に関しても
幼少期から頭の中に「声」が聞こえてきて、酒やドラッグでそれをかき消していた。
中毒性の高いものに頼らず、平静でいられる唯一の方法が「服飾と芸術」だった。
とガガ自身がトーク番組で語っていて、「声→耳鳴り」に変えたらこれもジャックみたい…。
現在も鬱やパニックと切っても切れない関係にあるようで、安定剤や睡眠薬を飲んだり、心理療法を受けたりと、私にとってはこれもまた「アリー/スター誕生」以上に、ガガのイメージを一新するものでした。
ストイックに仕事をこなすところはジャックと違いますが、心身の不調と孤独に追い詰められているガガの姿はアリーではなく、ジャックの方に似ていると言わざるを得ません(涙
それでもなお歌い続ける理由は、ガガのみぞ知ることですが、私の推測では、ガガと同じように傷ついてきた人や、マイノリティで苦しんでいる人たちに寄り添いエンパワーしたいという、優しさゆえのハングリー精神なのかもしれません。
5.「アリー/スター誕生」をオススメしたい人
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「アリー/スター誕生」は悲劇で終わります。
でも、観る人すべてに必ず何かをインスパイアし、勇気づけられる不思議な映画なんです。
ということで次のような方にオススメしましょう!
歌手になりたい人
歌手を目指す人にはオススメです。
映画の中では20回ほど歌のシーンがありますが、アリーというキャラをまといながらもガガの並外れた歌声、表情、観客へのパフォーマンスは、「はぁぁ…」と見惚れてしまうものがあり、これから歌手を目指す人には学ぶことが多いと思います。
また映画の中でジャックは、CDデビューを怖がるアリーに
魂の底まで掘り下げなきゃ長続きしない。歌は正直なものだ、嘘は見抜かれる。
「なぜ」とか「いつまで」と心配せず歌えばいい。
と大事な言葉を投げかけます。
命を懸けた表現は、必ず誰かの心を打つんですね。
本作はPG12指定がありますが、夢を追う中高生ぐらいの人には早速観ていただきたいですね。
自分は報われないと思っている人
画像出典:https://www.amazon.co.jp/
目標を持っている人で、その目標が報われないことに反感を持つ人にもオススメです。
この映画は両者のバランスを教えてくれます。
人生の成功者となったアリーと、成功者の地位を保身するために疲弊するジャック。
実は私の友人にも歌手志望の子がいますが、彼女が歌手になりたいと言ってから、かれこれ10年が経過しています。
その子はアリーの人生を夢見ています。――歌っているうちにいつか権威ある人に見出され、スター街道をのし上がっていく夢のような人生。
でも、その子を観ているとすでに彼女の心にはジャックが住んでおり、「歌ってやって当たり前」と言いますか、歌う場が与えられることに謙虚じゃないと言いますか、ね…。
自分を安売りしないことは大事です。
しかし、感謝と謙虚さを失えば、夢は永遠に遠ざかって自分に満足する日は永久にやってきません。
映画ではそのことをジャックが証明していますよね。
アリーが成功したのは才能だけでなく、表現の場が与えられることが普通でないことを知っていたからでしょうね。
アリーは1つ1つの成功を畏れ、大切にします。
夢を掴むためにはただゴリ押しするだけでなく、謙虚さもまた大切なことだと教えられる映画です。
漠然と疲れた人、キャリアアップしたい人
仕事でも家事でも人生でも「なんか疲れた」と思う人、また「キャリアアップしたい」と思う人にはオススメです。
この映画はインスパイアの映画であり、アリーとジャック以外にもサブキャラがたくさん出てきて、誰かと類似点を見つけたり触発されたりすることが必ずあります!
冒頭のどんちゃん騒ぎ(でも聡明)のゲイたち、アリーの夢を閉ざしていた父親、現状満足のイクメンなジャックの友人、ジャックとつかず離れずの兄、仕事第1のインタースコープマネージャー…。
皆それぞれ違う価値観を大切にし、それぞれに与えられた人生の課題をクリアしながら生きています。
この映画は成功・失敗の二元論ではなく多様性です。
私がこの映画について1つ言えることは「どんな立場に置かれている人でも、観た後は必ずどこか違う自分になれている」ということです。
映画のスター誕生とはアリーでした。
でも、この映画を見終えた後のスターとはあなたのことかもしれません。
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最後に、ガガがアカデミー歌曲賞受賞式でスピーチした言葉で締めたいと思います。
今、自宅のソファに座りながら、この様子をテレビで観ているあなたにこれだけは言わせて。
これは努力の賜物以外の何物でもないの。
大事なのは諦めないこと、勝つためじゃない。
たとえ何度拒まれ、何度叩きのめされたとしても、大事なのは何度でも立ち上がり、勇気を持って続けることよ。
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